昭和2年岩手県の花泉遺跡で出土したバイソン化石

現在の家畜化された牛とは違い、アメリカ野牛やヨーロッパ野牛(バイソン)に近い種類で、プリスクス野牛という種類といわれます。今から2万年程前の第四紀更新世末期のウルム氷期という時代の野牛です。氷河が大陸を広く覆ったため海水が減少し日本列島は北方のシベリア大陸と陸続きになり、シベリアサハリン北海道本州というルートでハナイズミモリウシなど動物群が南下してきたと考えられています。

約2万年前の遺跡から出土した骨の中に肋骨で作った骨角器があります。この時代に日本列島に人間が存在し、ハナイズミモリウシは、狩猟され骨や角は骨角器、肉は食料、皮は衣服に利用されました。また骨の中の髄を食べた骨片も見つかっています。
  岩手で発掘されたバイソンの先祖ハナイズミモリウシ

和牛 

和牛品種には、黒毛和種、褐毛和種、無角和種、日本短角種の4品種があります。

 このうち、褐毛和種は品種改良の過程が異なる高知系と熊本系の2つの系統を含んでいます。これらは全て肉用品種ですが、霜降りの入った高級牛肉を生産する品種は、黒毛和種であり、その飼養頭数は、和牛のうち約9割を占めます。前沢牛も黒毛和種です。

 和牛品種は、純粋な日本のウシで無く明治時代に体の小さかった和牛と、大型の海外品種による交配させ品種改良された。現在の和牛品種は交雑牛、改良和種という過程を経て、昭和19年(1944)に固定されたものです。〔日本短角種は昭和32年(1957)〕。その結果として日本各地の純粋な和牛は姿を消した。純粋な日本の在来種は、山口県見島の見島牛と鹿児島県口之島の口之島牛のみです。見島牛の産地は、国指定天然記念物に指定されています。口之島牛は、大正時代の初期に山に逃げたウシが再野生化したもので、現在でも野生状態で棲息しています。

荷物の運搬をしていた見島牛 役牛として活躍していた見島牛 
  役牛の見島牛(昭和初期)  荷物の運搬をする見島牛(昭和初期)
写真1 写真2 
  無角和種(オス)                        日本短角種 
写真3 写真4 
  黒毛和種(オス)                         褐毛(あかげ)和種 

天然記念物 見島牛 幻のブランド牛

萩市北方45kmの日本海に浮かぶ孤島にひっそり生きる和牛の純血種です。室町時代の古文書に飼育の記録が残され、農耕用の役牛として利用されてきた。萩市沖の離島のため外国種と交配を免れ純血和種の飼養地として、昭和3年に天然記念物に指定された。1932(昭和7)年の最盛期には約700頭も飼育され、年に1回の子牛市場も開かれるなど流通も盛んに行われていた。しかし、農業の機械化により役用牛としての地位を失い頭数は減少し、1974(昭和49)年には31頭まで減少した。1967(昭和42)年に見島牛保存会が発足し、増頭に取り組み雌85頭、雄14頭(平成18年)が飼育される。現在、見島牛は見島牛保存会の7戸の農家によって保護され育てられている。その中から食肉用として出回るのは年間12~13頭と、非常に希少だ。和牛の霜降り肉の「起源」であり和牛本来の「自然な」霜降りを持っている。何世紀にもわたり純血を保ってきたため、遺伝的に脂肪交雑(霜降り)の能力が高まってきたと言われる。また、農耕用などの役用牛として使われてきたことと、草だけの低栄養に耐えてきたため、筋肉内にエネルギーを蓄える性質も高めた。そして見島牛の特質を生かす飼育方法でこのエネルギーを脂肪に転換することで、全身の肉が素晴らしい霜降り肉になる優秀な能力を持っている。

 山口の在来牛、見島牛 動画 http://www.tokyo-zoo.net/movie/mov_book/0812_04/index.html 

黒毛和種 

1900年(明治33年)から在来種の改良の為に輸入した欧州系と交雑されたが、各県によりばらばらであり、島根県ではデボン種、広島県でショートホーン種、兵庫県・鳥取県ではブラウンスイス種といった具合で、体型・体格ともまちまちであった。旧国名を付け千屋牛、因伯牛、但馬牛などと称した。

但馬牛

小型で丈夫で多産なため棚田など小面積の水田が多い但馬地方で水田耕作や輸送に用した役牛として育てられました。 1310年の書物「国牛十図」に「骨ほそく宍かたく皮うすく腰背まろし角爪ことにかたく鼻の孔ひろし逸物おぼし」と資質の優れた牛として書かれます。 明治以降の洋食文化の浸透、戦後の農作業の機械化の進む中で、但馬地方の黒牛は、肉専用の牛として改良が進められました。 日本各地で海外品種や他の系統の牛との交配が積極的に進められるなか、但馬牛の純血を保った改良を続けるため、全て優秀な但馬牛だけを交配に用い、とくに美方郡部で飼育される黒毛和種は他に例をみない特殊な牛となった。

江戸時代末期、西日本各地で格別優れた牛の血統を蔓牛(つるうし)作りが盛んになり、 但馬では有名な蔓牛が作られた。 但馬牛の蔓牛に、あつた蔓、ふき蔓、よし蔓、やぎたに蔓、いなきば蔓の5系統あり、 最も優秀な蔓牛はあつた蔓で別名周助蔓と呼ばれる。 兵庫県美方郡の農家、前田周助(17981872)が創出した「周助蔓」を祖先にする系統です。 幼い頃から牛を見分ける目があり、苦労して優れたメス牛を集めて交配し、親戚や近隣の人の助けを得て、優れた血統をつくることに成功したそうです。 その品種を維持するため他の地域の牛と血が混じらないよう管理することが大変らしく、 現在はあつた蔓、ふき蔓、よし蔓の3系統があります。 但馬牛の畜産農家は、母牛を飼育し出産させ子牛市場で子牛を売る繁殖牧場農家と 買い取ってきた子牛を育て肉用として売る肥育牧場農家と繁殖、肥育を両立している牧場農家 に分かれます。 神戸、松坂、近江では、そのほとんどが肥育農家です。 その子牛たちの仕込先として特別なブランドとなっているのが、但馬地方産、中でも美方郡産の但馬牛です。 かたくなに伝統と血統を守り抜いた極上牛の但馬牛は、優れた伝統と血統を持つ品種で、その起源は古く、平安時代に編纂された「続日本書紀」で耕運、輓用、食用に適すと書され、古来より優秀な血統として認められています。但馬地方は日本海に接し、1000m級の山に囲まれている山間で、夏は昼と夜の気温差が大きくて夜露が降りるために軟らかい草がよく生えます。 のんびりとこの草をたべ、ミネラルの多い水をたっぷり与えられ、マッサージを受け皮膚皮毛は柔軟になっていき、 生後6ヶ月位までの仔牛の間に険しい斜面で運動し体を鍛える為、 各銘柄産地に出荷された後、素質が花開き上質の松坂牛・神戸牛を始めとする全国の高級な銘柄和牛になります。



 幻の見島牛がシアトルで7ドルで売られる?米国育ちのAmerican Style Kobe Beefです

神戸牛

慶応3年神戸港開港で日本へ来た外人は、牛肉が食べたくて牛車など荷役用の牛を馬喰から買い求めました。外人たちは自分たちで解体し食べていた。たまたま但馬牛を口にして美味しさの虜になったそうです。当時の日本に食習慣なく宗教上から屠殺も嫌われ、外国人が屠畜場や肉屋を開設したのです。やがて美味しい牛肉は「Kobe Beef」として世界に伝わり賞賛されます。神戸で最初に牛肉店を始めたのは、慶応3年ごろ、キルビー商会の英国人エドワード・チャールズ・キルビーEdward Charles Kirbyです。因みにキルビー商会の従業員が後にハンター商会を起こすエドワード・ハズレット・ハンターです。(子孫は日本に帰化しており、何時か書きます)
1869
(明治元年)に神戸元町に開店した牛鍋専門店「関門月下亭」が神戸最古の日本人経営の牛肉料理店です。神戸牛という生きた牛は存在しません。但馬牛のうち一定の品質基準を満たす牛肉を「神戸肉・神戸ビーフ」と呼びます。神戸牛とは「枝肉」になってから認定される呼び名です。

http://catalogue.nla.gov.au/fcgi-bin/nlathumb.fcgi?id=3379540&mode= Edward Charles Kirby