静の桜と諸行無常・・・・・・ | トナカイの独り言

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 十代で初めて方丈記に出逢った時、最初の文章から強烈なパンチを受けた。

 

 ゆく河の流れは絶えずして、しかし、もとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく止まりたる例しなし。

 世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。

 

 これを読んだ時、平家物語と同じだと思った。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。

 

 こうした無常観は、日本人の心深くに流れている。

 

 わたしが初めて極度の無常観に襲われたのは、バレエスキー(アクロスキー)がなくなると聞いた時だ。

 フリースタイルスキーに惹きつけられた理由のひとつに、自己表現を可能にするバレエスキーの存在があった。バレエを滑っている時わたしは、自分を表現できる場を得たように感じたのだから・・・。

 四十五歳で現役に復帰する決意をしたのも、最後のバレエ競技会に出場したかったからである。この翌年・・・つまり最後の全日本選手権で・・・わたしは二位となった。

 

 つい最近、そんなバレエスキー以来の無常感に襲われる出来事があった。
 『静の桜』が倒れたのだ。

 


 

 源義経を追って美麻の大塩まで来た靜御前が、ここで力尽き、亡くなったという伝説がある。そんな静御前の杖が根付き、この大木になったというのだ。
 それが事実なら、樹齢千年近いことになる。


 初めてこの樹に出逢った時・・・・それはもう二十五年以上前のことだが・・・・なぜか涙が止まらなかった。心の深いところを揺さぶられ、波のような感動が繰り返し押し寄せてきた。

 そんな経験を与えてくれたのは、この桜以外にない。

 だから、しばしばここを訪れるし、両親を連れてきたり、親友を連れて来たりもした。
 下の写真は故・平光雄先生と一緒に来た時のものである。


 

 あんなに元気な平先生が亡くなるなど、まったく想像できなかった。
 同じように千年も生きた静の桜が亡くなる時に出逢うなど、予想すらできなかった。
 しかも、その樹がわたしにとって、特別な意味を持っていたのだから。

 

 

 最後に逢った時・・・二年ほど前だろうか・・・静の桜は、確かに痛々しいほどに弱っていた。

 千年という年を、この樹は生き切ったのだろう。
 もう休みたかったのだろう。

 元気だった時の写真と共に。

 「さようなら、静の桜」

 安らかに・・・・・・。