生きてる今に感謝 | こーしのひそひそ話

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乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



三女の同級生T君の家は

今 誰もいない

門から玄関までのアスファルトの隙間から雑草がところどころ伸びていて


玄関の周りにも人が立ち入った様子がないほどの雑草が伸びていた




今から 21年ほど前


当時 PTA会長をしていたT君のお父さんは


市内の電気工事業の2代目として父親が社長

自分は 専務としてバリバリ仕事をこなしていた


顔や体型は

あの秋元康さんに似ていた。


とても気さくな 良い方で


奥さんは同級生だったそう


元CAさんのとても知的な美人さんで


私は3歳上のこのママ友さんが大好きだった!



子供たちが小5の冬


その知らせは 突然だった


PTA会長さんが亡くなった!




私達役員一同 



その知らせに我が耳を疑った




う……嘘でしょ…………



それしか無かった


2月の真冬

支笏湖畔のホテルで開かれた


事業者の親睦旅行

会長は 幹事を仰せつかり


同じ市内に動物病院を開いてる獣医の方と
お世話係として 


宴会場でも忙しく歩き回っていたそうだ

その日の夜


突然苦しみだした会長



その声に これはおかしい と気づいた獣医さん。



部屋の電気をつけ 見ると


胸を押さえ 苦しんでいる会長の姿が




すぐに 心臓だ!と気づいた獣医さんが


救急車要請 そして 心臓マッサージを始めたという。




同室の人たちも気づき



救急車の到着を今か、今かと待っていたが


なんせ支笏湖


なんせ2月の真冬の夜中




夏なら25分で到着する道が




50分もかかったという




救急車が到着するまでの間



獣医は ずっと 心臓マッサージを続けてたそうだ



やっと救急車が到着して

獣医さんが一緒に乗り込み


市内の病院に到着したのは

救急要請から2時間後


朝の4時過ぎだったらしい



会長の家に連絡し


家族の皆さんが病院に到着した時は



時すでに遅し…………



心肺蘇生も 虚しく



会長は逝ってしまった



42歳



高2の娘さん


中3と、小5の息子さんの3人の子どもたちを遺して



会長は 旅立ってしまいました



知らせを聞いて 同じく役員をしていたママ友さんと自宅へ駆けつけた私達




そこには



救急処置の時に出来たのか 口の周りがうっ血した会長が

生前の姿と変わらず 眠っているように


安置されていた


助けてほしかった


助からなかった



それから 会長の代わりに

元CAのママ友の彼女は 会社に出て


長男が大学を出て 会社に入り


祖父の跡を継いで 社長になったのを見届けたかのように


62歳で ガンで 会長のもとへ逝ってしまった



まだ うちの子どもたちと変わらない年齢の3人の子たちは



すでに両親を喪ってしまった







今、生きてるということは


決して 当たり前ではない





昨日  

もう主のいなくなった 会長の家を見て



大病をしたのに生きていられる今を



とてもありがたいと思えた




死にたくなるくらい 辛いことがあっても



自ら 死んではだめだよね



生きていたくても 生きられなかった会長のことを考えたら



罰当たりな事はしてはダメだよね




私の同級生も


中1の時に 孝雄君が 家庭不和を悩んで自殺した



高1の時に 隣のクラスの男子が

踏切事故でバイクで死んだ



高3の時も 車の事故で 同級生が死んだ



20代の時 

弟の同級生で定時制の後輩が自動車事故で死んだ


これまで 本当に たくさんの


命が 失われていった



生きていられる今に


感謝しなきゃね