ハローワークでパソコン見てたら面接してみようかな、と思った仕事が3つあったんです。

しかし、実家への引っ越しを控えているので、長期で働けないくせに面接するには会社にも迷惑をかけてしまいます。

一向に、引っ越しの話が進んでない現状(姉の荷物は片付かないまま)で、旦那的にはどーゆうつもりでいるのか?

聞きましたら

旦那『アンナが死んでからが望ましい』

私『あと2年くらい生きても?』

旦那『そこまで待てんな。オヤジ、ホントに危ないもん。(認知症)』

私「引っ越して、私はオヤジを見張ってればいいの?オヤジの相手さえしてりゃいいわけ?私、働かんくてもいいの?」

旦那『とんあかちゃんが働きたければ働けばいいし、オヤジと喫茶店行ったり、友達と遊んでたり専業主婦しててもいいよ』


まだまだ元気なアンナ様です

私は舌癌の術後、3ヶ月で社会復帰しました。あの時は、とにかく社会と繋がっていないと孤独と不安で押しつぶされそうだった。子供がいるわけでもないし、喋らなければ旦那さんが帰宅するまで無言(リハビリの音読だけ)でしたし、こんな障害を背負った自分が、社会からポツンと取り残されたような気持ちになり怖くてたまりませんでした。 

それからすぐにコロナ禍になり、友達らとも会う機会はなくなり、こんな自分でも社会で働けている事が嬉しく、仕事が生きがいでもありました気づき


しかし、今はどーでしょうキラキラハート

コロナは終息し、友達と会う機会も増え、ソロ活の楽しみを知ってしまったワタクシは、働いてなくても毎日毎日予定ギューギュー詰めです。1日なんてアッとゆーまですし、現在プー太郎でも(あー、退屈だな。今日ヒマだな。今日何しよっかなー!)なんて思う事は全くないのです爆笑

むしろ、1日24時間じゃ足らん😅

まー、忙しいダッシュ


金に余裕さえあれば、このまま働かずに、自分のやりたいことをやって、老い先短いアンナと一緒に過ごし、旦那さんのデカ盛り夕飯を14時から作りにかかって、という今の暮らしでも良い気がしてきました知らんぷり


私「でも、働かんと金銭的にやっていけんじゃん。オヤジと一緒に住むようになったら家計費はどーゆう形になるの?食費やら光熱費は折半なのか、ワタシらはいくらオヤジに渡せばいいの?」

旦那さん「いらんのじゃない?オヤジが出すって」←オヤジには年金以外に貸地収入があります

私「おみゃーさん達が住み始めたら光熱費が倍になったがや、とか、ワシャ少食なのに、おみゃーさんらが沢山食べるで食費出してもらわんと困るがや、とか言いそう」

旦那さん「一回、そーゆー話しもしにオヤジんとこ行こっか」


と、そんな話をすれば引っ越しの話しが急ピッチに進む事になるのはわかっていたけど、ある程度はこれからの生活を想像しておきたいので、オヤジを訪ねたのでありますあしあと


つづく