恫喝する松本大臣 | トナカイの独り言

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 1990年代初頭のバブル崩壊以降、日本の政治家と官僚の行動にはがっかりするものばかり…。
 これほど長い間、能力に比し低迷を続ける国も珍しいだろう。そんな低迷する日本だが、3月11日以降の対応には、怒りを通り過ぎ、悲しみすら感じてしまう。

 そんな中で7月3日、宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣の発言がTVニュースで流された。

$トナカイの独り言-Matsumoto

 これほど驚いたことも、珍しい。
 以下が簡単な会話である。

 松本大臣「(村井知事が)先にいるのがスジだよな」
 笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとするが、これを拒否。
 要望書を受け取ると、松本大臣が発言した。
 「(水産特区は)県でそれコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々、何もしないぞ。だからちゃんとやれ。今、あとから自分が入ってきたけど、お客さんがくるときは、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。分かったか」
 村井知事「はい」
 松本大臣「しっかり、やれよ」
 そして報道陣に向けて「今の、最後の言葉はオフレコです。いいですか皆さん。いいですか。書いたらその社は終わりだから」

 国が地方に対して、絶対的上位にいるという意識をむき出しにした発言だった。
 理論や善悪でなく、権威による絶対的押しつけ。それが習慣になった人の物言いだった。

 …もう何十年も前のことになるが、わたしは通訳のアルバイトをやっていたことがある。
 地域を代表する企業の社長さんたちの通訳として、さまざまな会議に出席した。また、全日本スキー連盟の通訳として会議に出席したこともたびたびある。

 そんな時いちばん困ったのは、権威を盾にした日本人の発言を、相手にどう伝えるかだった。
 そのまま訳した場合、相手が先進国の人である場合、よほどの事情がない限り、人間として相手にされなくなるからだ。なぜなら、それは独裁主義的発言と理解され、その時点で会議や会談する意味を失うからである。

 もう三十年も前にさんざん苦労したこと、日本の権威者たちに民主的発言というものを理解してもらおうと、わたしなりに努力した日々を思い出した。
 そして独裁的発言の最たるものを、この危機的状況を担う復興担当大臣から聴くという恐ろしい放送だった。

  「今のはオフレコ。書いたらその社は終わり」という発言は、いったいどこから出てくるのだろうか。この発言は、公務員職権濫用罪(刑法193条)に十分引っかかるものとわたしは考える。

 わたしたち日本人は長い間努力を続け、こうした権威主義から脱しようと努力して来なかっただろうか。真の民主主義を確立しようと、努力して来なかっただろうか。

 もし物事が権威や立場だけで決まるなら、戦前の社会に戻せばいい。
 松本大臣の発言が許される国は、もう北朝鮮の他わずかな数しかこの地球上に残っていない。

 上記の発言以外にもニュースに流された言葉の中に、 「人間性を問われる」 とか 「資質を問われる」 とかいう段階を超え、公務員職権濫用罪に問われる発言がいくつもあった。 

 こうした人間を政治家として認めてきた選挙民も、反省すべきであろう。
 彼を復興担当大臣に選んだ総理や政権も、同罪である。

 計らずも、わたしたち日本人はまだまだ十分に民主化されていないことを、深く実感した事件となった。
 せめてもの救いは、ツイッターで聴かれる高レベルな発言の数々であろう。

 国の権威を振りかざす大臣や政権。
 これをきっかけに、地方が国を頼らず、地域地域で自治を強化する方向に動くといい。

 「上部に行くほど無能になる日本社会」 とは良く言われることだが、今回ほど悲しいニュースもめったにない。自覚した日本人たちが力を合わせ、これまでの日本を変えて行くしかないのだろう。
 「国に頼ってはより悪くなる」 くらいの自覚が必要かもしれない。

 松本大臣の発言は、もっともっと問題視されるべきです。

 この記事を書いて間もなく、松本復興相が辞意を表明した。
 辞めるときも、理解できない論理を振りかざし、政治家というものに対する不信感を大いに増すことに貢献してくれた。
 何をしなければならないかは、明確に見えている。
 挙国一致という言葉は、今こそ使われるべきなのだ。