毎日の眺めの中から -24ページ目

誕生日

明日8日は、私の誕生日です。


ガンを患ってから 誕生日が愛おしくなりました。



今年も 誕生日を迎えることが出来た そう強く思えるようになりました。





それはそれとして





🎵小さい頃は神様がいて 不思議に夢を叶えてくれた🎵




言わずとしれた ユーミンの歌。




まさにそうでした。



子供の頃は 誕生日だけは、嬉しかった。



みんなが私におめでとうって言ってくれて プレゼントも欲しかった物が手に入った。




だんだん大人になり 歳を取ることが嫌で




48歳までは またひとつババァへ近づいたよ~ 嫌だァ~ なんて言ってた。




49歳の誕生日からは、




あぁ 誕生日を迎えられたぁ と 感慨深くなり、




それからの誕生日は、




子供の頃とはまた違う嬉しさがこみ上げてくる。




プレゼントは、この一年。


ケーキも なんにもない誕生日だけど、



生きていられることが、最大のプレゼントだと思って




明日を迎えたいです。




あと 何回 誕生日を迎えられるかな?




これが最後の誕生日




そう思って ガンからの誕生日を迎えてますが




悔いのないように



過ごしましょうっと!

子宮

私が筋腫の手術を受けたのは、今から10年前



44歳の冬。


誕生日の10月に 当時の職場の先輩が通っていた婦人科が、3人の娘を出産した病院と聞き、なんだか急に 私もたまに行って先生に会うかなぁ くらいの気持ちで二人して行くことにした。



生理になると頭が痛くて 体もだるくて と言う私の話を聞いた先生は すぐに筋腫を疑った。




MRIの結果は 子宮の外側 直腸のすぐ近くにまで筋腫は、迫っていた。




放っておいたら直腸と癒着して、人工肛門することになるよ?

子宮、摘出しよう! と先生





仕事のケリのつく1月まで待ってもらい 入院、



お腹は切らず、膣から子宮を抜く手術を受けた。



三度のお産で 脱膣にもなってる と言われ それも元に戻したからね、と言われた







それまで気にもしていなかったことだったけど、




子宮がなくなったら




え?と思うことが多々あった




踏ん張りが利かない。



重たいものを持ち上げるとき 力の入れどこが、子宮だったなんて。




トイレでもそう。




便を出す時、子宮がないと力の入りどこがないような 妙な感覚におそわれた。




おへその裏側が 空っぽになったのを強く感じた。





女は 知らず知らずのうちに 子宮に頼っていたんだなぁ と思った



今は 左の乳房も根こそぎない。





女として生まれてきたのに 女の象徴を失った私。




子宮をなくした時のような失望感に




たまに襲われる。




情けない私が この時期になると 出てくる。




あと四日で 54歳になる。







辛いことだらけ



御嶽山の噴火による犠牲者多々



しかもみなさんの死因のほとんどが損傷によると。




雲仙普賢岳の時は、呼吸器のやけどで亡くなられたみたいでしたが、



今回のは、 身を隠す場所にいた方々は なんとか助かって



逃げ場のない場所にいた方々は 空から降ってきた岩に その身をさらさなければならなかった




なんていう辛い現実




亡くなられた皆さんにも 思い描いていた未来があったのに



それが何にも言えず ただただ 降る岩から逃れることができずに


人生を終わらされてしまった。




こんなに辛いことが他にあるだろうか?




事故というのは、 あまりにむごい





昨日までいた人が 今日は、いないのだから。




亡くなられた皆様





心よりの御冥福をお祈りいたします。




御嶽山より 高いところから いつまでも 下界を見ててください。




とても 胸の痛む 悲惨な事故


もう、ないことを願います。