人と同じ事をするのが嫌で、絵を描けと言われたら描けない。積み木も苦手。じっとすることが何よりの苦痛でした(幼稚園脱走犯w)
片付ける事は好きでした。物を元の場所に戻すのは小さい頃から当たり前にしていました。
そして、何より覚える事が苦手で、忘れ物の常習犯。
忘れてた!レベルばなく、覚えてないのです。
幼稚園の間、毎朝何度も母親に『頭がいたい』と言ってたそうです。母親は幼稚園に行きたくないから そう言っているのだと思い、頑張って行くように励まされながら?行っていました。
そして、熱痙攣から2年後の4歳の時、2歳の時とは違う激痛が頭に走りました。その激痛に喚き散らし気絶。
即入院となり、調べた結果(当時は医療があまり進歩してませんでした)俺の脳の中に何かの塊があり、それを取り除かないと危険だと親は言われたそうです。
まだ、4歳の子供の頭を手術で開けるのに抵抗があった親は、別の病院へ何度も俺を連れて手術しなくてする方法はないかと探しました。
そして、従姉妹が勤めている 子供小児科センターへ行くこととなりました。
その時、発覚したのが
『てんかん』でした。てんかんと分かるまで月日はかかりましたが、病名がハッキリしたおかげで、薬物で治すことは出来ないが、発作を抑えることは出来るからと、4歳から毎日、1日3回目てんかんの粉薬を飲む事となりました。(まー、その薬のまずいのなんのって💧)不味いだけではなく、臭いも そーとーでしたけど💧
今は糖衣錠で飲みやすくなって良かったです(●´ω`●)
その当時、分かったのは  てんかんだけでした。
まだ、隠れた病名はあったのですが、気がつかれる事なく、また俺も それが普通だと思っていました。
(続く