台風がうじうじといつまでも進まないので、天気図を見るたびにじれてしまう。

後ろから背中を押したくなる。

どっちに進むのかまだ決めていないらしい。

このたびの台風はそうとう優柔不断なようだ。

悶々と天気予報とにらめっこしていてもどうなるものでもなく、突如の大雨で電車が止まっても困るのでそれを言い訳に1日家にこもって本を読んで過ごした。

 

内田百閒の『百鬼園戦後日記』を。

百鬼園先生の作品に初めて出会ったのは『御馳走帖』だっただろうか。

なにげなく書店で見つけて立ち読みして、買った。

作家との出会いは不思議。

誰かから勧められたというのでもなく、書店でなんとなく手に取って心惹かれて……というのが多い。きっかけについて記憶にも残らない。

その時々のマイブームというのがあり、そのまま2冊目、3冊目と買い求め、ひととおり読み終わるとブームが去って、また何年かすると再び読みたくなってくる。

百閒先生の本もその類である。

実に細々と書いてあるために読むのに時間がかかり、根気が続かずに何年も遠ざかっていたのだが、このたび時間ができたのでまた読みたくなったのかもしれない。

絶版になっていてamazonで検索すると、中古なのにそうとうなお値段になっている作品もある。

戦後日記には、当時の靴の値段から、天気予報が復活したこと、東京市から東京都になったことまで書かれている。個人の生活を描きながらも、社会の動きが伝わってくる。

焼け出されてかろうじて雨露をしのぐことになった掘立小屋に客人がやってきた。

3畳に満たない空間である。「さあ、奥へ奥へ」と招き入れたというエピソードは、こんな状況下にあってもユーモアをなくさない先生ならではである。

酒好きの先生のこと、「先生は空襲のとき、お酒を一合持って逃げたんだそうですね」と問われると、「いいえ、一升瓶を持って逃げたら、その中にたまたま一合の酒が入っていたんです」と答えるくだりなんかは、百閒先生らしい!と知り合いでもないのに、なんだか昔から知っている人に会ったような、懐かしいような、そんな気分になる。

先生の奥様が胸のうちについて書いた文章があれば、先生の知られざる一面がわかって興味深かっただろうな、と残念に思うのだが、ブログだのSNSだので誰でも彼でも心のうちを吐き出す機会のある今とは違い、当時はつつましやかだっただろうから、そうしたことは思いつきもしなかっただろう。

 

今後、お気に入りの作家に何人、出会うことができるだろう。

向田邦子さん、絵本作家の佐野洋子さん……。

今は故人でも、作品を通じて何度でも出会うことができる。

ネットで本を買うことができるのは便利だが、書店を徘徊する体力がなくなってきたのでその機会も限られていくかもしれない。