迷子札は必要! | こーしのひそひそ話

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乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



かなり かーなり昔の話なんですが


ま、ざっと今から58年ほど前のお話です

私は5歳 弟は早生まれだったので3歳くらいだったかと。夏でした



幼稚園も夏休みだったから


私は 弟や近所の子たちと遊んでいました
でも一人の子が 汽車がみたいね!

と言うので みんなで(確か5〜6人ほど)上は七歳、下は弟の3歳でしたが


歩いて 駅まで行きました

当時 住んでたところから駅までは約1キロほどでした。

子供の足でも10分くらいで到着しましたが


駅に着いても お金があるわけでもなく


ただ 駅舎の中に入り

改札口から 通る汽車を見てただけでした

これが昭和40年ころの駅舎です。まだ高架前の見るだけで懐かしい駅舎です

でも 気づくと 弟がいませんでした



みんなで探したけど 見当たらず


慌てて家に帰り



お店に飛び込みました


もちろん、母の店は お客様で忙しく


普段はお店の入り口から入ってはダメ、と言われてましたが


そんな事、どうでもよくなってました

私は ママ!弟がいなくなった!


と叫びました



お客様の髪を結っていた母が


どこで? と さして気に留める様子もなく言いました



私が  駅! と言ったら


お客様が 


先生!駅だって! 汽車に乗ったんでないの?

誰かに連れてかれたんでないの?




それから 大騒ぎになってしまいました



駅まで 私と 従業員のお姉さんが行ったけど


弟の姿はなく


帰り道 探しながら歩いたけど



弟は見当たりませんでした




母から

どうして駅なんて遠い所へ行ったの!

子供だけで行っていいところじゃないでしょ!


と、説教を喰らったのは言うまでもありません…………



夕方まで探して見つからなかったら警察に捜索願い出さなきゃ……と


母が顔面蒼白になった時




泣きじゃくる弟を抱いた 自衛官の男性がお店に入ってきました



お宅のお子さんですか? 



自衛官の男性はそう言いました


母が 弟の名前を呼び


弟も 母の顔を見て



マーマー💦💦と抱きつきました




母が その自衛官の方にお礼を言うと



駅から ほど近い公衆電話ボックスの前で 泣いていたらしく


聞いたら お姉ちゃんたちと来たのにお姉ちゃんたちがいないの と泣き出したそうで


お家はどこ? と聞いても 泣いてて何を言ってるか分からず



自衛官の方は ちょっとごめんね〜

と、弟が来ていた服の裏側を見たそう



そこには 家の住所と弟の名前が書いてあり


連れてきてくださったのだと言う


途中 あまりにも泣いてて可哀想になり、お店屋さんでお菓子を買ってくれたそうだ


おそらくその時 私達が探し歩いてたようで


だからいなかったんだと思いました



あとから 母が



あの時 服に名前と住所を書いておいて良かった


子供のものには ちゃんと書いておかなきゃ、と言われてたから



私は娘たちのジャンパーやジャケット、リュックの裏側に


住所と名前、電話番号を書いてました



これ、とても大事だと思います



特に人見知りしない子なら 知らない人に付いてく可能性もありますからね




迷子札、というのは大事だと思います





ちなみに 弟がいなくなったのは


便所に行く!と私に言ったらしいんですが


私は聞いていなかったらしく


いなくなった!と思い込んでた、というのが真相でした



大人になっても(特に認知症の)迷子札、大切です


迷子札じゃなくても(本人が嫌がることがある時)
衣服のどこかに名前と電話番号は明記していきましょう!