『上杉謙信無類の酒好きVS武田信玄味噌にこだわった』
梅干しを肴に酒を飲んでいた。
酒で命を落とした上杉謙信、毘沙門天を深く敬う謙信は、義に厚く、高潔な人柄で知られています。
梅干しはおいしいだけでなく、ご飯に埋めれば腐敗防止に役立ちます。
また当時は、戦いのさなかに食べると呼吸が整い、気持ちが落ち着くと考えられていました。
仏教の戒律を厳しく守っていた肉を一切食べませんでした。
1570年、謙信は一度脳出血を起こしており、この後遺症で左足を軽く引きずっていたそうです。
そこで酒をやめ、用心していればと悔やまれます。
関東平定のための出陣を一週間後に控えた謙信は重臣たちと酒宴を開き、
手洗いに立った際に脳出血を起こして倒れました。当時の医術では手のほどこしようがなく、
49歳で死去しました。戦国武将を見渡すと、まだこれからという年齢です。
酒好きとはいえ、謙信は酔って我を忘れるようなことはなかったそうです。
祖父のいましめを守って酒に気をつけた毛利輝元と異なり、
武田信玄の死によって甲斐の国、現在の山梨県を手に入れるチャンスがめぐってきても、
「相手の不幸につけ込むようなまねはしたくない」と言い、頑として兵を進めませんでした。
江戸時代に入ると中風とか中気に呼び名が変わりますが、「風」「気」の字を使うのは、
大陸では空気の流れにとどまらず、体に悪い影響を及ぼす目に見えないものを
風とか気と表現していたからです。現代も使う風邪とか邪気などの言葉がそのなごりです。
中風の「中」は、食中りと同じく、風に中るという意味です。
梅干しを肴に酒を飲んでいた。
酒で命を落とした上杉謙信、毘沙門天を深く敬う謙信は、義に厚く、高潔な人柄で知られています。
梅干しはおいしいだけでなく、ご飯に埋めれば腐敗防止に役立ちます。
また当時は、戦いのさなかに食べると呼吸が整い、気持ちが落ち着くと考えられていました。
仏教の戒律を厳しく守っていた肉を一切食べませんでした。
1570年、謙信は一度脳出血を起こしており、この後遺症で左足を軽く引きずっていたそうです。
そこで酒をやめ、用心していればと悔やまれます。
関東平定のための出陣を一週間後に控えた謙信は重臣たちと酒宴を開き、
手洗いに立った際に脳出血を起こして倒れました。当時の医術では手のほどこしようがなく、
49歳で死去しました。戦国武将を見渡すと、まだこれからという年齢です。
酒好きとはいえ、謙信は酔って我を忘れるようなことはなかったそうです。
祖父のいましめを守って酒に気をつけた毛利輝元と異なり、
武田信玄の死によって甲斐の国、現在の山梨県を手に入れるチャンスがめぐってきても、
「相手の不幸につけ込むようなまねはしたくない」と言い、頑として兵を進めませんでした。
江戸時代に入ると中風とか中気に呼び名が変わりますが、「風」「気」の字を使うのは、
大陸では空気の流れにとどまらず、体に悪い影響を及ぼす目に見えないものを
風とか気と表現していたからです。現代も使う風邪とか邪気などの言葉がそのなごりです。
中風の「中」は、食中りと同じく、風に中るという意味です。