今朝も座る。
イメージ。
無意識の海からプツプツと湧き出すもの。
この湧きだしたものを見つめ、名前を付ける、言語化すると、結晶化し、湧いてきた見えないエネルギー体は姿を見せてくるが、パワフルなエネルギーは固着してしまい、深化しないような気がする。
言語化しないで、つかみどころのないエネルギーをそのまま味わいたい。そのエネルギー体は無意識(=宇宙)の海の中にあって、つかみどころのないもの、見えないもの。
だけど私をワクワクさせるパワフルなもの。
私はこのエネルギー体に触れたくて瞑想する。
このエネルギー体は遍満する宇宙そのものかもしれない。
この宇宙の海にひとりひとりの無意識が繋がっていて、集合無意識というものかもしれない。
この宇宙の海こそすべての生命(いのち)を生み出すものであり、生命の源(ソース)かもしれない。
従って、このソースを感じたければ、言語化しない方がいいのかもしれない。言語化するとパワフルなエネルギーが消えてしまいそうだから・・・。
勿論見えないもの、エネルギーを言語化するメリットは大きい。古人(いにしえびと)の芸術家たち、詩人たち、哲学者たち、宗教家たち・・・の言語化、見える化してくれたことへのリスペクトは絶大である。
その上で、今は言語化へのベクトルではなく、無意識、宇宙の海からプつプつと湧き上がるものをそのまま感じてみたいと思う。
今日の瞑想時の感想。忘備録として。
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