h製薬元社長がいうには、「君たちは努力はできるのだからスキルは必ず身につけられる。だが問題はそこからで、人の上に立つものとしては人格が備わっていなければダメだ。私はそれがなくて出世できなかった。」

 

いやいや、社長が何をのたまってるんですか。と思ってしまったが、社会人組の一部はどこか共感できる部分があるようで、先のtさんいわく、部長クラスになると器の広い人が多く、課長クラスになるとまあスキルはあるがいろんな人がいるらしい。

 

そこで大学の教授から一言!(改めてすごいメンツ笑)でも今の官僚社会などでは、各人がのし上がろうとするあまり人格が尊重される環境とは対極にあるのではないかという指摘があった。いろんな官僚の問題が露呈したりね。そうであるといいね(リーダーに人格が備わってる社会になるといいね)とのべ、ソフトに反論してくくっていた。

 

母親によく、お前は苦労して大学に入った分人格でほかの人より優れているんだから、きっと立派になるはずだと言われたが、社長も教授も母親も言う「人格」って一体なんなのだろうか。

 

自分に関して最近気づいたことが一つあって、それは人当たりが良いということだ。あまり否定しないし、うんうんといって話をきき、よく質問する。でもこれは自分がスカスカだから、他者を否定することを放棄してしまっているのではないかと考えた。事実立派な友達は決して”人当たりがいい”とは感じない。(込み入った話をしている時に限る)

 

こういった癖がついてしまっているので、自分の意見が全否定された時に猛烈な憤りを感じてしまうのではないか、とも考えた。自分の中ではマナーとしてありえないから、相手にそれをされると怒るのである。

 

ここではっと気づいてある種初めてといってもいいほど自分に失望を覚えた。なぜならば、この特徴は自分が全く尊敬できない父のひとつの側面と全く同一のものだと気づいたからだ。

 

ここでも「人格」ってなんだろうという疑問が再燃してくる。