…と言いつつ数年放置してしまったが、やっと進展したので、自分自身の薬害を受けた経緯の覚書としても記録に残すことにする。
まずは、病状発覚からの経緯がやっと詳細に判明したので、それを以下に記す。
母が完全にボケる前にちゃんと確認しておいてよかった…
(´・ω・`)
オレ
昭和43年8月生まれ オス
【幼少期(3~5歳ごろ)】
頻繁に喘息発作を起こし、その都度小児科医を受診。肺炎になりかけたりしたこともあったらしく、やばかった様子。受診のたび、当時出回り始めていた解熱剤・抗生物質の注射を両肩三角筋および大腿四頭筋に注射(主に左肩に多く打った)
【小学校入学前(6歳)~小学校入学】
昭和49年、入学前集団検診にて左肩周りの異変の指摘を受ける(同時に脊椎側弯症も指摘された)
昭和50年2月、岩見沢市立総合病院整形外科を受診、三角筋短縮症の診断を受ける(診断書はもらわなかった様子)
昭和50年3月 当時主流だった、拘縮した三角筋を切断する手術を拒否、それ以外の方法でADLをある程度確保できないか、と模索するため、叔父の勧めもあり静岡の沖ヨガ道場(日本にヨガを持ち込んだ 故 沖正弘 氏が開いた道場。ヨガは沖ヨガ以外認めない(は? )に泊まり込むことになる。小学校入学はもちろん静岡県三島市の沢地小学校へ。昭和50年の夏休みまで静岡で過ごし、その後は岩見沢に戻る。
以後、小学校在学中は夏・冬の長期休暇時は2週間程度ヨガ道場へ通う。
【小学校4年生ごろ~小学校卒業】
空知地方は三角筋短縮症の被害が大きかったらしく、その親が騒ぎ出し、当該小児科医が被害者・家族の前で土下座して「私財すべてをなげうってでも賠償する」と謝罪(母からの話。コロナワクチンにかかわった医師どもにはできない、立派な行為)。さすがに個人にすべて責任を負わせるわけにはいかない、とのことで、岩見沢医師会が主体となり(未確認)、定期健診、リハビリ通院、温水プールの無料など様々な「補償」が始まる。確かに、このころから放課後に小学校の近くの整形外科に定期的にリハビリに通ったり、温水プールを無料で利用していた記憶がある。
※今回臨床調査票をとりよせるにあたり岩見沢市立総合病院に情報を照会したところ、小学校4年生のころに診断とあったが、母の記憶では小学校に上がる年の2月に診断を受けているのは間違いない(それでヨガ道場に通う流れとなった)。50年以上前の話なので初診時の診断に関しては記録が喪失されているのだろうが、その後の定期健診の記録は薬害ということもあり保管されていたものと思われ、それで小学校4年生の頃に診断、となっていた様子)。
一応、当該医師の弁明としては、MR(医薬販売員)より「とてもよく効く薬剤」と半ば強引に押し付けられたらしい(母の記憶)。
【中学校入学~社会人】
中学校に入学してからは部活などもありヨガ道場へは通わなくなっていた。三角筋短縮症患者のうち、三角筋切断手術を受けていた同年代の人たちは、腕を水平まで挙上するのにも困難さがみられていた。
私はその手術を受けず、いろいろな運動をすることによりある程度の運動機能は保たれていたが、それでも肩関節の可動域制限がかなりあり、左手で右肩をつかめない、元来左利きだったのに左でのオーバースローができない、など、生活や運動に若干の支障をきたしていた。
どうにか生活できていたがため、それ以後数十年にわたり三角筋短縮症に関しては特に治療や検査などをすることもなくアラ還となる。
【アラ還(現在)】
2021年
新型コロナワクチンの強引な推し進め方を目の当たりにし、これは相当大きな薬害に発展するのではないかと思い始めたと同時に、そういえば自分自身も薬害の当事者だったことを思い出す(おせぇよ
インターネッツ()時代の昨今、ぱちょこんでちょちょいっとググってみたら、いろいろ情報が出るわ出るわ。
Wikipedia 「筋短縮症」
立憲民主党 阿部知子
第200回国会質問の一覧 衆議院 (2019年10月15日)
ここで身障者手帳を申請できることを知る。
特に、筋拘縮症の会のサイトにあった診断基準を見るに、オレは左肩に関しては重重度だったことが判明。
身障者手帳を申請する決意を固める。
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固めただけ
orz
長くなったので、その後の経緯に関しては次記事とする。
