父がおなかを壊して救急病院に運ばれた。
症状はたいしたことがなかったのだが、トイレに間に合わなかったことで母が動転してわたしに電話をしてきた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」という声を聞いて、わたしも思わず「救急車を呼んで」と言ったのが発端だった。
病院に運ばれると、流れとしては検査となる。
レントゲン、尿検査、血液検査、CT……。最近は、初めに、コロナかどうかも検査するので時間もかかる。
搬送されたのが夕方だったせいか、帰宅したのは夜中になった。
翌日、同じ病院の消化器内科に行くと、女医さんがはきはきとした口調で、「おそらく腸炎だと思いますが、確定診断とするためには、除外診断として、大腸内視鏡検査が必要です」
ときっぱり。
いろいろ質問する余裕もなく、てきぱきと話を前に進めていく。
その勢いにおされて、同意書を書いてしまったが家に帰ってから疑問がわいてきた。
父は60代の頃、腸のせん孔を起こし、腸も癒着している。
内視鏡の副作用に、腸のせん孔と書いてある。まれに死亡することもあるという。
癒着している腸の間を、器具がぐいぐい押し進めていったら破れるのではないか?
わたし自身が内視鏡では毎回苦労しているので、よけい恐怖心がわく。
検査をするリスクとしないリスク、どちらが大きいのか?
(そういえば、コロナワクチンの時にも、するリスクとしないリスクについて、そうとう議論されたっけ。)
しかし今回は極めて個人的な事情がある。
父は今年90歳。検査台に上がるのも覚束ないだろう。そもそも、前準備としてのあの大量の下剤に耐えられるのか。
検査日がひと月も先で、そののんびり感が、検査の必要性のなさを物語っているようにも感じられる。
検査を受けるか受けないか、父母とわたしの3人で話し合っても堂々巡りで、らちがあかないので、近所のかかりつけ医に相談すると、「検査をしないでいいですと言って、後で何か見つかったら、お互いに嫌じゃないですか。だからやったほうがいいですよ、とは言います。でもこれが自分の親だったらすすめません」とポロリ。
医師の立場と本音は違うのだ。
ひとまず、保留にして、しばらく父の体調をみることにした。
で、1週間たった本日、実家に電話すると、検査はキャンセルしたという。
90歳になれば、なんやかや、体の不具合はあるもの。もう今さら、検査で体に負担をかけたくないという。
正直ほっとした。ほっとしたが、キャンセルしたことを教えてほしかった、こっちはネットで調べたり、どうしたらいいものかと悶々と悩んでいたのに……と怒りもわく。
振り回されるだけ振り回されて置き去りにされたような虚しさが残る。
(と言っても、勝手に巻き込まれていった感もあるのだが)。
今回に限らず、急に電話で呼ばれたり、そうかと思うと、やっぱり来なくていいと言われたり、その時の母の感情に振り回されることが多くなった。
年を重ね過ぎると、回りを配慮する精神的余地というものがなくなるのだろうか。
気の向くままに突き進むのみ! というような。
悪意でないのはわかっているが、昔からそういうところがあったよね、と過去の記憶が蘇ってくるので、葛藤も深くなる。