水泳への告白 | トナカイの独り言

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独り言です。トナカイの…。

 ひとつとても大事なことで、昔からわかっていたことを告白しよう。

 だから、この文章には多くの愚痴が含まれている点に注意してください。

 

 告白とは 「水泳がとても不得意だ」 ということである。

 十歳から二十歳までの十年間と三十歳代の半分くらい、それから五十歳をすぎてからずっと、一生懸命泳いでいる。

 でも、水泳が苦手なことは十歳の時、すでに気付いていたように思う。

 小学校時代、水泳以外のスポーツなら、努力せずとも高いラインにいることができたけれど、水泳だけは努力しないと結果がでなかった。

 

 決定的になったのは、高校時代である。

 県の強化指定選手に選ばれ、強化合宿に参加するたびに、その恐怖が訪れた。

 キック練習である。

 50mキック×10本とか20本とか、100mキック×10本とか20本とかいう練習だ。

 50mキックは 90秒 サイクルでおこなわれることが多かったけれど、わたしはすぐに付いていけなくなった。ほとんどの男子選手は 35秒 から 45秒 の間で帰ってくる。女子でも 40秒 から 50秒 くらいで帰ってきた。わたしの場合、55秒 を切れたのは最初の二、三本だけ。あとは一分近くなり、そこから数本で一分以上かかるようになった。

 コーチは最初、わたしがサボっていると思い、かけ声を掛けるくらいでそのままにしていた。でも強化合宿も何度かおこなわれると、キック練習のたび、わたしは女子の最後を泳がされるようになった。

 

 どうしてもキックが速くならなかった。

 走るのも速ければ、ジャンプ力もあり、脚の強さは人並み以上だったが、キックは遅かった。

 足首の柔らかさが問題と言われ、一生懸命足首の柔軟をやったりもした。

 しかし、ある時気付いたのだ。

 フィンを付けたら、わたしがいちばん速いことに。

 フィンをつけたら、男子のキックでトップを取る選手に勝てた。だから、とても悲しい事実を受け入れるしかなかった。小さい足が、原因だと。

 わたしの足は実測すると22センチしかない。そして幅も極端に細い。だから、人の倍くらい打たないとキックの速力では対抗できない。
 よく考えれば、手も同じである。手も小さいので、人の1.5倍くらい掻いて同じスピードなのだ。しかし上半身は人一倍強かったので、倍掻いても追いつくことができた。
 でも、足は努力しても努力してもそこまで行かなかった。

 

 大学時代だったろうか、スイミングスクールで選手の練習を観ていると、他のコーチから 『フルード則』 という言葉が聞こえてきた。
 それを自分なりに調べてみて、ふたたびがっかりした。
 それは船の設計に使われる法則で、「他の条件が全て一定であれば、船が長ければ長いほど速い速度を出せる」 というものだった。とうぜん、スイマーにも適応でき、「同じ条件なら、背の高い人ほど速い」 という結論に導かれる。
 強い水泳選手には背が高くて大きな人が多いという理由の背景に、そんな物理法則まであったのである。
 世界的スイマーで短距離の選手なら、現在男子で190cmくらい。女子でも175cmくらいはあたりまえである。

 

 しかし、そんな不得意な水泳を続けている理由は、やはり水泳が好きだから。そして水泳から得られる自分との対話や肉体との対話に魅力を感じているからである。
 スキーにおいて、曲がらなくなってしまったヒザで今もコブを滑っているのと、とても似ている。限界があるにもかかわらず、できることの範囲内をより深く掘って、開拓できるところを探し、人と異なったところで可能な限り前に進もうとしているのである。

 そんな自分だけれど、つい一週間ほど前の練習で、50mキックにおいて50秒をわずかに切るという記録が出た。タイマーが多少狂っているかも知れないが、人生最速のタイムである。
 そして、4本の50mキックをすべて55秒切って入れるようになった。
 これも人生初である。

 何か胸の中を、じーんとこみ上げてくるものがあった。
 45年以上、これを願ってきたのだから。

 


 もう老年だけれど、まだまだ伸びるところもあることに気づけた。
 そして、できないことができるようになるのは、今でもほんとうに嬉しいことだ。
 そのうち、ふたたび 50キック のタイムが落ちて行くことになる。ただ、その時を少しでも遅らせられるよう、少しずつ努力していきたい。

 

 今日も泳いできます。
 *50Pの4本は、Fly, Fly, Free, Freeです。