『「人生を変えた師匠」』
前橋育英・山田耕介監督同じ道をたどる
島原商が1977年に初めて全国高校総体で優勝した時の主将だった。
自分の人生を半分以上は決めて、人生を変えた師匠ですよね。
僕なんかはやっぱり小嶺先生の高校3年間の指導が根底にあって、指導者の道に行くことにした。
先生との思い出はいっぱいありすぎてね…。
指導の厳しさについてはもう伝説ですよ。そんなに練習するの?ってくらいサッカーをしました。
僕なんかキャプテンをしていたので、バスに座る時も助手席が定位置で。
地図を見ていつも案内して、「これ左です」「右です」とか言ってね。
それで間違えると怒られるんですよ。でもそういう移動の時に、他の選手は寝てるから、
「あいつ最近元気ないけどなんかあったのかよ」なんて話をしたりね。
いろんな角度から、選手たちのことを見ていました。
朝方試合会場について、すぐ試合するんですけど、他の連中は寝てたからいいけど、
自分は動けないとそれでまた怒られちゃってね。
「先生あんたのせいだよ!」とか当時は心の中で思っていましたけど。
小嶺先生は3年間自分のクラスの担任でもあったので、昼休み放送で呼び出されてね。
僕が委員長なんかやってて、クラスで何かあったらとにかく怒られるんですよ。
怒られてばっかだったけど、でも厳しさの中に愛や優しさがあったんだなと。
そしてサッカーへの情熱は誰にも負けないくらいだった。
だからたくさんの選手がついていきたいと思えたんでしょうね。
小嶺先生は本当に、実は豪快なようで神経が繊細な方で、ちょっとした選手の変化とか、
すぐ見つけちゃうんですよ。こういうところの我慢強さ、こういうところの厳しさ、
こういうところでは優しさがあったんだなと。それが自分の今の心の支えにもなっている。
小嶺先生と同じことやっているような気がするんですけど、
同じことやったら小嶺先生には勝てないんだろうなと思いながら毎日やってます。
昨年の12月真ん中くらいですね。電話でお話をしました。
いつまでも小嶺先生は、僕にとっては追いつけない存在です。
こんな話も国見高校小嶺校長が退職する前に
「お~い山田、育英何年やってんだ~10年ひと昔優勝できてないナ~お前に国見任せようと思ったのに結果が出ていない前橋育英でガンバレ1回は優勝しろよ」
前橋育英の監督になって、選手権で初めて優勝(2017年度)した時は、
祝賀会に来てくれました。
「なんでもっと早く優勝しなかったんだ!」とも言われましたね。
だけど、言葉をかけてもらってうれしかったです。
76歳で亡くなった小嶺忠敏監督への思い語る