寮の某友人Mくんは、はじめはとても陽気な人だなぁぐらいの印象でしかなかったが、何の因果かこの半年でかなり深く関わることとなってしまった。その過程で印象もかなり変わったもので、僕なりに偉そうに彼について述べたい。

 

 

 彼はよく僕の部屋に突然やってきて一通り自分の趣味について語り倒して帰っていく。僕はうんうんと聞いているだけで、別に帰ってくれーなどと思っているわけではない。その際、僕が懇切丁寧に話を聞いてもあまり耳には入っておらず、つまりは自分のありのままを受け入れて欲しいんだと思う。

 

 彼の話の十八番は自分の母校の話で、とにかく憎たらしい謙遜を混ぜて自慢を執拗にするので、こればかりははっきりとものを言う一部の人間(N君)には愛想を尽かされているようだ。これも変えようのない自分自身の輝かしい経歴を披露することで、ありのままを受け入れてもらえる快感にとりつかれているのかもしれない。

 

(確かこの前新たなタイプが現れて、うざがるとかいう以前に「出身とかどうでもよくね」と一蹴しているものもいた。辛辣すぎて笑ってしまったが、彼の十八番なんだから聞いてやってくれ。それでも自慢話やめてなかったけど。)

 

 ありのままを欲する弊害だろうが、同じ話を何度もするのも特徴だ。本来、あるべき会話というのは話のタネを元にして相手の反応を見つつ育てていくようなもののはずなのに、そこからはそのような姿勢が全く感じられない。当然、育てる過程で枯れてしまっていたら、次の種をまかねばならないだろう。相手とのインタラクションを通じて形成するのでなければ、やはりどれだけ用意周到な談義でも相手に一辺倒であるという印象を与えてしまうし、反感を買うかもしれない。

 

 そんな彼だが、ここで彼に言及したのにはちょっとした変化があったからである。というのも、最近精神が参っているようなのである。何が原因かはわからないが、大きく二つ考えられるだろう。

 

 一つに、孤独感を感じつつもそこから脱却する試みにも届かない自分に対する嫌悪があげられる。

 

 彼はいつも異性との関わりがないことを嘆いているが、もう同じような台詞を半年以上も聞いてきて耳タコである。そういう人にアイデアを提供するとまず実行できない理由を並べ立てるものである。(自分も実行力がある人間とは到底言えないので言えないが、”偉そうに”なので許してください。)

 

 これは自分も反省すべき点であるが、どうすれば実行できるか、を考えることで人生は一層輝きだすものだ、とこの最近になって気がついた。とくに昨年度は自発的に行動を起こさない限り(しかもその行動も激しく抑圧されている中で)人との関わりを持ちづらい生活を余儀なくされたので、その影響も大きいのかもしれない。つまりは、無気力が癖になってしまっているということ。

これは僕にも当てはまるので参っている。

 

 そしてもう一つは、自分の提供するものが否定されて、その不安感に耐えきれずにいるということだ。

 

 初めに彼が「陽気な人」であるという印象を僕が受けたことと繋がるのだが、彼は、自分が面白いものを提供することで人間関係を保てる、という意識が強いのではないか。これは多かれ少なかれ誰もが持っている感覚ではあるが、彼の場合それが危機感を伴って心の中に堂々と鎮座しているような気がするのである。これは、適当に相槌を売っていると必ず執拗にリアクションを求めてくる態度にも見て取れる。

 

 先日、優秀な友人が数人集まった席で、自分が熱中するもの、自分の信念といった文脈になり、これまたN君が彼の趣味についてソフトに否定してしまっていたのである。これはこの文脈で捉えて初めて事の重大性がわかるのだが、彼にとって自分が提供する「面白いこと」は、人間関係維持の紐帯、生命線である。それが否定されることは、他者と隔絶される絶望と同義なのではないか。

 

 ここにきて一層救いようがないのが、彼の「ありのまま」を求める性質である。つまり、自分の武器を否定されたからといってそれを改善できるわけでもないのである。先の無気力と加えて、これらの複合した漠然とした不安感が彼を襲っているのではないか。

 

 まあ、この時期はいろんなサークルが新入生歓迎会をやっているので積極的に交流の輪を広げて良き出会いがあることを切に願う。僕にはうまく相槌を打つことしかできないのでね。