私は母になってから、「小児性愛」という問題に関心を持っていて(敵を知るという意味で)、

このテーマのニュースや本はちょこちょこ読むようにしています。

 

昨日、「日本版DBS」について国会で審議が始まったとのこと。


「日本版DBS」というのは、子どもを性被害から守るため、学校や国が認定した学習塾など子どもと接する仕事に就く人の性犯罪歴の確認を義務付けるシステムのことです。

 

もちろん私は大賛成なのですが、ちょっとこの小児性愛問題については、読書を通して思うところが色々あるので、この機会に書いてみたいと思います。

 

まず、2冊ほど本を紹介します。

 

 

 小児性愛という病

 

 

『小児性愛という病‐それは愛ではない』斉藤章佳著

 


 

 


この本は3か月くらい前に読んで、少し時間が経っているので記憶があいまいな部分もあるのですが、

2点私にとって驚くことが書いてあったんです。それはよく覚えているので書きます。

 

一つは、よく性犯罪者に対してヤフコメ等では「GPSで監視しろ」という意見がつきますが、

これについては海外での事例で逆効果になる場合があると本書では書かれていました。

 

確かに、元受刑者の社会復帰を困難にすることで、いわゆる「無敵の人」を生み出してしまう側面はあるな…と思いました。

 

もう一つは、「児童ポルノ」の是非について。


よくあるのが、

「児童ポルノは犯罪を誘発する」という意見と、

「児童ポルノでガス抜きできるからこそ実際の犯罪を減らせる」という意見の対立。

 

後者は児童ポルノ規制に対する反対する理由としてよく挙げられるやつ。

 

本書では、前者の立場でした。

なにも知らなけらば目覚めなかったのに、児童ポルノによって「パンドラの箱」をあけてしまったという側面があると強調されていました。そして、表現の自由に対する規制が必要と論じられていました。

 

 

 正欲

 

『正欲』朝井リョウ著



 

 

だいぶ前に読んであまりに衝撃的な内容で、読書レビューに書きました。

この秋、映画化されるようです。

 

この本は、特殊性癖を持つ人をテーマにした内容です。

 

以前のブログに書きましたが、

 

「正しい欲とはなにか」「だれが線引きするのか」

多様性を尊重しようと社会は声高々に叫ぶが、特殊性癖、自分の理解の及ばぬ臭いものには蓋をする。

自分が想像してきた多様性がいかに限られた範囲のものかと思い知らされた本です。



 

 私の雑感

 

『正欲』は価値観をかなり揺さぶられた本です。

 

今では市民権を得ている「LGBT」だって、かつては異常とされていました。国によっては今でも。


実際に、非定型的な性的指向という意味で、小児性愛だって同じであるという意見もかなりマイナーだが、あるそうで…

 

でも、「相手が力が弱く、判断力が伴わない小児である」という点で決定的に違うと思う。

 

「欲があっても実際に行動しなければいい」という意見もあるけれど、

相手が小児で力が弱いと、その「実際に行動する」というハードルを越えやすいのかもしれない。

 

極端な意見にはなるけど、「小児性愛」なんてものがあってはならないのだと思う。

内心の自由はあるけど、この分野に関しては、その感情さえ持たないにこしたことはない。

 

大人のポルノに関しては表現の自由を制限する必要なないと思うけど、

児童に関しては根絶してほしいと思う。

まさに「寝た子を起こすな」と思う。

 

 

これも以前読んだ本で、犯罪は「動機(人)」と「機会(場所)」が揃ったときに発生するとありました。



 

日本版DBSは、「機会(場所)」に着目したアプローチです。

 

さっき言った、「寝た子を起こすな」という話は、「動機(人)」に対するアプローチ。

 

もう一つできそうなこととして、治療的アプローチもあるかなと思います。

 

アルコール依存症やギャンブル依存症に対する治療的アプローチは市民権を得てきているけど、

小児性愛に対しても広がってほしい。

 

 

ものすごく卑近な例になってしまいますが、

私はすごくチョコレートが好きなんです。一生食べるなと言われたら相当きつい。

 

でも、「チョコレートがこの世に存在しない」

「記憶喪失によってチョコレートを食べた経験を忘れる」

ことができたら一生食べずに過ごせると思う。

 

前者は、環境に対するアプローチ(DBS)で、

後者は、人に対するアプローチ(児童ポルノ規制により「寝た子を起こすな」)ですかね。

 

この両方が揃ってやっと有効な気がします。