映画『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』を見に行く。

元首相暗殺や、首相役の俳優がからんだ事件などによって、2度も延期が繰り返されて、このたび陽の目を見ることになったのである。

ずいぶん先の先だと思っていたのが、ようやくようやくこの日を迎えることができた。

 

そういえば昨年の今頃は、ちょうど、『劇場版ドクターX』の上映時期と父の入院が重なった。

当初は映画どころでない気分だったが、だからこそ早く病状が落ち着いて、映画館に足を運ぶことができればいいなあ、と祈るような気持であった。

そして晴れて、父がICUから一般病棟に移ったとたん、待ち構えたように、観に行ったっけ。

 

2作とも、映画上映の記念と宣伝も兼ねて、テレビドラマの再放送が繰り返された。

そのたびに、録画しておいたドラマを見るのを楽しみに、実家と自宅を行き来していたことを思い出す。

介護だなんて大それたことは結局できずじまいだが、それなりに大変だった時期、ヒロインたちの存在が支えだったともいえる。

 

さて、このたびの緊急取調室は、総理大臣役の石丸幹二さんや被疑者役の佐々木蔵之助さんの迫力もさることながら、(やはりファンとしては)天海祐希さんの目力と、腹の底から突き上げるようなドスのきいた声に、「ステキ過ぎる💛」と思いつつ、ぼおっとしながら見た。

そのためだかどうだか、あちらこちらに仕掛けられていたらしい”伏せん”に気が付かず……できればもう一度そのつもりで見てみたい。

「人は皆、いろんな面をもっている」というメッセージにふさわしく、ほんまもんの悪役は無しで終わった。

 

映画が終わり、テロップが流れ始めると、「ああ、もうキントリには会えないのだわ」とさびしさひとしお。

テレビドラマ「緊急取調室」をこれでもかというほど録画してあるが、それでもそれらは過去の産物。

時は流れたのである。俳優陣は、全く別の現場で、全く別の役割を演じながら今を生きていることだろう。

是非また復活を!と願うものの、歳月は過酷。

ドクターXにせよ、緊急取調室にせよ、ヒロインの役柄(医師と警察官)を考えれば、寄る年波にはかなわないということだろう。

 

お昼前、上映が終わった。

館内が明るくなると、感傷はどこへやら、こちらも現実に戻り、ランチに決めておいた店目がけて突進いたしました。

近所に、ショートステイ併設のデイサービスが開業されるということで、内覧会に出かけた。

ビュッフェおよびデザートのおまけつき、というチラシに惑わされたのも事実だが、ちょうど、週1日の半日デイケアに変わって、お風呂付の1日型デイサービスを検討していた最中だったこともある。

川内潤さんと山中浩之さんの共著『親不孝介護』に、「介護は撤退戦。頑張ればできるようになるという、今までの価値観は通用しないし、予測不可能なことがしょっちゅう起きる」と書いてあった。

それを裏付けるように、ほんの半年ほど前までは、半日のデイケアで食事をいただければ満足していた母も、足元のふらつきと体力的な衰えのためか、入浴介助を必要とするようになった。

「人に裸を見られるなんて嫌だわ」と言っていたのも、今は昔である。

 

4月に亡くなった父の場合は、高齢に伴う衰弱の早さに、周囲はついていくことができなかった。

12月に心筋梗塞で入院した時には要介護1だったのが、その後腸閉塞やらなんやらで入退院を繰り返すうちに、どんどん衰弱が進み、あっという間に寝たきりに。

ケアマネさんが介護度の区分変更の手続きをしているうちに亡くなった。

 

そうしたことを経験しておきながら、やはりどこかで、リハビリ効果を期待している。

今度こそ、二の舞は踏ませないとばかりに、先手先手で攻めようとしている。

「撤退戦」を受け入れ難いと思っているわたしである。

 

さて、内覧会は、スタッフがやたらに愛想よく挨拶を交わしながら、お出迎え。

施設のそこかしこを案内しながら説明してくれる。

来客ひと組につき、ひとりのスタッフがくっついて大声で説明するので、騒々しい程である。

新築なので木の香りが心地いい。

あっちもこっちも新品で、さすがに気持ちがいい。

入浴の時に貸し出すタオルや歯ブラシなんかも、「アメニティ」なんて気取った言いかたをしている。

デイサービス利用者には、実費で、夕食のお持ち帰り弁当サービスがあるらしく、ほかの事業所にはないような工夫をこらしているのがわかる。

リクレーションには、指先の訓練に効果的ということで、ドローンの操作を組み込んでいる。

それが自慢のようで、「やってみませんか」と嬉々としてスタッフが促すのだが、失敗して恥をかきたくない母が頑なに固辞をする。

それを見て、「そんな大したことではないんだからちょっとやってみればいいじゃないの」と隣でわたしはやきもきする。

そのほかに、お馴染みのカラオケ、パターゴルフ、筋トレ用の用具などなど。

ショートステイ用の部屋も見せてくれたが、わたしもお泊りしたい!と思うような小綺麗で整然としたお部屋。

近所のために、見慣れた景色に加え、遠くに海や繁華街のビルなどが望めるところなんかは、ちょうどいい加減である。

Wifi設備も完備。これからの高齢者もデジタルを操るのがあたりまえになっていくのだろう。

 

デイルームに戻ると、デザートが出てきた。

お待ちかねタイムである。

食べながら、アンケートの記入と、次回の体験デイサービスの申し込みをする。

その頃には、あれほどくっつきまわっていたスタッフも潮が引くようにいなくなり、後ろのほうで、手持無沙汰に立っている。

そして思い出したようにこちらにやってきて、「なにか、ご質問はありますか」「どうぞゆっくりして行ってください」を繰り返す。

ってことは、もう御用は済んだってこと? お帰りくださいってこと?

確かチラシには、ビュッフェの試食って書いてなかった?

しかし一向にその気配もない。そもそも開業前なので、厨房も開いていないようである。

「ありがとうございました」と帰り支度をしてみるものの、引き留める様子もない。

「ビュッフェの試食はないんですか?」。

こんな時、こんなふうにはっきり質問する勇気のある人っているだろうか。

愛想よく見送られながら施設をあとにしたが、もやもやが残る。

チラシを再びチェックする。

「ビュッフェまたはデザート」ではなくて、「ビュッフェデザート」って書いてあるよね、と母と確認しあう。

施設はきれいだったが、愛想の良さと勢いにごまかされて、なんとなく納得がいかない感じをひきずって帰宅。

同じような思いをした人は少なからず、いや、ほとんどの人がそうだったのではないか。

 

今週末にケアマネさんとの面談がある。

報告ついでに、ちょっと言いつけちゃおうか。

あっというまに年の暮れ。

今年は父の看護や看取り、その後の事務にあたふたしているうちに過ぎた。

退職後であったおかげで、物理的な時間がたっぷりあり、好きなだけ本を読むことができた。

とはいえ、そのテーマというのが死生観を問うものだったり、水木しげるの妖怪ものだったり、看取りや介護の経験談など、分野が偏った。

おかげで、夏川草介さんという、小説家であり医師でもあるかたの書いた医療小説に出会うことができた。高齢者医療を扱った話も多く、考えさせられる。

本との出会いは思いかけず、いつもも感心させられる。

 

そして先日、映画『TOKYOタクシー』を見に出かけた。

木村拓哉と倍賞千恵子主演のドラマ。

ネタバレすると、倍賞千恵子演じる高齢女性が、東京柴又から、入居予定の葉山にある高齢者施設の間の道のりを、懐かしい場所を見ながらタクシーでたどるというもの。

もちろんタクシー運転手は、キムタクである。

キムタクは、ここ最近、中年になって、テレビドラマでも渋い役を演じるようになって、好感を持てる。

映画の詳細は書かないが、最終章で、ほんの1週間前に施設に送り届けた女性が、すでに亡くなっていたという事実に驚きをかくせないキムタク。

今までだったら流してしまう場面だが、このたびばかりは、身に染みた。

「そうなんだよねえ、高齢者の体調は、実際、急変するのよね」……。

脚本家もそれを実感していて書かれたのだろうなあと思う。

通りすがりのタクシー運転手に、財産をポーンとわたしてしまうのなんて、そんなのあり?と思うが、それほどの人に最後の最後に出会えて彼女はシアワセだったのだと思う。

最後まであきらめてはいけない……というメッセージ性を感じた。

 

高齢者サポート事業が話題になっている。

なんと400ほどの事業所があるという。

身元保証、生活支援、そして死後事務……いろんな事情で身内に頼めない人に人気だとか。

わたしも他人事ではないので資料を取り寄せたが、いったいどれがいいのかわからない。

それなりに、トラブルも多いと聞く。

未成熟な業界のこと、今は玉成混交のようだが、そのうち淘汰されていくだろう。

映画に出て来た女性のように、好きな人に財産をさっぱりとわたし、堅苦しい施設での生活をあまり味あわないでピンコロというのも、映画とはいえ、理想的な生き方だと思う。

 

母のデイケア(1日コース)の初日がやってきた。

足元がおぼつかなくなった昨今、「お風呂のサービスがあるとうれしい」という本人の意向にそって、何か所か見学した末に決まったサービス事業所である。

本人に合うか合わないか、とりあえず週1日から試しつつ、これまでの半日型サービスからゆっくりとこちらに移行する予定である。

 

これまでと違い1日型なので、持ち物が多い。

連絡帳、着かえ(入浴のため)、マスクの予備、歯磨きセット、この4つが必需品である。たった4つだが、これを本人が自分で確認して用意するというのは、そうとうハードル高いというのが今回初めてわかった。

心もとなげなので、つい、わたしが手を出してしまえば、自分で責任をもって”用意”する能力を奪ってしまう。

そうかといって、知らん顔というのも心配だ。

持ち物、と大きく紙に書いて壁に張ったが、本人が見なければ、ただの落書きに終わる。

特に、先方に渡すことになっている書類については、「連絡帳に挟んだから、向こうに着いたらすぐ渡してね」と何度も念を押す。

「わかった」という返事をそのまま鵜呑みにして、あとでがっかりさせられることは日常茶飯事なので、返事がスムースだからといって安心はできないのだ。

 

午前9時。そろそろお迎えの車がやってくる。

訪問看護師が来てくれるにせよ、デイサービスが迎えに来るにせよ、”人が来る”という状況に、気もそぞろ、何も手が付かなくなるのは母もわたしも同じ。「今、車の音がしたよね?」と言いつつ、玄関を出たり入ったり。「まだあと5分あるから家に入ってれば? 寒いし」などというやりとりをしているうちに、車の音がして、ワゴン車が家の前に止まる。「来た、来た」。母がリュックを背負って飛び出していく。(介護サービスを受けることに、余り前向きではない割には、遠足を待つ子供のようにそわそわしているのである)。

 

初回ということで、わたしも挨拶に出る。

ついでに、「連絡帳はリュックの中です。提出書類は、連絡帳に挟んであります」と職員に告げる。

母が車の中で「幼稚園の子供みたい……」と苦笑する。

そうなってしまうのは、あなたがあまりにも頼りないからなんだけど、と思うが口には出さない。

よもや覚えてはいないが、わたしが幼稚園児や小学生のころ、「〇〇は持った?」「忘れ物はないの?」とやや過干渉気味の母が、があがあ声掛けをしたのだろうな、というのは容易に想像できる。

その記憶がわたしのどこかに染み込んでいて、立場が逆転した今、思い出したように、同じような声掛けとなって表れたのかもしれない。

 

かくして、母と同世代のかたたちを積んで、ワゴン車は去っていった。

これまでは半日だったが、1日(9時から4時まで)というのは長い。見送ったわたしはというと、やれやれとばかりに、本を片手に、町までお茶をしに繰り出したのでした。

全身にぶつぶつが出たので、帯状疱疹かと思って受診したら、ただの湿疹だと言われた。

大きな器入りの保湿剤と、アレルギー、炎症を抑える薬を処方された。

腰痛、ドライアイ、疲れ目、分泌系、便秘薬、睡眠導入剤……どんどん薬が増える。

机の上が薬袋だらけとなり、いつ何を飲むのか、覚えきれなくなった。

これがお年を召すっていうことなのね。

 

母を伴い、デイサービスの見学に行く。

今週は2か所まわる。

現在は週3日、食事つきの半日デイケアに通っている。

栄養管理は大切だが、お風呂にはいるのが、ひとりでは危なっかしくなってきたので、

3日目だけは、入浴の時間がある1日タイプのデイケアに行くことにしたのである。

当初は、「裸を人に見られるなんて」と抵抗感があった母だが、段々寒くなり、シャワーだ

けではからだがあたたまらなくなってきたのである。

 

1か所目は、海の近く、込み入った住宅街の中にある、2階建てアパートすべてを借り切った施設である。

小規模多機能型施設と併設になったこじんまりしたデイである。

その日の利用者は3人。ボランティアの絵手紙講師を招き、顔彩を使いながら果物を書いている。

その横でパンフレットをいただき、わたしたちは説明を受ける。

近所のお弁当屋さんが、ここの昼食も受け持っており、そこから配達されるそうだ。

食器もかわいらしく豊富で、メニューを見た限りでは食をそそる。

浴場を見せてもらう。

自力で入れる人は自分で入ってもらい、そうでない人は、リフトで吊り上げて、ちゃぽんと湯船につけるんだそうだ。

確かにこういう方法なら、介護者も腰を痛めず、安全に入浴ができるだろう。

ただし、この「リフトごと湯船にちゃぽん」という光景は、見慣れるのに少し時間がかかるかもしれない。

3、40分ほど話をお伺いして、タクシーで駅まで戻った。

 

見学の場合、施設が車を出してくれる場合と、自力で行く場合がある。

そのことだけをもって、サービスの質を問うことはもちろんできないが、車のない我が家、特に今回のように駅から遠く、タクシーの運転手さんも迷うような込み入った場所にある場合には、送迎してくれるととてもありがたいのは確かである。

 

2,3日してから、もう1か所を訪れた。

そこはうって変わって大所帯のデイサービスで、「散歩」をメインとしているらしい。

わたしたちが訪れたときには、40人ほどいる利用者の半分がすでに”お出かけ中”で、残りの半分のかたたちは輪になって、脳トレをしていた。

仕切るのは看護師さんで、耳が遠い利用者さんもいるのか、「あ、で始まる単語を言ってみてくださあい」と声を張り上げている。

円陣の中には、渋々といった表情で座っている男性の利用者さんもいる。

ここに限らず、デイサービスでやっているプログラムはどこもどこか幼稚園っぽい。

「なんでこんなことしなきゃいけないんだ」と口や表情には出さなくても、そう思っている利用者は多いのではないか。

ひとり輪からはずれて黙々と読書をされている男性もどこかのデイで見かけた。

おとなしく座って付き合っているのは、そこはさすがに、「おとな」である。

 

ここのお風呂は、いわゆる家庭にあるような「ひとり風呂」で、脳トレの最中に、ひとりずつ順番がきて、浴場まで誘導される。入浴中は、ひとりのスタッフが付き添って見ているらしい。

そのため、キホン、自分で湯船をまたげる、というのが条件である。

しかし、安全確認とはいえ、ひとりの職員にじいっと見つめられ続けるというのも、なんだかね……。

複数の人がごちゃごちゃと入浴している方が、自分への注目?が緩和されてリラックスできるかもしれない。

そもそも、入浴はリラックスタイムなのだし。

「厨房はどこですか?」と聞くと、「そこです」と示された先に部屋はなく、みなさんが作業したり脳トレしたりする同じ部屋のはじっこに、シンクが並んでいて、なぜかご飯のはいったお茶碗や湯呑がその辺にまとめて並んでいる。

厨房はあくまでも、壁で仕切られたイメージがあったので、「これってだいじょうぶなのかしら、コロナもまだ終わってないし。第一ほこりっぽいよね」などと思ってしまう。

とうの昔に保健所勤務とはおさらばしたのに、まだ少しはそんな見方が自分の中に残っていたのだろうか。

駅に近い施設だったが、気のいいスタッフが家まで送迎してくれた。

 

こういう施設のかたたちは、どこも愛想がいい。

施設の選び方として、「スタッフがきちんと挨拶しているところ」という話を聞いたが、今ではそうした選択条件が施設側にも伝わっているのか、どこも挨拶と愛想はいいように思える。

 

令和4年の両親の介護認定以降、あっちのサービス、こっちのサービスと見てまわってきた。

しかし高齢者の体調の変化、もっというと、衰えのスピードは速い。

今はデイサービスでじゅうぶんだが、(利用する前に)入所や入院が必要になるかもしれない。

父の時に経験済みなはずでも、その時々で状況は違う。

うまく対応できるかどうか。

今現在のことだけを考えるしかない。