クロイツェル・ヴァイオリンソナタ | トナカイの独り言

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 65歳をすぎて、室内楽を聴く時間が長くなってきた。それもベートーヴェンの後期やある時期のモーツァルトなど、俗にいう侘寂のある作品を聴く時間が延びてきた。
 もちろんそれらは素晴らしい音楽なのだけれど、ある特殊な人生経験がないと理解出来ないようにも信じられる。それらの曲とは別に、室内楽という分野にあっても、交響曲や協奏曲を圧倒するようなエネルギーに満ち、万人の心を揺さぶる曲もある。
 たとえばベートーヴェンの『熱情』ソナタなど、その最たるものだろう。弦楽四重奏の4番、7番、そしてヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル』もそのひとつである。

 

 今回の主役はその『クロイツェル』だ。

 個人的な好き嫌いを抜きにしたら・・・・個人的には5番の『スプリング』が好き・・・・この曲こそ、ありとあらゆるヴァイオリンソナタの頂点に君臨すると言っても間違いではないだろう。強い葛藤を秘めて圧倒的な力の奔流の感じられる1楽章、穏やかな落ち着きを取り戻す2楽章、そして陽気とも言える3楽章である。
 

 クロイツェルと呼ばれる理由は、ヴァイオリン奏者のクロイツェルに捧げられたからだが、元々はブリッジタワーに捧げられるはずで、その裏側にはある女性との複雑な関係が絡んでいると言われている。
 

 作曲は1803年。ベートーヴェン、33歳の時の作品だ。

 わたしの好きな第5番『スプリング』の2年後で、ピアノ協奏曲第3番と同じ年、ピアノソナタ第23番『熱情』の2年前にあたる。『永遠の恋人』候補のひとりであるヨゼフィーヌとの恋愛が再燃焼しはじめた頃の作品となる。

 個人的解釈として、ヨゼフィーヌとの熱愛が『熱情』ソナタに溢れているいう内容を書いたことがあるけれども、このクロイツェルソナタにも、そうした熱い想いを聴くことができる。

 ベートーヴェンの創作にかんして言うなら、ヨゼフィーネとの恋愛が中期の数々の名曲を生み、アントーニアとの新しい恋とヨゼフィーヌの死が、後期の傑作を生んでいる。恋多き人生であり、それらが素晴らしい名曲として結晶している。

 

 この曲を初めて聴いたのは、たぶんオイストラフとオポーリンのレコードだったように思う。
 続いてスターンの演奏に接して、心を打たれた記憶がある。このスターンの演奏はもっと名盤として取り上げられて良いと思う。
 

 これまでの人生を通じていちばん愛好したのはズーカーマンの演奏である。
 評判の高いアルゲリッチ(ピアノ)と数人のヴァイオリニストの演奏も素晴らしいとは思うけれど、ズーカーマンほど惹きつけられなかった。
 そんな中で近頃、闘いと葛藤というアプローチではない諏訪内さんの演奏に魅了された。

 

 この演奏に感化され、持っているCDを聴き直したり、新しく入手したりしてみた。
 素晴らしいと感じたのはデュメイとピリスのもの、そして以下に挙げるツィマーマンとヘルムヘンの演奏だ。特に後者は、クロイツェルソナタの圧倒的ゾクゾク感を感じることができた。

 

 人生を葛藤なく生きられたらどんなに良いかと思う時もある。
 しかし、不完全なわたしだから、葛藤の生まれないはずがない。もしそうであるなら、葛藤のなかでベートーヴェンくらいもがいて、苦しんで、ふたたび浮上して道を見つけるのが良いのだろう。そんな道標となる曲のひとつに、『クロイツェル』ソナタがある。