ハガキ
齢81歳
小樽に暮らす 叔母から
久々に ハガキがきた。
不定期だけど、 叔母に 手紙を書いている。
C型肝炎のキャリアになってしまった叔母。
肝機能の数値が悪くなると
だるくて起きていられないという。
電話したら 一番いいのだが、
叔母の家には 子機がない電話だから
私と話してるあいだ 起きてなければならないから
電話も遠慮している。
23歳で 許嫁と結婚してから
今年で約60年近く
叔父と二人 生きてきた。
子供には 恵まれなかった。
叔父は 大手の大銀行のとても偉い地位にいた人。
東京に暮らしていたが、
定年を迎え 第二の就職の定年も迎え
夏場は、北海道で。
冬場は、東京で、という 二重暮らしをしていたが
体力がないから と こちらに帰ってきた。
二人の故郷 小樽で今
暮らしている。
なにかあったら すぐ行くから いってね!
と、手紙にかいたら
気持ちは感謝するけど、
今までも二人でやってきたから 人様には 頼らない
と書いてありました。
人様 姪の私を 他人扱いか………
と、すこし 悲しくなりました。
たしかに なんにもしてやれない。
叔母のほうは、お金持ちだし、
なんら生活には困ってない。
だから、お金さえ払ったなら どんなサービスでも受けられる。
身内に情けをかけられたくないんだろうか?
きっと 周りに 親戚の一人もいない東京で、
叔母は 頑張ってきたんだろうな。
だから 人様に頼らない
という 哲学を 身につけてしまったんだろうな。
そう思うと やりきれなくなった。
昔 もっと もっと
手紙を出せばよかった。
母に 検閲され、
こんな汚い字で、こんな内容の手紙なんて 出さないで!恥ずかしいから!
と叱られ
強制的に、手紙という 検閲文を書かされた。
誤字脱字も許されず
文章の作り方がおかしいと直され
書き直した。
そんなものだから 私は、東京の叔母は
とてもとても きびしい
先生のような こわい存在だと思っていた。
でも 今は 無性に 叔母に会いたい。
年老いて 痩せて ひどいから
こないでね。 と言われている。
それを無視してまで
行けない。
近所にも 叔母がいるが、
そっちは、元気だから よしとしているが、
身内のいない小樽に暮らしている叔母がくれた
この一枚のハガキに
いいようのない寂しさを感じました。
今から45年前
父の実家は
北海道の南
道南の 熊石町。
電車は ない。
昔も 今も。
唯一の電車は 江差町まで。
それが昨日

廃止となった。
私 9歳の夏休み
父の実家に住む 伯母、祖母、従姉妹に会いに 毎年、父が運転する車で行ったが
その年だけ、なぜかわからなかったが、
電車(あの頃は汽車)でいくことになった。
母が経営していた美容室に働いていた 父と同郷のお姉さん二人と 私と弟の四人
夜汽車にゆられ 函館へ。
朝 函館から 木古内、江差へ向かった。
夜汽車で、あまり眠れなかった私は、
朝日に照らされた 江差までの汽車の中で 軽く眠り
揺れが 心地よかった。
江差に着き
半分 寝てる体に
夏の日差しが強かった。
熊石町までは そこからバス。
お姉さんたちがいるとはいえ、
降りるとこを間違えたら 大変なことになるから だんだん緊張していた。
バスに揺られること30分。
見たことのある景色が
見えてきて
あ、 この次のバス停かな?
と思って 窓から見たら
アッパッパにエプロン姿の祖母が
バス停に立っていて
私たちが着くのを 待っていてくれました。
何時に着くかもわからないのに
始発から ずっと 待っていてくれたばあちゃん
あのとき その姿をみた私が
どれだけホッとしたか
あれから 45年の月日が流れ
祖母も もう この世にいません。
ばあちゃん
私が 人生というバスから降りるときは
また バス停で 待っていてね。
お願いね?
だって あの頃と同じ
不安だからさ
お願いします!
北海道の南
道南の 熊石町。
電車は ない。
昔も 今も。
唯一の電車は 江差町まで。
それが昨日

廃止となった。
私 9歳の夏休み
父の実家に住む 伯母、祖母、従姉妹に会いに 毎年、父が運転する車で行ったが
その年だけ、なぜかわからなかったが、
電車(あの頃は汽車)でいくことになった。
母が経営していた美容室に働いていた 父と同郷のお姉さん二人と 私と弟の四人
夜汽車にゆられ 函館へ。
朝 函館から 木古内、江差へ向かった。
夜汽車で、あまり眠れなかった私は、
朝日に照らされた 江差までの汽車の中で 軽く眠り
揺れが 心地よかった。
江差に着き
半分 寝てる体に
夏の日差しが強かった。
熊石町までは そこからバス。
お姉さんたちがいるとはいえ、
降りるとこを間違えたら 大変なことになるから だんだん緊張していた。
バスに揺られること30分。
見たことのある景色が
見えてきて
あ、 この次のバス停かな?
と思って 窓から見たら
アッパッパにエプロン姿の祖母が
バス停に立っていて
私たちが着くのを 待っていてくれました。
何時に着くかもわからないのに
始発から ずっと 待っていてくれたばあちゃん
あのとき その姿をみた私が
どれだけホッとしたか
あれから 45年の月日が流れ
祖母も もう この世にいません。
ばあちゃん
私が 人生というバスから降りるときは
また バス停で 待っていてね。
お願いね?
だって あの頃と同じ
不安だからさ
お願いします!
ご近所さん
みなさんは、ご近所の皆さんと どう関わっていますでしょうか。
私は、日中 仕事をするようになってから、
あまり関われなくなっていますが、
挨拶程度するくらいなら
毎日 しているんですが
道路に面したトイレにいるとき
窓を開けていたから
それこそ よぉく 聞こえてしまったのが
ケンカ です。
まず
てめー どこいくつもりだ! (注:女性)
かんけーねーべや!
(どうやら旦那さん?)
またあの女んとこ行く気なんだべ!
うるせーな! どこだっていいべや!
ふっざけんなよ てめー
今度やったら ぶっ殺すったべや!
こいこら! ぶっ殺すから!
離せや! いてっ! 離せっつってるべや!
このあたりで ドアの閉まる音
走る足音
車の走り去る音
しーーーん
まただわ あのお宅
夏場 窓を開け放ち
壮絶な ケンカ。
有名だそう。
さっき おとなりから
夕べの 聞いたかい?
と。
なんか 叫んでたのは聞こえてたけど
と、うそぶいたら
あのさ、 と聞かされた。
暇ね、あなた
と思ったが
そうなんだ、へえ と相づち。
よくも、わるくも言わずにいました。
にしても
普段は 普通のお母さんにお見受けするんですけどね、
ちょっと 気の毒になりましたね。
せめて 家の中で 窓閉めてやっていただけないかしら