死に様が生き様 | こーしのひそひそ話

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乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



向かいに住んでたおばさんは

離婚し 飲み屋に働き

妻帯者の愛人になって 妻を苦しめ

 妻はそれが原因で倒れ半身不随の寝たきりになってしまい、

人様の家庭を壊した人。


おばさんは晩年、愛人にも捨てられ酒浸りになり 誰にも看取られず

死んだ。発見されたのは死後数日経ってからだった。




私の叔父は 


妻と二人の子がいたのに ギャンブルで会社のお金を横領


怒りに震える妻の母 泣き崩れた妻



父が 刑務所に入れて根性叩き直してこい!と言ったら


弟を見捨てるのか!助けてくれないなら兄貴じゃない! と悪態をつき



母がキレた 


自分のしでかした事を人のせいにするな! 全部 自分がやったことでしょう!と。


そして 


あんたは昔から私らにどれだけ迷惑かけたら気が済むんだ!
女孕まして 中絶するお金も私が出してやってるんだ! 何をやっても兄弟が助けてくれるなんて思うな!


と怒鳴り


父に 帰ろう!
お前なんてどうなろうと知ったこっちゃない!


と捨て台詞吐いて帰ってきたそう


結局 長兄と、三番目の弟が会社に弁済のお金を支払いし、刑事告訴は免れた

が、妻の母の怒りは収まらず

私の母の言った、女孕まして と言うのにも激怒



娘とは離婚だ!と別れさせた



それから 叔父は 行方知れず



どこで何をしてたのかは知らないけど



私をとても可愛がってくれた叔父は
私にとっては大好きな叔父だった。

5歳の私を抱っこしてくれてる叔父
メガネをかけてるのは父
家族で集まるときはいつも私は叔父が抱っこしてくれた
いつも私をかわいがってくれて
私が見上げたら そこにある顔はいつも叔父だった


その叔父に一生 会えなくなったのかと思ったら かなしくて悔しかった



その事件から 何十年か経って

叔父は働いたお金を 妻のところへ送っていた


それが 妻と母親の心をほぐしたのか


50代になってから 盆暮れには会うようになり、


いつしか 元の鞘に収まるつもりでいたけど

妻が 胆嚢ガンで60歳で亡くなり


その後 母が 老衰で亡くなった


叔父は 二人の葬儀を出した




妻の住んでた家を息子に託して たまに北海道に帰って来ていた

横浜にいる二番目の弟がやってる会社で働き


アパート暮らしをしていたが


お風呂上がり 脱衣所で 倒れてそのまま亡くなり



三ヶ月後に大家さんと警察により発見

横浜の叔父は 兄貴は北海道に行ってると思い込んでいて

特別連絡もしなかった


大家さんも お風呂場の電気を消し忘れて北海道に帰ってるんだと思っていたそう


気づいたのは 隣の部屋の人が


嫌な匂いがする、だった



GWに北海道に行く、と聞いてた、ということから


発見される7月まで 叔父は誰にも看取られず ミイラ化していた



叔父の息子が 遺骨を引き取り


こちらで葬儀をしてくれた



あまりにも突然のことで



私は 叔父の遺骨を抱いて泣くことしか出来なかった




あんなことしなかったら


娘や息子に看取られて あの世へ逝けたろうに

ひとりで倒れたまんま 誰にも気づかれずに死んでたなんて










人を傷つけ 泣かせて

悲しい思いをさせた人は



看取る人なく亡くなる



私の祖父もそう。


祖母を泣かせて 辛い思いをさせて



だから 誰にも看取られることなく


病院のベッドで 倒れてそのまま亡くなった



父の方の祖父も 60歳で事故死した


祖母をお酒を飲んでは殴る蹴るしてたからだ。

生き様が死に様って よく言うよね


若いときに亡くなられた人は別としても



歳を取ってからの孤独死は



やってきたことへの罰が当たったことなんだろうね



ここには載せないけど


知ってる人で そんなふうに亡くなった人がたくさんいます



死に様を聞く度に


だろうね、と思う人ばかり


孤独死をしています




家族に看取られて 布団の上で目を落とせることは

人を深く傷つけることなく生きてきた、ということなのかもしれません。

そして看取られて死ねるのは
幸せなことなんでしょうね