初めに使っていたパソコンは、それで十分だった。ところが、画像の解像度が高くなり、音楽が出てきたりして、記憶容量がより必要になった。画像と音楽が合体して動画が出てきて、爆発的にメモリが必要になる。
もう作業場が狭いとフリーズして、パソコンはただの鉄の箱になってしまう。そうならないように、スペックが高度化してくる。さらに大きな部屋が必要になるかと思いきや、逆に小さな部屋になって集約される。
進化するほど、記憶は膨大になるけれど、入れ物は反比例して小さくなる。脳の進化と似ている。初めは大きくならないと進化できなかった。ところがある時期を過ぎると、大きくならなくて、小さくなって、中が広くて大きくなる。
そして悲しいかな、人とは高齢になると、記憶容量が小さくなって忘れるようになる。それに伴い外側の体も行動範囲が狭くなり、スペックが低くなっていく。まるで赤ちゃんのようになっていく。ただ違うのは、赤ちゃんには可能性という未来が待っている。
高齢になると、記憶容量が自分の中で小さくなるので、外に記憶容量を求めないと作業できなくなる。ブログを書いて人に伝えて、他人の記憶を頼りにし始める。他人が記憶してくれないと、自分が薄れてやがて消えていく。
それが怖いからもがいて、動画を制作している。一瞬で消えてしまうデジタルでも縋って、存在しようとする。まだ知らないだけで、永遠ともいえる記憶を納めて置ける容器が、どこかにあるかもしれない。
もう触ってわかる物体ではないのかもしれない。パソコンもスマホもいらない。その中のメモリもいらないエネルギーとしての存在になるかもしれない。目に見えないけれど、感覚として、お互い理解しあっている。そんな世界にすべてがなるのでしょう。