全身にぶつぶつが出たので、帯状疱疹かと思って受診したら、ただの湿疹だと言われた。
大きな器入りの保湿剤と、アレルギー、炎症を抑える薬を処方された。
腰痛、ドライアイ、疲れ目、分泌系、便秘薬、睡眠導入剤……どんどん薬が増える。
机の上が薬袋だらけとなり、いつ何を飲むのか、覚えきれなくなった。
これがお年を召すっていうことなのね。
母を伴い、デイサービスの見学に行く。
今週は2か所まわる。
現在は週3日、食事つきの半日デイケアに通っている。
栄養管理は大切だが、お風呂にはいるのが、ひとりでは危なっかしくなってきたので、
3日目だけは、入浴の時間がある1日タイプのデイケアに行くことにしたのである。
当初は、「裸を人に見られるなんて」と抵抗感があった母だが、段々寒くなり、シャワーだ
けではからだがあたたまらなくなってきたのである。
1か所目は、海の近く、込み入った住宅街の中にある、2階建てアパートすべてを借り切った施設である。
小規模多機能型施設と併設になったこじんまりしたデイである。
その日の利用者は3人。ボランティアの絵手紙講師を招き、顔彩を使いながら果物を書いている。
その横でパンフレットをいただき、わたしたちは説明を受ける。
近所のお弁当屋さんが、ここの昼食も受け持っており、そこから配達されるそうだ。
食器もかわいらしく豊富で、メニューを見た限りでは食をそそる。
浴場を見せてもらう。
自力で入れる人は自分で入ってもらい、そうでない人は、リフトで吊り上げて、ちゃぽんと湯船につけるんだそうだ。
確かにこういう方法なら、介護者も腰を痛めず、安全に入浴ができるだろう。
ただし、この「リフトごと湯船にちゃぽん」という光景は、見慣れるのに少し時間がかかるかもしれない。
3、40分ほど話をお伺いして、タクシーで駅まで戻った。
見学の場合、施設が車を出してくれる場合と、自力で行く場合がある。
そのことだけをもって、サービスの質を問うことはもちろんできないが、車のない我が家、特に今回のように駅から遠く、タクシーの運転手さんも迷うような込み入った場所にある場合には、送迎してくれるととてもありがたいのは確かである。
2,3日してから、もう1か所を訪れた。
そこはうって変わって大所帯のデイサービスで、「散歩」をメインとしているらしい。
わたしたちが訪れたときには、40人ほどいる利用者の半分がすでに”お出かけ中”で、残りの半分のかたたちは輪になって、脳トレをしていた。
仕切るのは看護師さんで、耳が遠い利用者さんもいるのか、「あ、で始まる単語を言ってみてくださあい」と声を張り上げている。
円陣の中には、渋々といった表情で座っている男性の利用者さんもいる。
ここに限らず、デイサービスでやっているプログラムはどこもどこか幼稚園っぽい。
「なんでこんなことしなきゃいけないんだ」と口や表情には出さなくても、そう思っている利用者は多いのではないか。
ひとり輪からはずれて黙々と読書をされている男性もどこかのデイで見かけた。
おとなしく座って付き合っているのは、そこはさすがに、「おとな」である。
ここのお風呂は、いわゆる家庭にあるような「ひとり風呂」で、脳トレの最中に、ひとりずつ順番がきて、浴場まで誘導される。入浴中は、ひとりのスタッフが付き添って見ているらしい。
そのため、キホン、自分で湯船をまたげる、というのが条件である。
しかし、安全確認とはいえ、ひとりの職員にじいっと見つめられ続けるというのも、なんだかね……。
複数の人がごちゃごちゃと入浴している方が、自分への注目?が緩和されてリラックスできるかもしれない。
そもそも、入浴はリラックスタイムなのだし。
「厨房はどこですか?」と聞くと、「そこです」と示された先に部屋はなく、みなさんが作業したり脳トレしたりする同じ部屋のはじっこに、シンクが並んでいて、なぜかご飯のはいったお茶碗や湯呑がその辺にまとめて並んでいる。
厨房はあくまでも、壁で仕切られたイメージがあったので、「これってだいじょうぶなのかしら、コロナもまだ終わってないし。第一ほこりっぽいよね」などと思ってしまう。
とうの昔に保健所勤務とはおさらばしたのに、まだ少しはそんな見方が自分の中に残っていたのだろうか。
駅に近い施設だったが、気のいいスタッフが家まで送迎してくれた。
こういう施設のかたたちは、どこも愛想がいい。
施設の選び方として、「スタッフがきちんと挨拶しているところ」という話を聞いたが、今ではそうした選択条件が施設側にも伝わっているのか、どこも挨拶と愛想はいいように思える。
令和4年の両親の介護認定以降、あっちのサービス、こっちのサービスと見てまわってきた。
しかし高齢者の体調の変化、もっというと、衰えのスピードは速い。
今はデイサービスでじゅうぶんだが、(利用する前に)入所や入院が必要になるかもしれない。
父の時に経験済みなはずでも、その時々で状況は違う。
うまく対応できるかどうか。
今現在のことだけを考えるしかない。