昨年のインドの旅(’17、8、13〜27)の今時点でのまとめ。

それは“委ねて生きる”〜去年のインドの旅で得たもの。“委ねて生きる”こと。

私は、自分の人生は自分でコントロールし、自律的に生きているように思っていた。しかし、インドという未知の場を旅する、更に4000mを越える高山に富士山ですら登ったことのないこの私が、素手で一人歩いて何の障害も起きず登れたということは、見える見えないに関わらず、周りの存在達の援助があったからこそ出来たことであることを改めて知った。
そして、この私だと認識していたこの体でさえ、私自身(魂)を助け、活かしてくれている存在だった。言い方を変えれば、この体は私自身(魂)のこの世の旅に運んでくれているベストの乗り物だった、ということの体得。改めて、この体をはじめ周りの存在達に感謝せずにおれない。

インドという所は、私のような一般的な日本人には未知の(情報ではなく)不明の空間なので、次に起きる事象も予測できないことが多い。だから、どんな出来事も受け入れて、任せるしか無い。実は宇宙の仕組みがそうなっているのに、私たちが勝手に近視眼的に“分かっている、見通せている”と思って暮らしているだけなのだった。

昨年のインドの初めての旅で、私はGさんに、いつ何処へ行くのか、どれくらい かかって着くのか、どうやって行くのか、どれ位滞在するのか等々、よく聞きまくっていた。Gさんの返事はいつも“そんなの分からないよ〜”だった。(Gさんに分かっていても、ついて行く私達は知らなくて良いこともあるようだったが)
Gさんと一緒に旅をしていて、あ〜、分からなくていいのだな、知らなくていいのだな、出くわしたことに真剣に対処すればいいのだな、と少しずつ浸透するものがあった。
これが「今ここ」に生きることなのだ。「今ここ」しか生きれない所に行き、それを体験し、体得したものは大きい。この「今ここ」に生きる生き方は、キツイ、辛い、苦しい、不安、心配〜に心を向ける暇はない。精いっぱい「今ここ」だけに心を向ける以外にない。

更に、Gさんは「起きることは、すべてギフト」なのだと言う。
生じる予期せぬ出来事を受け入れ、更にそれがギフトだったことに、後で気づく。出来事は、全て意味があって生じ、それを活かす生き方の道を歩けば、自然と進化の道へ導かれているのだ。

インドに限らず旅というものは、未知の所に行く訳だから“委ねて“行かざるを得ない。
人生という旅も未知の旅なのだから、“委ねて生きる”他ないのに、まるでコントロールできるかのように思っていた。
“委ねて”更に、この世で出会う全ての出来事をギフトとして受け入れ、真摯に向き合い生きればいいのだ、という気づきは大きい。