新型コロナウイルスに想う・・・・・・ | トナカイの独り言

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 国連のグテーレス事務総長は新型コロナウイルスを、「第2次世界大戦以降における人類最大の危機」 と評しました。

 ほんとうにそうでしょうか? 
 こと感染症という点から考えたなら、新型コロナウイルスは第2次世界大戦どころか、中世以降に人類が遭遇した最大の危機なのではないでしょうか。

 中学生の時、『赤死病の仮面』 という恐ろしい物語を読んだことがあります。中世に大流行したペスト(黒死病) を題材にしたエドガー・アラン・ポーのゴシックミステリーです。一度しか読んだことはなく、内容は覚えていませんが、感じた強い恐怖なら、今でも思い出すことができます。

 

 中世(14世紀)のペストで、世界人口の2割程度が亡くなったと云います。
 しかし現代の医療をしても、イタリアやスペインで感染者の1割の方々が亡くなっています。その数字に、驚きと恐怖を感じざるを得ません。

 

 十代の頃わたしは、しばしば 「人類は癌細胞のようなもの」 と感じていました。際限なく増殖して、地球という母胎を破壊していく悪性の腫瘍のような存在と感じることが多くありました。

 そうした考えから当時のわたしは、人間を都市に押し込めるべきと思っていました。できるだけ小さな空間に人間たちを押し込め、人類の影響の及ばない自然を広げたいと思ったのです。


 やがて年を取り、「人間にも多少は良いところがある」 と感じるようになると、今度は 「都市こそが癌細胞」 と感じるようになりました。
 東京のような大都市が存在していくために、原子力を含む多くの発電所が建てられ、大規模な治水がおこなわれ、大地がコンクリートで覆われ、たくさんの資源が費やされ、吹き出物のように高層ビルが建てられ、化石燃料が消費されていく状況を、とても苦い気持ちで見るようになったのです。
 つまり、「人間はできるだけ小さな規模で、自然のなかで生きるべき」 と感じるようになりました。

 こうした考えを強化した思想に、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの 『森の生活』 や、E・F・シューマッハの 『スモール・イズ・ビューティフル』 がありました。特にわたしは 『スモール・イズ・ビューティフル』 に大きな影響を受けました。新しいところでは、辻信一さんの 『スロー・イズ・ビューティフル』 などからも影響を受けています。

 

 

 ソローやシューマッハの目指す方向性は、現代社会を後戻りさせても良いから、自然(大地やガイア) と共存しようというもので、その先に 「人間も自然の一部であり、地球の一部である」 という考え方があります。

 日本ならこのあたりの心象風景を、宮沢賢治が見事に描いています。

 国際経済学者の水野和夫さんなども、上記の方向性における新経済学を掲げておられるのかもしれません。
 それは、「19世紀や20世紀の経済学は、21世紀の人類を幸せにしない」 というもので、新しい方向性を示しています。そして、彼らの方向性を理解するためには、「お金とは何か?」 を問い直す必要があります。

 今回のコロナウイルスによる国際危機で、真に問われるものこそ、「お金とはなんぞや?」 ではないでしょうか。

 

 

 ほとんどの先進国が国債を発行して予算を計上しています。要するに、個人や家庭なら経済が崩壊した状態で、国の運営が進められています。プライマリーバランスが崩壊し、赤字国債を発行して(これを借金と呼ぶ方もおられますが)運営しています。
 しかし一方で、国には通貨発行権があります。つまり、政府はお金を刷って、自由に配ることができるのです。個人が通貨を発行したら偽札となり罰せられますが、国家なら大丈夫ですし、その権利は国家にあります。


 アメリカは国民に三か月分の所得を保障すると言い、日本でも一世帯30万円を配るとか、個人事業主に100万円とかいうニュースが聞かれます。
 また同時に世界中でベーシックインカム・・・・・国が国民に最低限の生活を送るのに必要な金額を支給する政策・・・・・も討論されていることを忘れてはなりません。
 

 こうした根底に、現代の金融制度の限界が見えています。
 お金は多くの方々が考えているようなものではないという現実が、露わになりつつあります。
 電子マネーやカード決済が推奨される裏にも、こうした問題が隠されています。

 お金の問題と同時に、現代の世界経済の在り方も、大きく問われていると感じます。会社という組織の存在が問われ、労働の仕方やレジャーのあり方すら問われています。
 もしベーシックインカムの社会が生まれたなら、それこそほとんどの国民は 「生きがいのある労働」 しかしなくなるでしょう。いやいやながらお金のために働く必要などなくなりますから。


 今回のコロナウイルスの危機で、否応なく働き方が見直され、生き方すら見直されます。そして、その方向性は都市化・・・・・・人類の集中化・・・・・・ではなく、自然との共存化の方向を示しているように信じられます。
 多くの人々が田舎に住み、半自給自足の生活をしていたのなら、感染を食い止めることは易しいでしょう。そして、良い空気と食材があれば、免疫力も高まるに違いありません。

 この世界的危機を大きなチャンスと捉えて、わたしたちが永続でき、より幸福になる新しい社会の建設を目指すべきです。
 そのためにも、協力や自制、そして目標が必要になります。
 自制(Be Proactive) をもって、目標に向かい(Begin with End in Mind)、協力する(Think Win-Win) などと書くと、まるで有名な 『7つの習慣』 のようですね。
 しかし、まさに今こそ 『7つの習慣』 が必要とされているようにも信じられます。

 人類の機械化度(自動化度)をたとえ後退させても、より自然(ガイア)と共生・共存できる方向性を目指すべきと、わたしには信じられます。
 そうした議論を進めるのに、これほど大きなチャンスはないのではありませんか?