今日も祥月命日だったよ…… | こーしのひそひそ話

こーしのひそひそ話

乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



私の結婚式の前の前の日

今日5日に 


祖父の再婚相手が 亡くなった

83歳だった


私の祖母を死ぬまで苦しめた相手。




祖母が結婚したあとで

祖父に 付き合っていた女性がいた事を知る。



この女性、実は 祖父と付き合い、

女になったことで 発病してしまった



昔なら、精神分裂病



今は 統合失調症だっけ?



祖父に内緒だったこの病気



入院したことも知らされず


祖父は ふられたと思い


祖母と結婚した


なのに 退院し 祖父のあとを追って


樺太にまで渡ってきた



私の処女を返せ!と迫られ


祖父はこの人を妾にした





祖母が43歳で亡くなって



半年もしないうちに 籍に入れると言った祖父。




叔母たちは 猛反対した



親子の縁を切る!とまで言った




でも 籍は入り 祖父は再婚した



私が生まれたとき おばあちゃんと呼んだのはこの人。




でも 大きくなり事情を呑み込んだあとは


名前で呼んだ

母も名前で呼んでいた。


私がおばあちゃんと呼んでいいのは


亡くなった祖母だけだ



この再婚した女性は、



とてもいい生まれの 筋金入りのお嬢様



明治38年に石狩の網元の末っ子として生まれ


何不自由ない暮らしをしていました



父親は 本当にものすごい大きな網元で



自分の船を置くために 茨戸川に船を係留する池を作った

今でこそ、そこは川の一部になっているが昔は 池のようにしていたという

ガトキンの近くだ。





学校へ行くときは 乳母日傘で 通い


家では箸より重いものは持たないくらいの暮らしだったという



私が19歳の頃  一通の手紙が来た


知らない名前の男性だった



内容は 



自分は若い頃、石狩の網元の家で

男仕(おとこし)をしていました


○○お嬢様は お元気でいらっしゃいますか?
という内容。



祖父亡き後、発病し、元に戻らなかった再婚さんは、


札幌の病院に入院していた

母が この人知ってる?と手紙を見せたら




あら!○○さん、字が書けるようになったのね!と言ってたそう。
私のね、身の回りのお世話してくれてたおとこしさんなのよ と懐かしそうに話したそうだ。


再婚さんは



とても話し方がお上品で


漬物の事を おこうこう と言っていた

この おこうこう は、宮言葉で、

香の物、という意味。


宮中言葉を使う再婚さんでした



残念ながら



あとを取る息子が死んでしまい



あとの娘たちは この遺伝の病気のため、 結婚はしたものの


まともな子供がいなかった



再婚さんをお嬢様と呼んでた人に


菩提寺はどこかと聞いたら



石狩に金龍時というお寺がある、そこだと思いますが


と言うので



亡くなって 荼毘に付したあとから



母が電話をかけてみた



すると ご住職が、



納骨堂は、ございますので 納にいらしてください、というではないか!




49日が終わってすぐに石狩へ行った




大きなお寺だった




そして この金龍寺を建立したときに


お金を出したのが 再婚さんのお父さんだったというのだ



お寺の本堂に 建立に寄付金を出した人の名前が書いてあり



再婚さんのお父さんは大きな字で一番はじめに名前が書いてあった




茨戸川の事も ご住職から聞いた話だ。



なんでも 長姉の子供が、


新興宗教に入信するから、と墓も骨もすべて持っていってしまったのだとか。



それでも 建立してくれた方のためにと、

納骨堂だけは開けておいてくれていたのだ。



そこには 再婚さんの、すぐ上の姉も入っていた


そこに再婚さんを納めて


私達は帰ってきました





思い出して良かった



先程 手を合わせましたよ🙏