『新宿二丁目・LGBTQブームで観光地化』
赤線・青線地区だった二丁目がゲイバー街になったといえるのは、
6〇年代後半から7〇年代初頭と考えられる。1971年には少なくとも110軒以上の
ゲイバーが現在の二丁目に存在していた」
昔は「ごめんなさい、撮影が一切禁止」「女人禁制」
二丁目は欲望とドリブンの街だった。「口をすっぱくして言ってきたつもりなんですが…」
二丁目のゲイバー街には、たった300m四方の狭いエリアに、
7〜8坪ほどの小さいバーがひしめく。その数は300とも、500とも言われる。
ゲイだということでいじめや虐待にあって行き場をなくし、ここにたどりついた若者もいる。
「性愛の欲望には差別的な側面があるんです。
社会の中に差別や価値序列があれば、性愛の欲望にも反映されてくる。
そもそも対等な関係におけるエロスなんていうものが、かつて存在したことがあったのだろうか」
最近は少ないがレズビアンバーも集まっている。「LGBTタウンとしての新宿二丁目」
最近はノンケの遊び場に・・・抵抗あるが・・・
「『ノンケさん来ないで』『外国人お断り』って言うのは簡単だけど、そんなの許されない。
どんな人が来ても必ず居場所がある、受け皿のある街。
個人経営の小さなゲイバー、レズビアンバーは続けるのが難しくなるだろう。
『マイナスの平等性』というべきものが担保されていた。差別が解消されて『ふつう』
になることは喜ばしいことである半面、
一般社会の世知辛さが入ってくるということでもあるんですよね」
「実際に新築物件の1階店舗では、坪単価が非常に高額なケースも出てきました。
それに、ビルを建て替えたとして、また小さなゲイバーやレズビアンバーに貸すほど
、所有者に愛があるかというと……どうでしょう」
2010年代に入り、LGBTの権利は少しずつ拡大されてきた。
2015年に東京都渋谷区で同性パートナーシップ条例が成立。
2018年4月には性別適合手術が保険適用になった。
2019年5月にはWHOが国際疾病分類の改訂版(ICD-11)を決定し、
性同一性障害は「精神疾患」から除外された。
現在、国内で同性パートナーシップ証明制度を導入済みの自治体は47に達している。
二丁目は、観光PR動画で紹介されるほど「LGBTタウン」としての認知が進んだ。
ノンケ(ゲイシーンの言葉で性的マジョリティを指す)をメインの客層とする「観光バー」や、
韓国系中国系をはじめとするインバウンド対応の店もできている。
2000年に始まった「東京レインボー祭り」では、振興会に加盟する
ゲイバーやレズビアンバーなどが、露店を出したり、御輿をかついで練り歩いたりする
祭りに先立ちネットに公開された紹介記事が、問題になっていた。
祭りを目当てに来る方も居るが,も差別の無い世界へ
昔は 新宿 二丁目によく飲み歩いた。幸せになり、年を取り新宿 二丁目から随分とうざかったな~^^^
昔のゲイはひそかに罪深く生きていく、誇れるものでもない。⦅生産性がない⦆性だけ
ただ快楽と性奇知外の世界、
新宿二丁目町は今、ジレンマを・・・