指揮:ジョナサン・ノット

演奏:東京交響楽団

ソプラノ:髙橋絵理

メゾソプラノ:ドロティア・ラング

テノール:ベンヤミン・ブルンス


曲目

武満徹:鳥は星形の庭に降りる

ベルク:演奏会用アリア「ぶどう酒」

マーラー:大地の歌


今週末の在京オケの定期演奏会には音楽監督や首席、首席客演などの冠付き指揮者が大集合。バッティング多数で、嬉しい悩みとなりました。

その中で選んだのが、ノット指揮東響の武満、ベルク、マーラーのプログラム。


ノット&東響のマーラーは9、3、2、7、6番の順に聴いてきました。今回は「大地の歌」。どうやら全交響曲の完結編のようです。個人的には今までは3番(15年)、7番(19年)の順にいい印象が残っていますが、今回もそれらに匹敵する素晴らしさでした。

この日はダブルコンサートマスター、さらにクラリネットとフルートはダブル首席、ヴィオラはトリプル首席とすごい勢揃いです。


弦もいつもより濃いめで、何より素晴らしかったのは木管楽器。フルート、オーボエ、クラリネットのソロはもちろんのこと、各フレーズで特に木管には強めのアクセントをつけていたように思います。

カーテンコールでノット監督がソロ奏者だけでなく存在感のあったイングリッシュホルン、コントラファゴット、バスクラリネット、ピッコロを一人一人労っていたのにはとても共感しました。

スコアが読めないので記憶でしかないですが、例えば2楽章のフルート?/オーボエのソロの後にファゴットの暗い響きとか、フィナーレの真ん中あたり、木管のモノローグの後にコントラバスが長く同じ音をずーっと弾き続けるあたりとか、注意しないと生でしか聴こえない。


このコンビはあまり耽美的にならないマーラーですが、今回は後期の爛熟したオーケストレーションを蠱惑的な響きでたっぷり楽しめた印象。

李白他の漢詩をもとにした曲想で、東洋的な旋律も多く、個人的には中華圏のオーケストラでもこの曲を聴いた時に、この曲と東洋とのつながりを強く感じました。何より歌詞は、中年にとってはしんみりと考えさせる内容が多いです。

5曲目の“Wenn nur ein Traum das Leben ist, warum denn Müh und Plag? 人生が夢に過ぎないのなら、なぜ苦労するのか?”

とか、

最終楽章の”Er fragte ihn, wohin er fuhre und auch warum es müßte sein. 彼はどこに行くのか、なぜそうしなければならないのかと尋ねた。”とか。

そして最後はewig=永遠に、とチェレスタの伴奏を得て独唱が少しずつ消えていき終結を迎えます。マーラーの交響曲は従来とはスケール、規模が違い、哲学的でもあり、宇宙的でもありますが、9番やこの「大地の歌」は終わりが近づいていることを感じずにはいられず、切ないですね。

独唱2人の方は安定していましたが、声よりも歌詞の方を追っていたのと1楽章を中心にオケの音量が大きかったので、あまり印象に残らなかったというところです。


前半の武満やベルクは、大地の歌で頻繁に出てくる酒やワインとのつながりを意識したノット監督らしい選曲の意図を感じるのですが、私には武満もベルクも何を聴いても同じに聴こえてしまう。今までもマーラーとのカップリングで前座に新ウィーン楽派の難曲を何回も演奏しているのに、全く響いてこず申し訳ない気分です。



終演後の楽員さん、先月のオラモの時と比べて明らかに笑顔が多かったように見えましたがどうでしょうか。

コロナ後は極端にスタオベが多くてこれで呼び出すの?と不思議に思う日はさっさと退席するのですが、この日は納得でした。



話しは変わりますが、演奏とは関係ないですが、ノット監督、髪をかなり切りましたね。こんなことここに書く人いないと思うけど。