8月29日
「入院してください、早い方がいい」、
「えっ、今日ですか!」

入院窓口の受付け嬢の説明が、所々耳に入らない、、彼女の口の動きを見てるだけの、
しどろもどろな俺は、さっき、内科医の先生から「癌ですね」と静かに告げられたばかりだ、、

健康診断の結果と同僚が胃癌だと聞き、念のため胃カメラを呑み、
普通は見逃してしまう程度の部分を、検体として取って判った、
運良く内視鏡切除レベルの初期だそうだが、その大きさから、おそらく開腹手術になるらしい、

なんてことだ、無敵の健常を自慢する、この俺が、まさか、、

悪いことは続くもの、、
入院前にと、急いで駆け上がった天国は、空爆された後のように、あっちこっちが穴ぼこだらけ、
石積みの両側も無残に崩されていた、、ミミズやサツマイモを喰いつくしたイノシシの仕業だ、、

よりによってこんな時に、、

ところが不思議と怒りは全く無く、うなずいて観念する俺がいた、、


9月3日
5階病棟 518号室入室 、
患者と看護師さんの会話が筒抜けの4人部屋だが、窓際でラッキーだ、
ふと、隣から、まだ退院できないのかと、力無い独り言が異様に大きく聞こえ、
いずれ自分もかと、ため息がでた、
なにげなく窓際のテーブルに据え置かれた暗いテレビに映る顔は、険しくて不安げだ、、

転落防止の白いパイプが付いたベットに、こんどは俺が寝ることになろうとは、、
この病院が国立だったころ、末期の前立腺癌の親父に、2ヶ月ほど付き添ったことを
思い出している、、

ごろっと、横向きに肘を突き、隣の病棟の外壁を這い上がると、屋上と窓枠の間に、
真っ青な空と、大楠の木の冠がクッキリと見える、それを撫でるように真っ白な雲が、
ふわふわっと変化しては消えていく、、

ふと、女房に聞いた、そのころのエピソードにニヤリとした、、
親父の見舞いに、お袋が家から約2キロの道を歩き病室へたどりついた、
ところが持病のネフローゼで具合が悪くなり、親父のベットに横になり、
親父は待合室の椅子に座ってたそうだ、、
そして、もう、お袋には見舞いに来て貰わなくてもいいと話したそうである、、

消灯9時は早すぎる、、
癌摘出は間近だろうが、少しでも免疫力を高め、できる限り癌細胞を小さくできたらと、
落語を聞き倒すことにした、志ん生の唐茄子屋政談、富久、王子の狐、、
でも、かえって寝付かれず、逆効果だったかも、、

9月5日
慣れないベットの固さより、運動不足の腰痛が情けない、要所のストレッチをする、
隣の独り言や生活音にも慣れてきた、配膳や掃除の人、毎日変わる看護師さんの心使いを
申し訳ないと思うのは、失礼だろうか、、

早朝6時、優しい看護師さんの採血、
気が弱いんだ、その4本の容器をを見たのか血圧が100を切ってしまった、、情けない、

夕方、友人Yが落語の本を持って見舞いに来てくれた、TやKにも期をみて、話すつもりだと、、
全てが俺の無様な姿を見られたくない気持ちを思う、空気のような配慮に言葉も無い、


9月7日
Sさんの咳やなにやらで、なんとか、眠ろうと、おやすみのアダージョを聞いたが、
よく眠れなかったようだ、、
血圧も昨日から103、60と低いのが続き、頭も僅かにふらっとする、

それならとクラシックを聞きながら川柳川柳の落語自叙伝を読む、、面白い!
Yはほんとに良いやつだ、

10時40分、貸切りの湯船で顔を拭いて舌なめずりしたら、しょっぱかった、
さすが熱海温泉だ、、
中腰の窓の向こうは水葉停が見え、湯船に沈めば伊豆の青い空だ、、
束の間だが病院で満喫気分になるなんて、、でも、なんか浸りきれない自分が哀れだな、、

健康自慢の長い鼻をへし折られ、病を持つ人の気持ちが少しは解った俺は、
素朴で優しい整体師になれるだろうか、、

寝る前の幾世餅は人情話で両耳に涙が流れた、、


9月8日
手術が11日に決定し、外泊を許された、
病院で食べられない好物が膳にのぼったけど、その優しさに100パーセント
甘えることができなかった俺は、、ごめん、ありがとう、、

手術といっても、内視鏡摘出レベルだから、10月から仕事に復帰できるだろう、
それに俺の回復力はここにいる患者のレベルじゃないと、もう、喉元を過ぎていた、、

ところが、とんでもないことが待っていようとは、、。