私が車の免許を取得したのは
今から41年前
22歳の秋でした
美容師の免許が先! と母に言われ
20歳の春に合格し、国家資格を取りました
それから しばらくは免許がほしいなぁ〜 くらいの気持ちでした
ある日の夜
いつものように父が仕事終わりに車で美容室に迎えに来てくれたら
顔色が悪く 母がどうしたの?と聞いたら 寒気がしてた、今は熱い
と言うので熱を計ったら39度の熱が出ていました
すぐに救急病院にいかなきゃ!と言うも
運転できるのは父だけ
高熱を出してる父親の運転で救急病院へ向かってた後部座席で私は
どうして私が運転してやれないんだろう 免許さえあれば 代わってやれるのに…………
そう思ってました
それから母にしつこいほど
免許がほしい!と言いました
母は、女が車の免許なんて取ってどうするの!いりません!危ない!
と反対
でも父は 車の構造を教えてくれて
足は 右から A.B.Cの順に並んでるんだ
アクセル、ブレーキ、クラッチだ
右足でアクセルとブレーキ、
左足でクラッチを切るんだ、
と、教えてくれました
念願叶って 9月から自動車学校へ通えることになり
10月18日に卒業
全部一発合格でした
そして筆記試験は24日、これも合格
私は普通自動車運転免許証を手にしました
そして それから14年後
札幌の南一条病院で肺の摘出手術を受けた父を 同じ市内の厚生病院へ連れて行くため 私は当時 旦那が乗っていたデリカを運転して札幌へ
南一条病院で父を乗せて 運転しようとすると
後ろから父が
俺が運転するか? と言うんです
札幌のまちなかをデリカのような大きなワゴン車で運転できるのか?
と、何度も心配そうに言うんです
歩くのもおぼつかない人に運転なんてさせられないよ!と言ったけど
父は後部座席で ずっと前のめりになり、前を見て 私の運転を後ろからあーだこーだと指示してきました
母に いいから!娘に任せときなさい!大丈夫だから!
と言うも 父はそれはそれは心配そうにしていて
ルームミラーに写る顔は今も忘れられません
厚生病院に着いて 帰るときにも
スピード出すなよ、周りちゃんと見てな、慎重に運転するんだぞ?と
何度も繰り返してました
自分がどんなに具合が悪くても
運転する、と言った父に 私は似てるんだと思います
前のブログで コメントで
具合が悪い状態で運転したら同乗してる娘さんも危険 と書いてました
そのとおりです。
でも 不思議と 娘を迎えに行くとき
なぜか ちゃんとできるんです
それは 母親だからなのかもしれません
これが旦那なら、絶対に行きません
子供だから
我が子だから 行けるんです
ほんとに 自分でも不思議なんですが
迎えに行かなきゃ と思うと シャンとしてくるんです…………
父が そうだったように 心配性の父の性格が私にも、遺伝してるようで
定時制の高校だった私を父は夜九時すぎに学校まで迎えに来てくれてました
大好きなお酒も飲まずにいてくれました
母が免許を持ってなかった、というのもありますが 自転車で帰ってたけど冬場は 自転車になんて乗れない北海道
父の迎えが本当にありがたかったです
私が父を乗せて運転したのは あれが最後でした
最後の入院のときは 父の車を義妹が運転して病院へ行ってくれました
私は子供達の学校とかあったから 入院へは付き添えなかったんです
でも あのとき1回だけでも 父を乗せて病院へ送れた事、免許を取ってよかったと心から思いました