「おばあさん、おじいさんばっかりじゃないの」と我が身を棚に上げて嘆いていた母だが、今のところコンスタントに、リハビリのデイサービスに通うようになった。

もともと彼女は運動が苦手である。

嬉々として通うのを期待する方が間違っていたかもしれない。

たとえ週2回でも、栄養のバランスの取れた食事と軽い運動は、本人のためでもあるが、安否確認という意味ではわたしのためでもある。

父の生前は訪問看護師がしょっちゅう出入りしており、母の安否も同時に確認できたが、今や届くのは当時の請求書のみ。

架かってくる電話も、改修工事の薦めや、買い取り事業者からばかり。

人とのつながりを重視した試みもしばしばテレビで見かけるが、遠方ばかりである。

さらに、「人と話す」というのは、認知機能のためにも、かなり大事である。

そういう意味では、退職して家にひきこもりがちのわたしよりも、母の方が外とのつながりがあるかもしれない。

最近では、布で作った花や庭に咲いた花を持っていって、デイサービスの食卓に飾らせてもらっているようである。

母は手先が器用である。

手作りの品が家にわんさとある。

こうしたものを受け入れてくれる度量の広い?場所でよかったと思う。

 

先日、町内会の民生委員さんから連絡をいただいた。

災害が起きたときのための「要援護者支援者リスト」というのがあり、高齢ひとり暮らしの人を対象に作成しているとのこと。

彼女曰く、最近は個人情報保護ということで、どこにどんな要援護者が住んでいるかわかりづらくなっているらしい。

確かに、隣の人と顔を合わせても会釈するのがせいぜいである。

ごみ出しをしようと玄関先に出た途端、さりげなくドアを閉められることもある。

仲が悪いわけではない。

そもそも、仲たがいするほど深い付き合いはない。

ただ単に、顔を合わせるのがわずらわしいだけなのである。