また誕生日がやって来る。

毎年この日を何とも複雑な思いで迎えるが、高齢と言われる齢になって、近年は、今の自分の在り位置、在り方、方向性を顧みて確認するいい機会と思っている。

さて、今年の今の自分の在り位置はどこにあるのだろうか?

今現在、世の中、地球的レベルで全体的に混乱と喧噪の中にあるように感じる。

ここに居て、私はこの時期を選んで生きている意味は深いと思う。自分の外の状況のみならず私自身の個人的出来事もショックを受ける程のことが生じた。

それは、2月に自宅で薪ストーブ用の薪を切っていた電動ノコに左腕を引き込まれ、大怪我になったことだが、私はこの時「あっ!きた!」と思った。何が「来た」のか、説明は難しいが、私自身への課題「あなたは何やっているの?どうしたいの?」とでも言われたような・・・・。

生き方については、近年は自身の生き方を模索する方向から、自分自身を解放し、ゆだねる、消すという在り方を求めているようだ。

別の言葉では、”つながる”、”ひとつになる”と言うことでもあるだろう。

 

この私自身の個人的人生観の変化は、人類史的に見て、文明が収束する方向から、外へ拓いて行く方向に転換する時期に来ていることと関わっているのだと思う。
要するに我々人類は、ターニングポイントに来ているのだろう・

 

さて、そこで私自身の今の在り様は、望んで今の時期にこの世に来て「魂の進化」のためにこの世での体験を積んでいるのだろう。

そして、「魂の進化」とは?自己解放、宇宙に繋がるということなのだろう。

この世で「生きる」には、意識、意志の在り方が大きくかかわる。意志がエネルギーを生み、現実化している。この仕組みが分かれば、意志の重大性が分かる。

ところが、この意志を曖昧にしていることが多いようだ。今一度この意志を確認することが大事だと思う。この意志が明確になったら、次にどう在ればいいのかが出てくるだろう。

 

最近の私の関心事は、この在り方を生む意識は?と言うこと。それは「意識の在りようが中今である」と言うこと。

中今という概念が私たち文明人には分かり辛いということがあるが、要するに「今」に生きるということ。

私たちは、ほとんどの意識が、今に居ず過去や未来に心を向けたり思考している状態になっている。例えば自分の呼吸を見つめて見たり、歩く一歩一歩の足に心を向けたりすることが「中今に在る」と言うこと。これは赤ん坊の在り様がそうだろうし、きっと古代の縄文人たちの意識がそうだったのだろう。

だから「中今に在る」ことは、難しくはないが、しっかり意識しないと私たち文明人には、得にくい在り方だろう。

しかし、この「中今に在る」在り方でなければ、心の安らぎ、全存在への愛と慈しみ等々の高次の意識は得られないだろう。

そして、今の私の在り方の関心事は、この「中今に在る」を出来るだけ意図して生きたい!と言うこと。

 

今のもう一つの重大関心事は、意識エネルギーの在り方、使い方である。

私たちの意識エネルギーは、想像以上に強大なようだ。

意識エネルギーが岩をも動かすということは、信じられないことだったが、実際現在の地球上の混乱と異常気象なども、私たち人類の今の意識エネルギーと無関係ではないように思う。

ではこの間違った人類の意識エネルギーの方向をどうすればいいのだろうか?

この一つの自分の中の答えは、”すきま(間)”に有りと思う。思考をゼロにし、この”すきま(間)”を意識、意図すると内からエネルギーが湧いてくる感触がある。まだまだ体験が少ないが、ここに人間が生み出すエネルギーがあるようだ。(最近大活躍の大谷選手もこのエネルギーを使っているように見える)
これは、意識革命かもしれない。

私たちが見ている世界は、ほんの一部分で見えてない世界が圧倒的大部分であるという認識。これは量子理論では既定の事実のようだ。従って、この世に働きかけるには、この見えないエネルギーの世界に働きかけた方が、結果が大きく違ってくるだろう。このことが分かって、”すきま(間)”を意識した在り方を~と試みている・・・。

私たちが得意の思考が入ったら、全くできないし、なかなか難しい在り方だが、このことを承知して、日常で使う試みをしている。

 

更に言えば、この”すきま(間)”エネルギーを生み出すには、言霊(げんれい)があるらしいが、まだ不十分な体得なので今は言及しない。そして、この言霊を生み出すのに最高の言語が日本語のようだ。ここに日本語のパワーがあるのだろう。このことも今は言及しない。

 

ということで、今の私の在りどころを書いてみたが、この期に及んでも、まだまだ課題もあり、探求、模索するところ多しの段階です~(>_<)

それでも見えてきた感もしっかりあり、有難い時代に、有難い生を生かされていることに感謝、感謝です❣