乳癌で入院した時
手術した夜、先生のミス(本人はそう言ってない)で
血管を縛り忘れ 一晩中 ドレーンから血が流れ出て
翌日 また手術した
傷口をもう一度開いて 出血の原因を探る、と言われて
私はまた手術台に上がった(のは記憶にない。おそらく意識朦朧状態だったろう)
1回目の手術の夜、夜中じゅう 私の様子を見てくれて
ドレーンに溜まる血を抜いて量を計り
おそらくは あまりにも出血量が多かったのだろう
抜くたびに う〜ん? と首をかしげていた
ヤバいの?と聞くと
えっ…とねぇ ちょっと量が多いかな?ってくらいなんですよねぇ。めまいとかしてますか?
と聞いてきた
目眩も何も こちとら手術(1回目)終わったばかりで 目眩なのか
麻酔の関係なのかわからない
でも 私が不安になるような事は一切 言われなかった
2度の手術終わって 翌々日
歩いてみましょうか!と来てくれたのは
娘と同じくらいの成田看護師さん。
点滴の取っ手に掴まり
逆の腕を成田さんがしっかり支えてくれて
病室から廊下まで歩いてみた
かなり出血してたし、輸血出来ないRhマイナスの血液型の私
ふらつくと想定されての支え方だったのに
意外とサクサク歩けたので
成田さんも驚いて
これなら回復も早いですよ!すごーい! と喜んでくれました
その後 四人部屋に移されたんだけど
ひとりの糖尿病で足を切断したおばさんが
夜中に私のすぐ横にある洗面台で洗濯を始めて
私、眠れず
すると 朝の検温の時間に 私のところにきた看護師さんが
中に入り 仕切りのカーテンを閉め
小声で
ごめんね🙏💦💦眠れなかったでしょう?止めるように何回も言ったのに言うこと聞いてくれなくて〜
今日中に他のお部屋用意するからお荷物まとめておいてもらってていい?
と言ってきた
なぜ私が?と思ったが すぐ意味がわかった
私以外 皆さんおばあさんで 耳が遠くなってたので
洗濯してたのも知らなかったらしい
耳が遠くなるのも時には便利なものだな笑
看護師さんのおかげで 次は窓側のお部屋になり
そこでの10日間は快適だった
成田さんは よく来てくれて
すっかり仲良しになった
私が退院の決まった日は 非番でいないと言って お元気に退院されるのを見届けたかったです……と言ってくれた
北海道は七夕が8月なので私が手術を受けた7月から 病棟の食堂に 七夕飾りがあって
短冊が置いてあり
願い事を書いてさげられるようになっていたので
退院する前の日の夜
成田さんに向けて 短冊にこう書いた
乳癌という大病で心身ともに辛かった入院生活の中、成田看護師さんのおかげで無事、退院できました!これからも看護師としてがんばってくださいね!
と。
気づいてくれたかな〜?
通院ついでに病棟へ行ったら
成田看護師は また非番の時で会えなくて
それからはあっていません。
でも 彼女なら いい看護師さんになってるだろうと思います
今 37歳くらいでしょうか
母が入院した時には 名前がなかったので結婚して名字変わったのか
それともあの病院をやめたか
でも彼女には看護師さんを続けててほしいな、と思ってます