ベートーヴェン弦楽四重奏曲第9番 op.59-3 | トナカイの独り言

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 わたしが尊敬する作家にアルフィ・コーンがいる。彼の名著 『競争社会を超えて』 に、こんな言葉が書かれている。

 「(わたしは)いわゆる構造的な競争と意図的な競争を区別したほうがいいと思う。前者は状況について語ったものであり、後者は態度について語ったものである。構造的な競争は、勝利/敗北の枠組みをとりあつかうもので、外在的なものである。それにたいして、意図的な競争は、内在的なもので、ナンバー・ワンになりたいと思う個人の側の願望にかんするものである」

 

 

 ベートーヴェンはボンからウィーンに移って以来、ずっとナンバー・ワンになるために努力してきた。その願望は純粋に内在的なものだった。ところがその願望は自然に、彼を構造としての競争世界にも投げ入れることになる。

 すなわちピアニストとしてのライバルたちとの競争である。彼はそんな他者との競争を繰り返して、音楽家としてのし上がった。それは武士の一騎打ちにも等しい真剣な対決だった。

 対決した相手は、当時世界最高のピアニストと呼ばれた数々の名演奏家である。ベルリン生まれのシュタイベルトや、後にベートーヴェンの伝道者となるフンメル、 「あいつ(ベートーヴェン)には悪魔が付いている」 という言葉で今に到るまで知られるゲネリク、そしてベートーヴェンに負かされるなど誰も想像できなかった当時最高の名手と言われたモシェレスなどである。
 ベートーヴェンの即興演奏がいかに素晴らしかったかを、たくさんの人たちが語っている。その誰もが、あたかも彼を絶頂期のロックスターであるかのように表現している。こうした方向性はそのままフランツ・リストのスター性へと引き継がれていく。

 

 ベートーヴェンは日々、他の素晴らしいピアニストと比較されて青年期をすごしたのである。

 そんな経験から、彼の心には他者との対立や競争と言った世界が育まれた。それだけでなく、聴覚の異常から生じた運命の不条理に対する不満や憤りも強く育まれたに違いない。

 彼の音楽には、しばしば怒りの感情が爆発する。それは彼の運命に対するやり場のない怒りであったのかもしれない。

 

 彼が経験した 『対立』 や 『比較』 という世界を描き出すという点で、弦楽四重奏なら第7番から9番までのラズモフスキー全3曲が傑出している。ここには彼のナンバー・ワンを目指す気持ちや負けたくない気持ち、苦しみを乗り越えようという意志が、明確に表現されている。

 もちろんこの前年に発表されたピアノソナタ第23番 『熱情』 には、ラズモフスキー以上に燃えさかる炎が描かれているし、この二年後に書かれる交響曲第5番には、究極とも言えるほど、対立して葛藤する世界が描かれている。

 こうした競争の世界は、アスリートの世界に酷似している。

 他人と競って、ナンバー・ワンになることに価値を置く世界である。

 ベートーヴェンのように野心に満ち、同時に自信に満ちて世界に飛び込んだ若者なら、誰もが避けて通れない道だとも言える。ちょうど心理的なドラゴンクエストとなる道程である。

 

 加えて、上記のような比較競争の世界は彼の時代、現代とは違う特別な意味を持っていたことも考えてみたい。それには、時代背景を理解することが糸口となる。

 ベートーヴェンは1770年に生まれた。それはちょうど、イギリスに産業革命が進行した時代である。

 青年期から経験したフランス革命に掲げられた 『自由・平等・友愛』 という精神のバックボーンは、この産業革命から生まれたと考えられる。

 産業革命によって、商人(ビジネスマン)や銀行家(金融業者)が力を持ちはじめた。つまり彼らの方が貴族より金持ちになりつつあったのだ。そんな裕福な平民の台頭が、それまでの封建社会(貴族社会)を変革していった時代である。

 つまり、人間は自由で平等であるという思想の背景には、「誰でも競争して勝ちさえすれば、裕福になれる」 とか 「競争して勝利すれば幸せになれる」 という可能性が見え始めた事実がある。
 いっぽうベートーヴェンを支援した貴族たちは啓蒙的な貴族たちで、こうした時代の変化を感じていた。だからこそベートーヴェンを彼らと平等に扱い、彼を尊重したのである。

 少しベートーヴェンから離れて、時代を俯瞰してみたい。
 産業革命で化石エネルギーが使用され、時代は大量生産を可能にした。それによって多くの労働階級が必要とされ、資本家と労働者という階級の分離が起こった。そして資本(金)は、経営者の側に蓄積されていった。
 蓄積された資本は金融業を生み、銀行が社会の重要な仕組みとなっていく。


 それまでの社会は、土地を支配する貴族が小作人を管理する封建制だった。しかし産業革命によって、土地が生み出す農産物より、工場が生み出す工業製品の方がより価値を持つ時代が始まったのである。それによって、産業革命の恩恵を受ける工場主や銀行家に富が集まりつつあった時代に、ベートーヴェンは生きた。

 政治だけでなく、経済構造も大きく変わった時代である。

 現代に続くナンバー・ワンへの信仰は、この時代に始まったと言ってもいい。
 彼自身、音楽家として世界初のナンバー・ワンであり、世界初のフリーランサーとも考えられる。


 もう一歩脱線すると、産業革命とは化石燃料を使用する革命でもある。だから、地球温暖化の起源は、この産業革命とフランス革命の時代にある。莫大なエネルギーを生む化石燃料が、産業革命を実行し、資本家を生み、資本の蓄積と資本主義を生んだと理解できる。

 そんな世界が競争を始める時代に、ベートーヴェンの音楽は発表されたのである。だから、彼の曲が、18世紀から20世紀へと高く評価されたのは、当然だと考えられる。なぜなら彼の中期は、そうした競争の世界を顕しているのだから。

 

 そして、こうした世界をもっとも反映する弦楽四重奏曲は、ラズモフスキーと呼ばれる三曲であろう。

 これら三曲はラズモフスキー伯爵からの注文で創られたもので、そのためにラズモフスキーと呼ばれている。
 たぶん世界の弦楽四重奏曲のなかでも、もっとも人気のある曲のひとつだろう。だから日本でも演奏される機会は圧倒的に多い。

 


 <写真はラズモフスキー伯爵>

 

 ここで取り上げる第9番は、大きな不安に揺れ動く心を感じさせるような序奏で始まり、そこから一気に、ベートーヴェンの自信と野心を歌い上げていく。まるでドラゴンクエストに出発するような始まりである。
 『ベートーヴェン闘いの軌跡』 のなかで、井上氏はこのように書いている。

「ベートーヴェンは、この世の不条理に向かって怒りをぶつけ、己の情念を開放し、情念と共に生きることに己を駆けたといってもよい」

 そんな心を揺さぶる音楽である。

 三楽章から切れ目なしに四楽章へ突き進むが、四楽章を聴くと、わたしはいつも陸上レースにおけるデッドヒートを思い浮かべてしまう。たとえば一万メートル走の最後の一周でトップが何度も入れ替わるような場面である。

 まさに、アスリートの世界が描かれている。そう感じてしまう。


 ベートーヴェン中期の音楽は、本気でスポーツに取り組んだことのある人なら、誰でも心を揺さぶられるに違いない。そうした競争のなかで、彼は 「苦悩を貫いて歓喜へ」 の世界を描いている。
 ちなみに彼のスケッチのこの部分には、次のような走り書きがあるそうだ。

 「おまえがここで社会の渦巻きの中に突進するように、できうるかぎり、あらゆる社会的な障害に屈せず歌劇を書くようにせよ。あまえの聾󠄃については、もはや何の秘密もあるまい」

 

 しかし、前出のアルフィ・コーンに依ると、「ある人間が競争的であればあるほど、自発的ではなくなってしまい、びっくりするようなことにたいしてもますます鈍感になり、認知過程における柔軟性がますます失われてしまう」 という。

 つまり、競争は想像力の減退につながるというのである。
 競争と葛藤に生きたベートーヴェンは中期から後期にかけて、大きな減退期 ・・・・ スランプの期間 ・・・・ を経験する。それについては、後期の弦楽四重奏と絡めて書こう。

 

 アルフィ・コーンは資本主義についても、次のように述べている。

「資本主義の推進力は、利潤の追求にある。資本主義は人間の必要を満たすことに成功しているといわれるが、それは、たんなる偶然によるのである。実際、この目標はひきつづき財の消費をもとめ、財の消費を不断に拡大していくことをもとめるのである。そうした財は、欲求を満たそうとする場合にのみ購入されるのである。広告業界が存在しているのは、こうした欲求を生みだすためであり、いまもっているものについていつでも不安を感じるようにしむけ、また、さらにべつの生産物を購入することによって実現されるものがあるのだと説いて聞かせてやるためなのである」

 

 ラズモフスキーを超えて、ベートーヴェンはしだいにこうした真実に気付いていくことになる。
 そこに彼の真の偉大さがある。

 



 弦楽四重奏曲第9番は世界的に人気のある名曲であるだけに、名演が目白押しである。
 アルバン・ベルクの旧盤は、今でもスタンダードとしての価値が高い。
 緊張感の高い演奏ではタカーチやアルテミスも素晴らしい。
 もちろんエベーヌは必聴の魅力を持っている。
 しかし、ここでわたしが第一に押したいのは、強い悲劇性を感じるカザルス弦楽四重奏団の演奏である。
 ぜひお聴きいただきたい。