いつからかはっきりしていないんだけど、そういえば30代後半からか近況を自分から報告しなくなったんですよね。
聞かれたベースでしか話さなくなった。
先週、大学の仲良かった4人グループのうちの1人から久々に連絡あって、別の1人のお父さんが亡くなったって。
この4人と最後に会ったのは一昨年の11月
約1ヶ月前の12/7に。
そのお父さん亡くした子は、お母さんも6年くらい前に癌で亡くしています。
今回はジムのお風呂で倒れてか転んでかよくわかんないけど、とにかく水飲んじゃって誤嚥性肺炎で亡くなったみたい。だから結構突然。
彼女も私に連絡する直前に聞いて、私ともう1人に慌ててLINEしたっぽい。
この4人グループって何故か私の誕生日12/8だけ毎年おめでとうってグルチャにメッセージくれるのね。
誰か1人が送ってそれにみんなが倣う感じで。
今気づいたけど、そういえば今年は誰もくれなかったんだよね。。。
そもそも自分が人の誕生日を覚えていないタイプだし、くれなかったこと自体は別にいい。
これ完全に偶然だけど、むしろそれで良かったって思った。
前日に家族の不幸に見舞われている時に、友達同士の誕生日おめでとうなんて全くもって要らない情報じゃないですか。
人によっては嫌とかザワつく感情すら浮かばないくらい余裕がないかもだけど。
なんでこんなこと思ったかっていうと、私自身が全ての周囲の近況報告をシャットアウトしたい時期が30代後半くらいにあったから。
不妊治療で暗闇を彷徨っていた時とか姉が寝たきりでいた数年間とか友達の結婚報告や出産報告がマジでどうでも良かった。
メールとかLINEってその人向けに直接書いているから基本的には、相手が読むかどうかを選択できないじゃないですか。
究極は未読もありだけど、友達同士だったら普通そんなことしない/できないでしょ。
それでいうと私は10年以上書いていないけど年賀状もだね。
自分がハッピーな報告した時に相手がどん底なタイミングなことって可能性としてはありますよね。
その逆も然りで。
相手がどう返してくるか想像できるようなことをわざわざ言うってそんなに意味のあることかね?
だから娘の写真も頼まれない限り送らない。送ったところで返ってくるコメントって”可愛い〜〇〇似だね/お目目クリクリだね”あたりが定型文じゃない?
なんていうか、コミュニケーションとして浅くない?
昔は流れで送っていたけど、元々この社交辞令的返信が好きじゃないんだよね。。
その替わりといってはなんどけど、自分の記録として5年前からブログを始めた。
不特定多数の人に向けて書かれている私のブログを読むかどうかは、完全に読者側に委ねられている。
なので好きに書いている。
公開している以上は変な人に時たま絡まれるというリスクも当然承知。よってそういうネガティブな反応が私の書きっぷりに影響することもない。
そんなわけで娘を授かったことも、イギリスにいることもブログ以外では”最近どう?”って聞いてきた人にしか報告していない。
結婚した時も自分からはリアルタイムではしなかったな。盛大な式にするつもりもさらさらなかったし。
今回友達のお父さんの訃報を私に連絡してきた子は、2月にみんなで会えないか聞いてきたので事情を説明した。
今後ますます、親世代じゃなくても自分達世代も訃報とか不治の病とか増えると思うし。
そんなこと言ったら何も報告できないじゃん?キリなくない?
と思うかもだけど
それで良くないか?
私に興味ある友達は最近どう?って定期的に聞いてくるし。
私も気になる友達には聞くし。
別に隠すわけではなくて自分から発信しないというだけだし。
自分のことを知ってもらう、見てもらう努力、そして変わった人に思われない工夫を積極的にしなくなったのは歳をとったからだろうか。
ふとそんなことを思ったある冬の朝。