『小嶺忠敏氏に哀悼の意…』
日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長JFAの公式サイトで掲載された。
「小嶺先生の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます」
島原商業は1977年のインターハイで優勝、1984年には九州勢として初めて
全国高校サッカー選手権を制覇しました。国見高校の監督になってからも高校選手権で
何度も優勝に導かれました。
それまで優勝校は限られた地域のチームがその多くを占めていましたが、
その後、全国各地から優勝校が出てくるようになりました。
まさに高校サッカー発展の大功労者でした。U-17日本代表監督としては、1993年に日本で開催したFIFA U-17世界選手権でチームをベスト8に導くとともに、後のSAMURAI BLUE(日本代表)の中核を担う中田英寿さん、宮本恒靖さんらを育てられました」
「高校サッカー部の監督としてS級ライセンスを取得されるなど、
名監督と言われながらも常に学ぶことをやめないその謙虚な姿勢に私も深い感銘を受けました。
小嶺先生に倣い、多くの高校サッカーの指導者がS級ライセンスを取得するなど、
全国の指導者をリードしてこられました。小嶺先生が蒔かれた種が日本各地で実り、
多くの日本代表選手が生まれることにつながったと思います」
「小嶺先生はサッカーに人生の全てを捧げた方でした。
心から哀悼の意を表します。そして、ありがとうございました。
一般社団法人長崎県サッカー協会の会長やV・ファーレン長崎の代表取締役社長などを務め、2015年9月からは長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部の監督を務めていた。