先日、右奥歯を抜いた。

きっかけは、歯をかみしめる癖。

今となってはあまり思い出せないが、あれこれと緊張するようなことや、踏ん張らねばならぬことが重なったのかもしれない。

気づくと歯をくいしばっている時間が多かった。

それが原因だったのだろう、ある日突然、右側の奥歯、歯茎のあたりが、痛みに見舞われた。

様子を見ている場合ではない。

モノが食べられないのである。

折も折、母の訪問歯科診療をすすめている最中のできごと。

こうなったら、ひとごとではなくなった。

近い歯医者を探して事情を話し、その日のうちに診察の予約をとりつけた。

 

診察の結果、ずいぶん前に、虫歯治療の際に神経の1部分を取ってかぶせものをしたのだが、それが歯茎を圧して腫れているらしいとのこと。

かぶせものを取って、しばらく様子をみることになった。

 

で、2日後の再診。

その間、冷えピタを貼ったり、腰痛用に処方されていたロキソニンテープを小さく切って貼ったり、ノーシンを飲んだりしたが、一向によくならない。

歯や歯茎の表面ではなく、もっと奥底からの痛みがズキズキと続く。

左側だけで噛んでいるつもりでも、食べ物の破片が少しでも右の患部に触れるとそうとう痛い。

そのため、ほぼ丸飲み状態。これでは胃にも悪そうである。

状況を話したところ、残りの神経を抜き去って様子を見、それでも痛みがひかなければ抜歯ということになった。

神経を引き抜いて治る確率は五分五分とのこと。

いきなり抜歯するよりも、たとえ五分五分でも、神経を抜く段階を踏んでもらうことにした。

 

ただの”歯のくいしばり”が、ずいぶんと大げさなことになってしまった。

早速その日の内に、麻酔をして神経を抜くことになった。

この麻酔というのがまたわたしにとっては曲者である。

これもずいぶん前、親知らずを4本抜いたときの麻酔では、動悸がしてきて死ぬのではないかと思った経緯あり。

以来、多少の痛みは我慢することを了解のうえで、麻酔の量を控えめにしてもらっていた。

このたびの歯科医院は初めてなので、その旨をお願いする。

いよいよ麻酔である。針の痛みはあるが、こんな痛みはこれから始まる「本番」に比べれば、なんぼのものか。

控えめをお願いしたものの、やはりドキドキ動悸が始まる。

途中で、「止めてください」とお願いしようかと思ったが、しかし気分が悪いわけではなく、息苦しいわけでもない。精神的なもののような気もする……と躊躇しているうちに、麻酔完了。

 

続いて、神経を引き抜く作業にはいる。

が、先生がこの引き抜き作業にてこずっているのが、ぽかんと口を開けているわたしにも伝わってくる。

内視鏡のように本人には見えないが、とがったものをぐぐぐぐっと歯の真ん中に挿しては、ぐいいっと引っ張っているらしい。

その繰り返し。何度やっても、引き抜けないもよう。

「あれっ」「ふうっ」「はあっ」などと、先生のため息とも、ひとりごとともとれる声が頭上から聞こえてくる。

この声を聞いただけで、うまくいっていないのがわかる。

麻酔をしていても、この”ぐぐぐっ”の圧迫痛はかなりのもの。

うまくいかなければいかないほど、先生もかなりムキになってきている(ように思える)。

そして挙げ句の果てに、「できる人もいるとは思いますが、固くなっていて抜けません。

どうしましょう。歯、抜きましょうか」。

そう問われてなんと答えたらよかろう。

「できる人って誰?」とまず思う。

その人をここへ連れてきてくれるわけでもない。

どこのクリニックの誰なのかは、おそらく神のみぞ知る。彼も知らないだろう。

その人がやっても五分五分なのか? こんなに簡単に抜歯する選択肢を選んでいいものなのか。

いろんな考えが頭を駆け巡る。

とにかくわたしは当初の痛みをなくしてほしいだけなのだ。

結局、「抜いてください」とわたし。

先生もその言葉を期待していただろう。

抜けば治るとおっしゃるのだから、この状況では、それを信じるしかない。

 

麻酔を追加して、抜歯の作業にはいった。

が、これもまたなかなか簡単に抜けないらしく、先生が悪戦苦闘し始めた。

ひとりごととため息が増えてくる。不調なのがわかる。

不安のあまり、途中で、「だいじょうぶですか」とか「どんだけ進んでますか」とか尋ねたかったが、それも失礼なようだし、そもそも口をあんぐり開けているので、しゃべれない。

器具で歯をぐううっと圧してグリグリグリと回したり、とがった器具を歯と歯茎の間に刺しこんだりと、あの手この手の作業である。

気のせいか、先生のほうも遠慮がなくなり、勢いが増し、強引になっているように感じられる。

出血しているらしく、ガーゼを当てながら、なおかつ唾液の吸引も同時並行である。

わたしは唾液が多いたちなのである。

歯をぐぐぐっと左右に引っ張るたびに、顔も左右に揺すられる。

唇の横をむぎゅうっとつかんで横に引っ張るので、裂けそうである。

口全体が壊れそうだ。

あまりの痛さにだらだら涙も出てくる。

ほかの歯まで、はずみで抜けるのではないかというほどの修羅場である。

作業自体は、正当なやりかたなのだろうが(と思いたい)、わたしにとっては、無茶苦茶やっているように思える。

先生曰く、細い歯根が3本、歯肉の中に食い込んでいるのだとか。

確かに今回は、虫歯や歯槽膿漏でぐらぐらになった歯を抜くのではない。

がっしりと根付いたままの歯を無理くりに抜くのである。

 

「もう限界」と思ったとたん「うがいしてください」と先生の声。

歯科衛生士さんの、「終わりました。大変でしたね」とねぎらう声。

「もう~涙が出てきました」とわたし。なにかしら叫ばずにはいられない気分。

3人が3人とも疲労困憊。

「歯、持って帰りますか」と聞かれたが、なんのために? どんな用途が? と思ったためにお断り。処分してもらうことにする。

 

このできごとが2日前のこと。

現在は抜歯後の軽い痛みと、歯のない違和感があるものの、当初の根深い痛みはない。

今日は抜歯後の消毒に行かなくてはならない。

今後はブリッジをかけて、両脇の歯とつなぐらしい。

そういえば、母もこの方法をとった治療をして、結果的には、ブリッジをかけた両脇の歯が引っ張られて抜け、結局3本の歯がなくなったと聞いた。(別の医療機関だが)

ああ、嫌な予感だ。

 

性懲りもなく、デイサービスの見学に母と赴いた。

どこの事業所にも、そこそこ利用者がいらっしゃる。

そこそこ、というよりは、この界隈の高齢化率の高さを反映してか、食堂を兼ねたフロアには、利用者さんが所狭しと座っている。

皆さん、どの程度、見学なり、体験なりをして利用を決めているのだろう。

地域の口コミ情報がほとんどないので、すべてが包括支援センター頼み。

ここのスタッフの助言などを聞きながら利用を決めているにしても、界隈には、かなり多数の事業所が存在する。見学してみないとわからない部分も多い。

 

現在利用しているデイケアは、医師の経営するところだけあって、感染症対策には神経質である。

横一列に利用者が並び、個々のテーブルの間にはビニールシート。

いっとき流行ったビニールシートも、ここではまだ「過去の産物」ではない。

コロナだけでなく、季節性のインフルエンザもまだ盛りを過ぎていないのだ。

母曰く、「そのビニールシートがじゃまになって、利用者同士の交流が妨げられてしまい、コミュニケーションがとれない。一日、誰ともしゃべらないのがつまらない」のだそうだ。

そこで、週3日のデイケアにプラスして、もう少し人と会話ができるようなプログラムがあり、机並びも向かい合わせになって話しやすいところを探すことにしたのである。

そうはいっても、(わたしもそうだが)、もともと自分から話し掛けるのが苦手、引っ込み思案の母である。

もしかして、顔見知りや友人ができないのは、机の並び方のせいだけではないかもしれない。

感染症対策が緩めのところに通ったものの、友人はできない、コロナ菌だけいただいて帰ってきたとあっては、身もふたもない。

しかし、どっぷり依存対象の配偶者を失った悲しみや、88歳という年齢そのものからくるわびしさ、加えて、友人知人が誰もおらず、一日誰ともしゃべる機会がないさびしさというのは理解できる。

かみ合わない話や、一方的に繰り返される繰り言や愚痴に音を上げて早々に切り上げてしまうわたし自身の罪悪感もある。

そんなわけで、「今度のところは気にいってくれたらいいな」というかなり切実かつ真剣な願いを込めて、今回の見学に至った次第である。

 

デイサービスの内容は、どこも似たり寄ったりである。

ぬりえや麻雀、カラオケはどこでも見かけたし、そこに、事業所独自の機能訓練がはさまっていたり、夕食の弁当を買って帰ることができたりするところもあった。

今回のところは、ビニールシートはなく、四人ずつの机並びで、コミュニケーションはとりやすそうである。

古い建物なりに、きちんと整理整頓されており、こぢんまりと目の行き届いた感じがする。

換気や消毒液などの基本的な感染対策は行っているようでもある。

あとは全体の雰囲気、これだけは本人次第である。

そういう意味では、母も気に入ったようでひとまず安心する。

なんでも「今、通っているところは、だだっぴろいだけ」なんだそうで、”こぢんまり感”と、机の並びかたが決め手のようだった。

「じゃあ、週一日、日曜日の利用にしようね」と、あとはケアマネさんとの相談ということでそこを辞した。

 

が、翌々日、夜中に母から電話がかかってきた。

夜の11時前。

以前、実家から電話があり、結果的に119番した時と同じ時間帯である。

見ると発信元は、まさかの、というか案の定実家である。

”うんざり感”と”もしや感”が交錯する。

すぐに切れたので折り返すと、今回はすぐに出て、「あんたがどこかに行ってしまうような気がして~」と半泣きである。

「3月にそっちに引っ越すってことになってるじゃん」とわたし。

「なんだってこんな時間に!」と、腹が立ち、苛つき、切れそうである。

「本当に来てくれるの」と弱々しい声の母。

ほとんど幼児のようである。

憤りを押さえながらなんだかんだと理屈をこねてなだめすかしているうちに、母も落ち着き、わたしのほうも気持ちがおさまってきて、最後は穏やかに電話を切った。

高齢者とのやりとりは、いつも「これが最後かもしれない」という銃口を突き付けられているようなものなので、感情的なもの言いは避けたいのである。

先日、介護相談で心理士さんから言われた「未来に呪いをかけない」というセリフを受け売りで話してみたところ、母のツボにはまったようで、「全くそのとおりやわ」と納得もしていた。

 

こうしたことは今回では終わらないだろう。

明日の朝になったら、こんな電話をかけたことも、デイサービスを一日増やすことになったことも見学したことも忘れているだろう。

 

完全に親と子の立場が逆転した。

昔、すぐ近くの市場に出かけた母がもう帰ってこないのではないかと、公団アパートの階段に座ってわたしが泣きじゃくっていたのを思い出す。

もちろん母はすぐに帰ってきて、わたしの不安は解消されたのだと思う。

そして今回の母の不安も、来月わたしが実家に引っ越すことで、とりあえずは解消されるだろう。

しかしほぼ確実に先立たれる身のわたしにとっては、アパートの階段の上で感じた悲しみと絶望は、決して絵空事ではないのである。

午後11時過ぎ、スマホが鳴った。

こんな時間に……。

高齢者を抱える人間にとって、身の縮む思いだ。

着信音は3度ほどで止まった。

迷惑な話だが、間違い電話であってほしいと表示を見ると、発信は実家である。

よくも悪くも、携帯電話というもの、発信元がわかる。

慌てて折り返す。

呼び出し音が鳴りっぱなしで一向に出ない。

ほんの2,3分前にかけてきたはずなのに……。

再びかけるが、やはり出ない。呼び出し音だけが続く。

具合が悪くて電話をしようとして、そのまま……と良からぬ想像が湧く。

 

何か月前、同じようなことがあった。

その時は受話器が外れていてつながらず、管轄の警官に来ていただいた。

母は電話機の子機が外れているのも気がつかず、ぐっすり眠りこんでいた。

なにやら騒がしいので寝ぼけ眼で起き上がってみれば、枕元には、娘と、体格のいい警官の姿が。

おまわりさんは、ホッとしたように、「無事でよかったです」と言って、朗らかに帰っていったが、今回は呼び出し音の鳴りっぱなし。

しかも少し前に電話をかけたらしいのに出ない状況だ。

前回が空振りだったからといって今回も同じであるとも限らない。

そういうわけで、今回は119番をした。

体調をくずして娘に電話をしたが、そのあと具合がさらに悪くなり、電話には出られなくなったという可能性を想定して説明する。

出動を控えたまま、救急隊員から再度電話がくる。

症状を聞かれたときには困った。

実際見ていないんだから。

想定される状況を話すしかない。

インターホンを押しても出てこなかった場合の、予備の鍵の位置も教える。

チェーンをしていたら切っても構わないと伝える。

救急隊員曰く、「娘さんもすぐに来られる準備をしてください」

「まだ、電車、走ってるかしら」とわたしが言うと、「急いでほしいのでタクシーで」と先方は言う。

こんな時間にタクシーを呼んだことがない。

果たして来てくれるのかしら。しかしもしもこの間みたいに、(意図的ではないにせよ)”はったり”だったとしたら……。

また”空騒ぎ”に終わるんじゃないか、という一抹の不安。

この場合、本当は喜ばしいことなのだが。

あれこれといろんな可能性を考えつつ、タクシー会社に電話をすると、5,6分で来るという。

とるものもとりあえず、家のエントランスに下りたところで、再び着信。

救急隊員からで、「お母さまご無事でした」。

「ああ、そうですか!」

よかったです、という言葉よりも、またもや空振りさせてしまったという気持ちが先に立ち、平身低頭、お忙しいところ申し訳ありません、と何度も詫びる。

母に電話を替わってくれたので、「彼らに謝っておいて!」と叫ぶ。

母は、前回同様、事情が良くのみこめていないようだ。

彼女にしてみれば、目が覚めてみたら、「3人の大男が部屋の中にいた」ということでしかない。

「全く訳がわからないのよお、ボケてしまった」としきりに我が身を嘆くが、確かに、具合も悪くなく、119番した覚えもないのに、救急隊員が合鍵使ってどやどや踏み込んでくれば、それまでの経緯を知らないだけに、ビック仰天、訳が分からないのも無理はない。

前回は警官おひとりだったが、今回は青い服を着た救急救命士が3人。

父のときに何度かお世話になっているので、現場の様子は想像がつく。

快く対応していただいたようだが、地域のブラックリストに載るのではないかというほどいたたまれない気持ちになる。

このお騒がせの張本人は母だが、110番や119番をしたのはこのわたしである。

これはわたしの早とちりなのだろうか。

人騒がせの元凶は母だと思ってきたが、実はそうとばかりは言えないのかもしれない。

 

ここ2,3年母の言動に振り回されることが多い。

同居したら少なくとも今回のような騒ぎは防げるだろうが、いやいや、想定外のできごとというものは、それこそ想定できないのです。

引っ越し準備で、部屋の中にモノがあふれている。

荷詰めは業者に依頼するとはいえ、荷解きの時に「どこに何が梱包されているか」で右往左往しないためにも、段ボールごとのひとまとまりを作る作業は大事である。

 

引っ越しは喪失である。

 

錆びついた自転車を見ては、「わたしの足に代わって13年間も、文句ひとつ言わずに走ってくれたのだな」などと思う。

普段はたいしていたわりもせず、雨ざらし、前かごなどボコボコ状態なのをほったらかして酷使し続けておきながら、今さらである。

転居先は坂が多いために、電動自転車に買い替えなくてはならない。

 

部屋から見える景色もしかり。

以前住んでいた平塚の部屋からは富士山が見えた。

今回は電車の走るのが見える。

夜中の電車の音というのは、「人が生きて活動している」のをほどよい加減で感じられて好きだった。

 

そして、狭い部屋にあるひとつひとつのモノ。

転居先の実家におおかた持っていくとしても、それでもひとり暮らし、という背景が変われば、役割も変わる。

引っ越してきた当初のあれこれを思い出してはため息をつく。

 

身内を失った「喪失感」を1年近く経った今も多少は引きずっているのかもしれない。

それを消化しないうちに、新たな喪失がやってくる。

 

「介護者のつどい」のファシリテイターさんが、「引っ越しなんていうのは、ある程度勢いが大事」と言って、不思議な? エールを送ってくださった。

少なくとも、引っ越してしまえば、(実家に)引っ越すかどうかというお悩みからは解放される。

締め切った雨戸とポストにはいったままの新聞を見てぎょっとしたり、母が電話に出ないだけで、安否確認のためにおまわりさんを呼んだりすることもなくなるだろう。

「いっしょに住んでいたのになぜ気づかなかったんだろう」という新たな状況が発生するかもしれないが、その予期不安の万全さ?に我ながら苦笑する。

これではキリがない。

 

そうそう、明日あさってのことを思い煩うよりも、今、することがたくさんある。

 

先日、年金の請求書が届いていた。

正式には65歳からの支給だが、経過措置分として、63歳から一部が支給されるのである。

もうそんなお年になってしまったのね、という感慨。

とともに、「誕生日の前の日から請求可能」という文面を見て、そういえば昨年、いわゆる火葬待ちのために、父の葬儀がわたしの誕生日に重なったことまで思い出す。

提出はまだ先だが、これを書いてしまおう。

 

そういえば、マイナンバーカードの更新手続きのご案内も、届いていた!

 

そして、医療費控除の書類の提出、宅配弁当のキャンセル電話、粗大ごみの確認……。

重なる時には重なる。

事務的なことはわずらわしいが、敢えていっぺんにこなすことで、落ちた気持ちにスイッチがはいり、救われることも多い。

引っ越し作業が着々と進んでいる。

「梱包お任せコース」とはいえ、荷ほどき後の手間を考えると、ある程度まとめてビニール袋に入れておいたほうがいい。

とともに、この際だからと、引っ越し先と引っ越し元双方の、不用品廃棄にもいそしむ。

ひとつ処分すると、達成感でいっぱい、すがすがしい気分になるのだが、その「ひとつ」を決めるのに時間がかかる。

「また使うかもしれない」「また読むかもしれない」「また着るかもしれない」「思い入れのあるものだから」という葛藤が頭をもたげ、なかなか思い切れない。

特に、人形類や写真など、目鼻がついているものなど、”思い入れ”のあるものが手ごわい。

モノはモノに過ぎず、魂など宿っていないのに躊躇する。

愛着というよりは、もはや、執着である。

そうかといって、今まで大事に持っていたかというとそうとは限らない。

保存していたことさえ忘れており、このたび開けてみて、「あら、こんなのがあったのだ」と思い出す程度。

それなのに、いざ手放そうとすると未練が湧く。

 

引っ越しは、モノを処分し、未練を断ち切るいい機会である、と今回の転居になるべくプラスの意味を持たせようと考えたが、なかなかどうして。

引っ越し先の実家は戸建てである。

幸か不幸か、あれやこれやとモノを置くスペースはある。

それをいいことに、とりあえず持って行ってから考えよう、捨てるのはいつでもできるから、などという落とし穴にはまるのではないか。

「とりあえず」も、「いつでも」も、結局のところ、「ずっと未処理のまま」なのだ。

 

引っ越しの何が大変って、区役所や銀行の住所変更などの事務手続きもメンドウだが、なんと言っても、部屋中に積み上げられた段ボールの山の荷ほどきである。

開けても開けても先が見えない、この果てしなさ……。

それを避けるためにも、モノに対する執着をきっぱり断ち切って、なるべく早く、すっきりと片付いた空間で新しい生活を始めたい。