ケアマネさんと月に1度の面接があった。

ひと月に1度と決まっているものの、人手不足なのか、こちらから声をかけないとなかなか面接の順番がまわってこない。

父の介護のときには、退院に伴うベッドの搬入や、通院に必要な介護タクシーの手配など、こちらが気の付かないところにも目が行き届いてまめまめしく動いてくれたので、ご無沙汰気味であるということは、よく言えば、それだけ母の状況が落ち着いていると思われているのだろうか。

 

とはいうものの、傍目には落ち着いているようでも、ある日突然、思いがけない事態が起こって、こちらがどぎまぎすることがある。

母の場合、夜中や朝、夢か現(うつつ)かの状況の時間帯に調子が狂うようである。

 

先日は、週4日利用しているデイサービスがいきなり不審の対象になったらしく、「あそこはまともなところなの?  騙されてるってことはないの?」と急に不穏な発言が彼女から飛び出した。

すでに半年も通ってずいぶん馴染んでいる場所なのにである。

デイサービスに行ってもらっているという負い目がこちらにもあるので、なおのこと、わたしのほうも不穏な気分になって、なだめる声もつい、トゲトゲしくなる。

最近の個人情報流出のニュースが母にはわけがわからないなりにも小耳に残っており、その不穏な世の中の動きが、母の不安と同期したのだろうか。

 またある時は、夜の夜中にバタンドタンとドアを勢いよく閉める音や、なにかに向かってものを投げつけている音が、1階から一晩中聞こえてきたこともある。

これって嫌がらせ? と思えば思うほど、挑発に乗ってなるものかとこちらも無視を決め込んだが、結局一睡もできなかった。

驚くべきことに、母自身はこの行動を翌日になって覚えていないのである。

 

そんなエピソードは、ここ2,3年で増えた。

生協の宅配システムを利用していたときには、配達員がびっくりするような量の食物を頼んで、「こんなにたくさん頼んだ覚えがない!」ときっぱり言い切って、まるで業者側が悪者であるかのような憤りぶりだった。

しかし、あの時はまだ、自分で注文することができていたのだな、とも思う。

いろんな方面で、加齢に伴う衰えは進んでいる。

しょっちゅう顔を合わせていると、その進み具合は少しずつなのであまり気がつかないが、足のひょろつきだけだった体の不具合も、最近では、腰の丸まりも目立つようになってきた。

要介護1が2になり、使えるサービスが増えたが、「よかったね」というのも複雑な気分だ。

 

有料老人ホームの見学は済ませた。

手頃なところは、キャンセル待ちが多い。

今回の面接では、老人ホームが空くまでの待機場所としても使えるショートステイの「お試し利用」を提案された。

夕方自宅に帰ってくるデイサービスとは違い、お泊りするのはどんな感じなのか、余裕がある今のうちに体験しておくといいらしい。

ついにお泊りや入所を本格的に考えなくてはならない段階にきたのか。

「お試し」という言葉が、「ずっとそこで暮らすわけではないんだよ」という救いの響きをわずかに帯びているようにも感じられる。

 

近所のショートステイ施設の状況を2,3、ケアマネさんに調べてもらうことにした。

ひとくちにショートステイといっても、介護老人保健施設が併設されているもの、デイサービスだけが併設されているものなどいろんな種類があるのだ。

頼んだものの、心のどこかで、「ショートの部屋が空きましたよ」という彼女からの連絡が来るのを恐れている。

なるべく先送りにしたいと心のどこかで思っている。

自身の衰えを一番自覚しているのは母本人だ。

「どこでもいいから安い施設に放り込んでちょうだい」と、しょっちゅうせっつかれると、こちらもどう答えていいかわからない。

そもそも、母の本音がわからない。

 

いざとなれば、リクレーションのプログラムがどうの、リハビリのプログラムがどうのと選り好みなどしている余裕などないだろう。

現状維持をどうにか保ってほしいという気持ちと、これ以上しんどい場面が増えていったら在宅ではとても持ちこたえられないだろうという予測。

自分の都合もあれやこれやと脳裏をかすめる。

 

明日は、長らく放ったらかしだった庭の芝刈りの業者がはいる。

母は(外面がいいので)、他人が来ると、実に愛想がよく、多少シャキッとする。

どんより感がその間だけでも、消え失せる。

受け答えも普通だ。

その日はちょうどデイサービスがお休みでもある。

いっときでも他人が来て紛れる時間が持てると思うと本当にほっとする。

「介護者のつどい」に参加する。

普段母がお世話になっている地域包括支援センターとは別の会場である。

住所地管轄の包括だと、担当のケアマネもいることだし、こちらの情報を伝えやすいというメリットもあるが、伝わってほしくない情報もあり、必ずしも便利とばかりとは言えない。

また、メンバーも変われば、これまでと違う新しい情報や考え方に触れることもできる。

場所を変えて参加してみるのも有りである。

 

さて、初めての会場でのつどい。

司会者は新任のケアマネさんと社会福祉士、いずれも若い女性である。

参加者は、奥様を在宅介護されているA氏と、デイサービスやショートステイを利用しつつ、仕事もしながらお母様を在宅介護されているB氏、そしてわたしの3人である。

 

まずは初対面のわたしが自己紹介を兼ねて話す。

次にあとのふたりが近況報告。

(わたしもそうだが)、おふたりとも、それぞれ話したい事がてんこ盛りのご様子。

自分の話をしたくてしたくてうずうずしているのが伝わってくる。

それだけ日頃、ため込んでいるものが多いのだろう。

役に立ちそうな情報も披露したいだろうし。

 

A氏は、昨年身内に不幸があり、奥様が意気消沈されているという。

しかし一から料理を作って夫をもてなそうと日々、がんばっているとのこと。

認知機能が衰えてきても、長年家事に料理にといそしんできた感覚は健在だ。

昨年、父を亡くした母が、ひとまわりもふたまわりも小さく縮んで、身だしなみもなんとなく荒れてきて、生きる意欲そのものがそがれているように感じることがある。

配偶者の存在は本当に大きいのだなあと思う。

 

つどいに参加していつも思うのは、「男性は優しい」ということだ。

わたしがつい母に向かって「この前も言ったでしょ!」だのなんだのときつく言い放ってしまって後味ワルイ思いをする話をすると、共感する男性の参加者は(少なくとも表立っては)いらっしゃらない。

それどころか、A氏曰く「そういう言いかたは絶対しないようにしてます。本にも書いてありましたし。優しく、ではなく「寛大に」をこころがけております。あと、デイサービス、あれはわたしは参加したくないですね。自分の参加したくないものに家内を連れて行きたくない」ときっぱり。

はああ~、そうですか。模範的なご意見になにやら責められているような……。

なるべく多くデイサービスをいれまくっているわたしにはチクチク刺さる。

司会のおふたりも感心なさっている。

 

一方B氏は、「デイサービスは週3日。あとはショートステイに行ってもらってます。ショートは本当に楽で、こんなことならもっと早く利用すればよかった!この日に合わせて飲み会をいれてます!!」とさばさばしたものである。

現役世代なら、介護サービスは欠かせないだろう。

ショートステイといえば、家族の入院とか、親戚の法事とか、やむをえないときに利用するイメージがあったが、そういうわけでもなさそうだ。

介護サービスは介護者のもの、という原則が頭に浮かぶ。

母がショートサービスを利用している間に旅行に行ってみたらどうだろう。スマホ着信にいちいちドキドキするかな、楽しめるかなあ、としばし想像してみる。

B氏は、デイサービスの意味についていまひとつ理解ができないお母様のために、毎朝毎朝時間をかけて、本日の予定を噛んで含めるように丁寧に説明しているそうだ。

その口ぶりたるや、本当に穏やかで、毎朝繰り返しているとあって、板についている。

そこでもまたふたりの司会者が「お優しい~!」と感嘆の声をあげる。

息抜きの時間をたっぷり持つことができているがゆえの余裕と優しさかもしれないが、客観的な目と、心の距離感って大事だわ、と思った1日だった。

「ツルッツルで土管みたい」

わたしの胃カメラ検査を終えた医師が開口一番そう言った。

なんでも、慢性胃炎の痕跡だらけで、本来あるべき「ヒダ」がないのだそうだ。

「(ヒダがなくて、)まあ、きれいなんだけどね」と医師。

褒められても(褒めてはいないが)うれしくはない。

治療の手段はないらしい。

職場で受けていたバリウム検査で、毎年のように「慢性胃炎」と指摘されていたが、そんなことになっていたのか。

空腹時の胃のチクチク感や、キリキリすることなんかを訴えてみたが、それとこれとは関係がないと言う。

それよりも、前回の血液検査の結果で、基準値よりも少し外れている項目があるとかで、医師が首をかしげている。

医師が首をかしげると、たちまち不安になる。

医師には、結果がどうあれ、きぜんとしていてほしい。

「わかって」いてほしいのだ。

 

診察室を出てから緊張がとれたのか、「土管」ってなによ? これは医師のユーモア? それとも単に口が悪いだけ? とモヤモヤとしてきた。

最近は、土管や、それが転がっていた原っぱがなくなってきて、リアル土管を見かけることがなくなった。

アニメ「ドラえもん」で、子供たちのたまり場、ジャイアンがその上でマイクを握りしめて美声?を奏でていたあの土管が思い浮かぶ。

たいてい3つ重なっていてね。

そんなことを思うのも、とりあえず検査でワルイできものが見つからなかった安堵と余裕からか?

 

「麻酔が効いてますから検査後1時間は、何も食べないでください」と言われたものの、昨日の昼間からろくに飲食をしていない。

30分しか経っていないが、待ちきれずにマックに向かう。

ハンバーガーとポテト、アイスコーヒーといった昔懐かしの定番だが、空腹時にはなによりのごちそう。

食べられることのありがたみを本日だけはかみしめる。

今週と来週は、通院週間である。

 

本日はその第一弾、眼科での視野検査であった。

母が無事にデイサービスに出かけてくれたので、わたしも出かけることができる。

いつのまにか、通院でさえ、「綱渡り」になっている。

 

59歳のときに「緑内障の疑い」といわれて早や4年。

今のところ視野の欠落もなく、眼圧も正常。疲れ目と潤いの目薬だけで間に合っている。

眼科医に言わせれば、「重度の近眼で、神経がうっす~い」のだそうだ。

緑内障は遺伝的な要素が大きい。

父が重度の緑内障だったことや、母が強度の近眼であるという情報も、医師の判断に影響したかもしれない。

診断された当初は、カフェインがよくないという噂をうのみにして、せっかく買ったコーヒーメーカーを泣く泣く処分したが、それも今は昔。

どうやらコーヒーの1杯や2杯ならどうってことがないらしいとわかってからは、毎日1杯のコーヒーは欠かせない。

 

さてこの視野検査。

何度やっても慣れない。

機械をのぞきこみ目を1点に合わせ、光が見えたら手元のボタンを押すもぐらたたきゲームのようなもの。

1点を見つめたままそらしてはいけないというルールが手ごわい。

つい、光につられて視線が引っ張られる。

さらに、「あ、光った」と思ってからボタンを押すまでの運動神経が問われる。

「あれ? 今のは光った?」とかなんとか思っているうちに、次の光が出る。

光ってもないのに、つい押してしまったりする。

「みなさん、(この検査は)苦手だとおっしゃるんですよお」とスタッフが慰めてくれる。

結果は異状なし。

検査結果がよければ、多少のストレスは報われる。

 

あとは胃カメラだのがん検診だの、母のインフルエンザ予防注射だのが目白押し……。

昨年の胃カメラでは、残留物が残っており、再検査となったっけ。

必要とされる場所が、医療機関だらけになってきたぞ。

カウンセリングを受けている最中に、カウンセラーS氏のスマホから緊急地震速報が流れた。

ブヨブヨブヨ、とゴム長靴を踏みしめるような不穏な音。

これまで何度聞いても慣れない。

いつもだったら、音が鳴りやむ直前あたりで、グラグラッとくるのだが、一向に揺れない。

S氏が、話を中断し、慣れない手つきでスマホを検索する。

「千島列島がどうのこうの」とおっしゃる。

が、要領をえない。

千島列島の地震が関東のここまで影響を及ぼす? 津波ってこと?

肝心のカウンセリングそっちのけで、”なぞ”の速報についての話題でもりあがる。

結局、速報は誤りだとわかった。

緊急地震速報の誤報は初めてだそうだ。

 

そういえば、今日この時間が始まるや否や、わたしはS氏にこう話したのだ。

「母をデイサービスに送り出し、わたしの腰痛もひどくならず、Sさんも無事に出勤して(彼は80歳を超える高齢なのだ)、そして電車も止まらずにここに来れるということ、それが最近、すごくハードルが高く感じます」と。

S氏曰く「そうしたさまざまな運や偶然によってわたしたちの生活は成り立っているのです」。

 

もしもこの速報が誤報ではなく、大地震に見舞われたとしたら、結局、「せっかくたどりついたものの帰りの電車が止まってしまいました」ということになっただろう。

全く何が起きるかわからない。

誤報という幸運によって、今わたしは自宅に無事たどりつき、パソコンの前にすわっている。

これもまたいろんな運が重なった結果のできごとであり、決してあたりまえではないのだ。