前にも書いたけど、イギリスに住むことを選んだ大きな理由が、比較的都市部でも幼児がアクセスできる身近な自然が豊富にあるというところ🌳🌳





実際、暇さえあれば公園や森に娘を連れ出しています。春夏は1日2回、秋冬は1回の頻度で雨が降ろうが風が吹こうがマイナス気温だろうがほぼ毎日外に繰り出す、母娘。





自然って人にあらゆる刺激を与えてくれる最高のフィールドだと思います。





私自身が育った環境は、政令指定都市で野山が周りにあるような場所ではなかったのですが、それでも割と自然あそびをしていることが多かったです。



当時は、学校帰りに田んぼ(今はもうマンションが立っている)でタニシを見つけ、秋には籾殻の山にランドセルごとダイブしたり、自宅から徒歩3分の場所には広大な広場と山(富士塚)がある神社があり、学校から帰ると出かけていく。

当時一歳半の娘には急な傾斜😅の富士塚。30度はありそうよね。


もう何十年と保育園の定番お散歩コースでもある。



長期休みも国内なら家族でキャンプ🏕️に行くことが多かったです。




よく、赤ちゃん、幼児のおもちゃで○in 1みたいにひとつのおもちゃで複数機能備えているものって結構あるじゃないですか。



我が家もそういうの買いがちなんですが、よく考えると自然の変化って無限in 1なんですよね。ひとつの場所に季節ごと時間帯ごとに無数の変化が存在している。




その自然の変化の中での遊び方って自由なんですよね。自分なりのそのタイミングでの解を見つけて遊ぶことってすごく大切だと思うんです。




あと、ページごとに違った素材を使って五感を刺激するセンサリーブックも赤ちゃんの知育玩具として一般的ですよね。




だけど、一歩外に出て自然を眺めるといかに多様な形、色、感触の草木があることか。



フワフワ、つるつる、モフモフ、トゲトゲ…




なので本来的にはそういった類のおもちゃや本を買うまでもなく外で思いっきり遊ばせて草木に触れれば、いくらでも人が造った人工物の補完ってできちゃうと思っている。




その辺に落ちているランダムな形の石ころをどうやって積み上げるかって、おもちゃの積み木を上に積むよりよっぽど頭使う。そしてこれまた無限通りの積み方がある。

とはいえ現代社会に生きている以上、おもちゃゼロとかは非現実的だし家にいる時間は必然的におもちゃメインで遊ぶのでもちろん頼りますよ。そういう人が造ったものに。






娘には自分を取り巻く世界を絶えず三次元で知覚して欲しいと思っている。






ある時は、芝生から隙間に落ちそうな辿々しい歩みを進めるてんとう虫の様子をただひらすら見守り



ある時は、蜂が花粉を求め花冠に潜り込む様子を10分、20分じっと観察する。

どんな味かするのか想像しながらね。


大人にとってはへーで終わらせてしまいそうな光景でも娘にとっては初めての世界。



その辺に生えているいちごやラズベリーを味見してその酸っぱさを味わってほしいし、



凍った池の氷を叩いてみたり


裸足で駆け回って足の裏で芝生の絨毯を感じて欲しい。


自然界の小さな命の営みや変化を発見した時、季節の移ろいを肌で感じた時の驚きやワクワクを娘と一緒に共有したいと思っている。




これは私が大好きで全ての子育てする人にぜひ読んでもらいたい本。


名著「沈黙の春」で環境破壊にいち早く警鐘を鳴らした世界的な海洋生物学者であるレイチェルカーソンの遺作です。


私は20年以上前に買って今でもたまに読むんだけど読んだ後はいつも感覚が研ぎ澄まされる。




私はひらがなが早く書けるようになった、英検一級小学生で取得!とか幼稚園で九九覚えたとか早期教育によって得られた先取り知識に全くと言っていいほど価値を見出していない。



そして反復によって得られる知識や、できた、できない、点数が上がった下がったとか量的な可視化しやすい指標で子供を評価することってあまりに浅慮だと思う。




そんな単純じゃないでしょ人間の成長って。



彼女が抽象概念をしっかり捉えられるようになるまでは娘という1人の人間の土壌を耕すことに注力したい。




今の時期に、親が選んだ厳選された種(巷で評判のいい教材)を撒くのではなく、沢山遊んで五感から得られる感覚を大いに楽しんで欲しいしその過程で育まれるあらゆる感性や感受性を鋭敏にし、機微を解する人になって欲しいと思う。



でもそれってわかりやすく見えないんですよね。



だから私自身も娘の変化にアンテナを張り巡らせて一緒に成長する必要があるんです。




色んな子育て本とか育児書があるけど、私と夫が重視しているのはこういう部分かな。そして今住んでいるエリアは私たちにとって理想的な子育てができる場所ですね!