【45年歴史の滑石市場】 | 【かほり放送局】

『マンモス団地の「台所」』

「滑石市場」老朽化のため

食料品がそろうスーパーが付近に複数できたこともあり、顧客の獲得競争は厳しくなった。

できて3年ぐらいまでは似ぎあっていたがポツポツト歯抜けになってきた。

当時クジラの竜田揚げ売っていた 。美味しかったのよ~

長崎滑石郷土史誌などによると、稲作中心の農村地帯だった滑石地区は1962年、県が大規模な団地造成計画を打ち出して発展。翌63年から約100万平方メートルに公営住宅や一戸建ての家が相次いで建設された。滑石町(当時)の人口は10年間で10倍に膨らみ、73年に約2万1千人を突破。都市化に伴い同年10月に開設されたのが滑石市場だった。当初は鮮魚や漬物、すし店など約15店舗が並び、特売日や年末には行列ができたという。

ニュータウンも老人化して人口も減りつつある。長与ニュータウンはスーパーさえもない。

バスの時間も当時5分おきが今は30分おき不便になったもんだ~