先日の迷走した台風が秋風をもたらしてくれたと思っていたらまた夏の暑さのぶり返しの週になりました。
先日、何気なくテレビをみていたら小田和正さんの2022-23年の全国ツアーの番組をNHKでやっていました。ご覧になった方も多いと思うのですが、テレビを観ていて感慨ひとしおなのは今も変わらぬあの歌声で歌い続ける小田さんも圧巻でした。加えて観客の皆さんのお歳が私の年齢を超える方々も多くいらっしゃったことも感服しました。
実は小生が初めて小田さんのコンサートに行ったのは、「オフコース」時代で今から50年前の日本青年館でのコンサートに中学生だった私は行く機会があったのです。当時はフォークソングというジャンルが中学生、高校生にも謳歌していた時代なので、たまたまチケットを購入していた友だちに付いて行ったのがきっかけでした。あの時の「秋の気配」という歌に魅了されて一生懸命コピーをしたことも今となってはいい思い出です。それにしても小田さんも50年以上音楽活動を続けてらっしゃるわけでこれも凄いことですよね。
さて、前回に引き続き「子どもたちの隠れた力を引き出す 最高の受験戦略」成田奈緒子著の2回目です。
1回目にも述べたのですが、医師でもあり脳科学の分野で研究もされていて、「子育て科学のアクシス」の代表を務めていらっしゃる成田さんの知見を知る内容について、不肖私も改めて感銘をうけましたので、特に興味深い点やわが家の子育てでの失敗や振り返りなどをここでご紹介いたします。
章立てで第1章、第2章は#1をご覧ください。
以下、今回の第3章から第6章の中で注目をした内容を中心に紹介いたします。
各章のタイトルは以下の通りです。
第3章 やる気を引き出すには観察力がすべて
第4章 無理せず合格できる!省エネ勉強術
第5章 教育にお金をかけすぎない
第6章 脳を刺激する親子のコミュニケーション
と、この中で注目したキーワードは、第3章の「やる気」、「観察力」、第6章の「脳を刺激するコミュニケーション」です。(第4章、5章は割愛します。ご容赦ください)
まずは第3章のポイントをかいつまんでお知らせします。
・好きなことを伸ばす方が子どもの脳は育つ。宿題などやらされ勉強だけでは、生活リズムも乱れることから脳育てには決して良いものではない
・「夢中になれること」が見つからない子どもたちの方々がよく相談に来る。大学生になって「将来やりたいことが見つからない」とか「夢中になることがなかった」。そこでは兎角親の言うことをよく聞き、親の期待通りに振舞えるような子たちが多くそのようなケースに当てはまることが多いという
・子どもの「好き」を見つけるなら、とにかく「観察すること」。まず、自分のお子さんの好きなこと、得意分野が分からない親御さんは是非試してほしい。もし「好き」が見つかるようであれば「与える」のではなく、「置いておく」ようにしたい。(あくまでも好きなもの、興味あるものに「自分から」手を伸ばせるように、という意味)
・興味の対象がわかったら、そこからはできるだけ物を増やさない。次から次へと物(機会)を与えることは「本当に好きなもの」に出会える機会を逸してしまう。
・子どもの「脳育て」において「繰り返し刺激」が非常に重要。繰り返し刺激を与えることにより神経回路が作られ神経細胞をつなぐシナプスが強化される
・「監視」ではなく「対話」で子どもの言葉を引き出す。
子どものスマホを「心配だから」見ることは子どもの人権を侵害している。相談に来る親御さんの多くは「子どものことを知りたいと思う親は当然である、と主張してくる」。「心配」と思うのであれば是非子どもとの会話の中から掴みとる。子どもとの会話において「脳育て」に重要なことは、「オウム返し」と「自分の正論を封じる」こと。子どもとの信頼関係が崩れることが一番「心配」
というのが、第3章でした。
この本の根幹を為すメッセージとして、お子さんが生まれてから成人するまで「脳」をどうやって正常に育てれば良いのか、ということをおっしゃっています。前回のお話の中でも「からだの脳」、「おりこうさんの脳」、「こころの脳」とそれぞれ年齢に応じて相応の段階で正しく脳が育つことをイメージしていろいろな事例を紹介してくれています。
わが家の2人の男の子の幼児の頃を思い出すとママは「七田式」の七田先生の本を愛読していました。七田式の塾も2~3年通っていました。とにかく小さなとき(幼児~小学校低学年)には絵本でも物語でも読み聞かせをしなさいという教えを守っていました。子どもが分からなくてもいいので、いろいろなお話を母親の声で話していたことを思い出します。長男の時は特に顕著で同じ絵本を何回も読み、ほぼ話の展開を子どもは空で言えるくらいまで読んでいました。そのせいなのか長男は国語が得意でした。替わりに次男はそこまでの読み聞かせができる時間がとれずにむしろ言葉はテレビ越しにインプットされていった感があります。それが良いことかはわかりませんでしたが、小さなときからお兄ちゃんの横で同じ番組を観ていました。4歳違いなので、間違いなく興味の対象は違っていましたが。
小学校に入ると七田式の塾から公文式に替わるわけですが、ここでは脳を育てるというよりは興味を見つけるというところに効果があったように思います。お兄ちゃんが先に通い、それを弟が羨ましそうにプリントを解いているところを横で見ていて、「ボクもいずれお兄ちゃんに負けないように公文やるぞ!」と言わんばかりの目をしていたことをママから聞いていたものでした。ママは子育てに入るタイミングで専業主婦になり、子どもたちや家事に時間を費やすことを決め、子どもたちが大きくなったらまた働くことを考えていました。残念ながら子どもたちが大きくなる前に他界してしまったのですが、間違いなくわが家は幼児の頃の「からだの脳」と「おりこうさんの脳」は比較的順調に育ったのかもしれません。「こころの脳」は、残念ながらこうしたイベントのせいで二人ともいったん壊れてしまうことになるのですが。
次の第6章のポイントを次に紹介します。
・子どもとの会話はどんなことを話せばよいか。言語能力が未熟な子どもから言葉を引き出すことが脳を育てる上でとても重要
・子どもの語彙力は、「母親の語彙力」で決まる。5歳までの母親の言葉がけが多ければ多いほど子どもの語彙も増える。これは研究でも証明されている
・子どもから言葉を引き出すためには、まず「オウム返し」が大切。その際、重要なのは「ロジック(論理立て)」が最も重要。親の正論はほどほどにとどめて、まずは子どもの言っていることに呼応すること
・会話の中で「イエス/ノークエスチョン」はなるべく控えて、子どもに考えさせる質問を投げかけるようにする。答える方に子どもの脳を使わせるようにする
・対等に向き合うことから「対話」は始まる。お互いに対等に向き合っていることが前提。「子どもは親の言うことをきくもの」という考え方は最もダメな考え。子どもの論理的思考力が強化されるように対話するように努力する。だんだん子どもが大きくなると知恵、知識もつき親との対話で駆け引きをするようになり、疲れることも多くなるがあきらめちゃダメ
・「褒める」のではなく「認める」こと。よく「頑張ったね」ということばをかけがちだが、時と場合で使い分ける必要がある言葉でもある。「頑張ったね」は客観的なことばではなく、親(そのご家庭)の主観的な意見でもある。子どもが目標としていたものに対して、親が何を認めてくれたのかわからず混乱することもあるという。なかなか普段の会話の中で「認める」的な言葉の投げかけをするのは難しいが、客観的な事実を評価することに努める
と、第6章はこの本の中でも最もKeyな部分であるように思います。
「オウム返し」、「ロジックを持って会話する」は、ほぼ全くと言ってできていなかったように思います。子育て世代はどうしても仕事で忙しく、プライベートでもいろいろなことをしなければならない事情を考慮すると、十分に子どもと会話はできていなかったように思います。ママがかろうじて子どもたちが小さなときに時間を割いて言葉をかけてくれたことがせめてもの救いでした。
また、子どもが小学生低学年から高学年に移行する段階で「なぜ?、なんで?」の質問攻撃が来たケースはないでしょうか。わが家は兄も弟もまさに親がその試練を知ってか知らずか、ほぼ毎日ぶつけてこられたことを憶えています。母親も忙しい時は、「パパに聞いて」と振ってこられて会社から帰って疲れているときにこれは辛いものでした。正直、知識的な質問はリビングにあるPCでググるのが関の山で、こっちも正しい情報を提供できる自信もなかったのでこのような対応でした。そのお陰かどうか、次男はPCでググる方法を体得して質問を途中からこちらに投げることもなく、自分で自己完結していました。小学校3年生の頃だったでしょうか。「マインクラフト」にもその当時凝っていて、いろいろな情報もPCから得ることで楽しくゲームにはまってゆきました。第3章の部分の「好きなこと、得意なこと」もこうしたところから芽生えていったのかもしれませんね。
改めて子どもの「脳を育てる」という観点でこの本を読んで、いろいろな経験や知識が科学的につながったような気がしました。子どもとのコミュニケーションを充実させること、は「言う易し、行うは難し」ですよね。しかしながら、子どもたちが正しく脳が育つことで自ら考えて行動するようになるわけですが、ここは#3にてお話したいと思います。#3のキーワードは「自己肯定感」です。