タイムパラドックスが起こる場合 | ゾンビは走っちゃダメ!

タイムパラドックスが起こる場合

映画を撮ったり撮らなかったり-ここがウィネトカなら、きみはジュディ
 『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』という時間ネタのSFを集めた短編集を読んでいるので、ついでに時間ネタの映画『ルーパー』も観に行く。
映画を撮ったり撮らなかったり-ルーパー
 30年後の犯罪組織が、本来は禁止されているタイムマシンを使って「消したい人間」を現在に送り込んでくる。ルーパーというのは、それを待ち構えて殺すお仕事の人のこと。未来ではすべての人間が登録されていて、殺すと見つかるからなんですって。で、主人公のルーパーのもとにある日、30年後の自分が送られてくる。主人公は30年後の自分を殺し損ない、逃がしてしまうが、なぜ30年後の自分が現れたのか、その謎は……みたいなストーリー。
 『12モンキーズ』みたいな切れ味鋭いタイムトラベルものを期待したが、さっぱりだった。話の展開自体はつまらなくないが、設定が穴だらけ。なぜ犯罪組織は「消したい人間」を捕らえた後、生きたまま過去に送るのか? 殺してすぐに送って死体を隠してもらうのではいけないのか? 生きたまま送ったら、逃げられる可能性が出てくるのに。また、なぜ用済みのルーパーを消すのに、30年前の自分に殺させるのか? 30年後に死にたくないから逃がす奴のほうが多いのでは? なんだか、「30年後の自分と戦う」というストーリーから逆算して作った設定だろ、これ。

 『ルーパー』の世界ではタイムパラドックスが起こる。過去の自分が傷つけば、未来の自分にも傷が浮かぶ。時間軸は無数に枝分かれして、未来はどんどんと変わっていく。
 でも、先の本にあるテッド・チャンの短編などを読むと、タイムトラベルしてもタイムパラドックスが起きない世界のほうがリアルに感じられる。過去に行って自分の祖先を殺しても、別の人が祖先になるだけ、みたいなやつ。(あるいは、過去に行っても人を殺せない、とか)
 「過去と未来は同じものであり、わたしたちにはどちらも変えられず、ただ、もっとよく知ることができるだけなのです」というテッド・チャンの短編に出てくる一節が、3次元に住む生き物にとっては真理っぽい気がする。