また誕生日がやって来る。
私は、毎年この日をとても複雑な思いで迎える。
より若い日々は、この日を見ないようにしてきたように思う。
しかし、さすがこの歳近くになった近年は、見ないわけにはいかなくなった。
つまり、「私」とはどんな存在なのか?
「自分」とは何なのか、どんな存在なのか?・・・と。
「私」と「自分」は微妙に違う気がする。
「私」は、個別性、個性、独自性、より個人的になる気がする。
「自分」は、自ら分かれた、と書く様に一つから分かれた存在。
普遍に繋がる気がする。宇宙に繋がるのは「自分」の気がする。
<内観する>
ここは、やはり「私」ではなく「自分」。
「自分」を深掘りするおもしろさ・・・!
「自分」を深掘りすると宇宙が見える・・・
「自分」を深掘りすると真実が見える(自分にとっての)・・・
「全ては自分の中にある」はやはり本当だと思う。
分からないことは、自分に聴けばいいのだ〜・・・!
安心感。
「自分」は何でも知っている
「私」は何でも知っている全能感
勿論、他人の言動も尊重するし、参考にする。
自分は満たされた完璧な存在。
内奥から充満感が満ちてくる。
内奥から湧き上がってくるものがある。
これがあれば、私は大丈夫だと思う。
何があっても大丈夫だと思う。
揺らがない軸をかんじる。
私は、「私」を実現するためにやって来た。
私は、「私」を表わすためにやって来た。
どんな表し方をするか楽しみである。