お米不足の話から自分のビジョンについて | 雪国の山奥で働く元地域おこし協力隊のブログ

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雪国の中山間地の集落で地域おこしに取り組んでいます。地方の衰退は食糧やエネルギーの自給が困難な都市にとっても死活問題であると考え、官・民・学で連携して全国の農山村の再生を目指して活動している日々の記録です。

先程の記事に関連する内容ですが、首都圏では震災後しばらくの間お米スーパーから姿を消していたそうです。

今ではスーパーにもお米が置かれるようになってきたそうです。


日本はお米が余っていると言われており、減反政策を進めているのですが、こういった自然災害が起こって一旦お米が不足しても全体量としては確保されていたのでこの短期間でお米がスーパーに並ぶようになったのだと思います。


しかし、これがハイチみたいに本当に国内に食糧がなくて輸入に依存していたとしたら、スーパーで食料品を買う事ができるようになるまでにもっと時間がかかっていたかもしれません。

また、例え品物が置かれるようになったとしても、それまで通りの値段で買えるという保証はありません。

資本主義社会では物の値段は需要と供給のバランスによって決まるので、物が不足していて買いたい人の方が多くなると値段は上がる事が予想されます。


WFP国連世界食糧計画のホームページの資料コーナー食糧価格高騰-途上国の人々とWFPの支援活動への影響 という記事がありましたが、すでに世界中で食糧価格が高騰しているそうです。


今後世界の人口は増えていきます。

国連人口部の推計 によると、2050年には91億5000万人になる事が予想されています(2010年は69億900万人)。


そうすると、世界中の食糧価格はさらに上昇トレンドになる事は間違いないと思います。


日本の場合は今のところ経済力があるのでまだ食糧の値段が上がっても買う事はできるかと思いますが、将来的に見ると相当危ういのではないかと思います。


日本は今後人口は減るし、既にいわゆる先進国と呼ばれるくらい社会は発展しきっております。

今後は中国やインドに抜かされるのは総人口と両国が今後発展する余地を考えるとまず間違いないと思われます。


今、日本は経済力があるうちにこれまでの輸出産業偏重の経済成長路線ではなく、食糧にしてもエネルギーにしても海外からの輸入に頼らないでも人々が生活に何の支障もなくなるような技術の開発に投資をするべきであると思います。


日本が自分達の国で生活に必要なものを自給するという方向性は、今後日本の人口が減る事を考えても合理的な選択であると思います。

狭い国土なので、国内で賄いきろうと思ったら人口は少ない方が良いのですから。


高度成長期のように人口が右肩上がりで、社会の発展段階でも途上国であった時代と、現代では全く時代背景が違います。


何が言いたいのかを整理したいと思います。

今後の日本が目指す路線としては2つあると思います。

①国際競争力を高めて輸出に力を入れ、さらに経済成長を目指すという方向性

②国内で生活に必要なものを自給・循環できるような社会を目指すという方向性


①を目指す事は今の時代背景ではかなり勝算の低い事であると思います。

過去の成功体験にとらわれていると、①の発想になりやすいと思うのですが、今は時代の転換期であり、象徴的な出来事が最近立て続けに起こっています(リーマンショック、世界各地の異常気象と災害)ので、よほど社会に関心がない人以外はうすうすと皆気づいていると思います。


日本の人口が減っていくという事、環境の問題、食糧安全保障の問題などを総合的に解決しようとした時、狭い範囲の地域で自給・循環が出来る社会を作るという事を目指すという事が今後人類が持続可能な種となるためにも必要な事であると思います。


経済成長方面の将来性がないとはいえ、日本は現時点ではまだGDP世界第3位の経済大国ですし、環境関連の新技術も日本で次々と研究・開発されています。元々日本の技術力は高く、世界でも相当評価されているレベルですので、今経済力があるうちに国全体が大きく舵を切って②の方向性に力を集中させれば、すごく明るい未来を切り開く事が出来ると考えています。

私はそう思ったので、会社員を辞めて、ご縁のあった現在8世帯18名の過疎の集落に移住したわけですが、顔が見えるぐらいの範囲のコミュニティで生活に必要なものが自給出来るような社会を成立させるという取り組みをしようと考えております。


一つそういう事が出来ている地域を現実に作るという事ができれば、他の地域にも同じような地域を広める事が出来るようにしやすいと思います。


そういう地域が世界中にできれば、世の中で奪い合う必要もなくなり、争いもなくなって楽しい世界が作っていく事ができるのではないでしょうか?


「考えが甘い」と思う人もいるかもしれませんが、「出来っこない」と思ったら絶対にできないし、「出来る」と思い続けてあきらめず、やり続けるという事が大事なのだと思います。

例えそれが自分が生きている間に実現しなくても、日々の生活に追われて妥協しながら我慢して人生よりも、自分が目指す事に挑戦し続ける人生の方が死ぬ時に「わが生涯に一片の悔いなし」と思って死ぬ事が出来ると思います。

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このような活動を、単に個人で勝手にやるのではなく、国(総務省)の制度である「地域おこし協力隊」という制度を活用し、市役所等の行政と連携しながら、地域に住み、現場に入り込んで行っています。


色々なつながりができ、全国各地にこういった想いと同じ思いを持った人も沢山いる事がわかりました。

まだ、道半ばではありますが、今後も地道に活動を続けていきたいと思います。


そして、これまで先祖代々脈々と受け継がれてきた暮らしを息子たちの世代、それ以降の世代ににも受け継いでいく事が出来ればと思います。

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