全てはこの曲から始まった。KAN「愛は勝つ」 | よねともが気ままに思うブログ

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ブログ第1号記事、何にしようかかなり迷い、違う曲で1度は書き始めたものの、上手く書けずに放置してしまい、最終的にはやはりこの曲だろうと思い、これにしました。ブログ第1号は、KAN「愛は勝つ」(1990年リリース、アルバム『野球選手が夢だった』収録、同年シングルカット) です。



私が現在、サザンオールスターズ・山下達郎、そして80年代・90年代J-POPを聴くようになる全てのきっかけは、この曲がはじまりでした。


KANさんは、1987年にシンガー・ソングライターとしてデビューしましたが、当時は鳴かず飛ばずの状態でした。加えてアレンジも別のミュージシャンやアレンジャーと共に共同アレンジを行ったり、歌詞を作詞家に依頼したりするなど、スタイルの確立がされていなかったこともありました。初期はセルフアレンジか、松本晃彦さん、林部直樹さんといったミュージシャンと組んでいました。歌詞をKANさんが本格的に書くようになったのは、1988年のアルバム『GIRL TO LOVE』の頃からでした。

1990年のアルバム『野球選手が夢だった。』では、アレンジャーを一新して、当時から多くのミュージシャンを手掛けていた佐藤準さんを起用しましたが、スタッフの伝達ミスでKANさんが作ったデモ・テープのアレンジと大きく異なるリズム・パターンで佐藤さんがアレンジしたことに怒り、レコーディングを放棄する程、かなり揉めてしまいます。(KANさん曰く、佐藤さんへの怒りでは無く、スタッフの伝達ミスや、やり直しを要求したにも関わらず当時のプロデューサーが聞き入れなかったことに対する怒りとのこと)

次のレコーディングにおいては、1度だけ組んだことがあったキーボーディストでアレンジャーの小林信吾さんが共同編曲として参加すると、KANさんのアレンジを大いに汲み取って、ブラッシュアップした曲になるなどその影響はかなり大きかったようで、KANさんは信頼を置くようになり、このアルバム以降長い間、共同アレンジャーとして小林さんが関与します。そしてその1曲目に収録されたのが、この「愛は勝つ」でした。

歌詞は敢えて抽象的に書いており、あくまで「応援する」ようなものではなく、「励ます」ような歌詞になっています。この曲の歌詞を書くきっかけは友人からの恋愛相談を受けたKANさんが、「どう転んでもうまくいかない」と思い、あまり聞く気になれなかったことで、投げやりに「大丈夫、愛は勝つよ」と発言したことから着想を得て、「せめて歌の中では上手くいけばいいな」と思ったことで歌詞を書いたそうです。

心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく 明日がきっとある

たとえ、どれだけ報われなくても、たくさんフラれようとも、君の想いは誰かには届くよ、と励ましています。

どんなに困難で くじけそうでも
信じることを 決してやめないで

たとえ、どれだけ困難でくじけそうな時でも、微かな希望はあります。だからこそ、報われる日が来るその日まで、絶対に信じることを止めてはなりません。

Carry on, carry out
   (続けよう、貫こう)
傷つけ 傷ついて 愛する切なさに すこしつかれても

自分が傷ついても、時には自分が相手を傷つけることがあっても、そして傷ついて切なくなってもう嫌だ、と思っても、それでも愛することは良い事だから、止めずに続けていくこと、そして気持ちを貫いていくこと、その大切さを説いています。

もう一度 夢見よう
愛されるよろこびを 知っているのなら

すこしつかれたら夢を見ることも大切です。現実から逃げることも、悪くありません。

夜空に流星をみつけるたびに
願いをたくし ぼくらはやってきた

願いを叶える流れ星。君の願いを叶えられるように、「ぼく」はやってきました。

どんなに困難で くじけそうでも
信じることさ
必ず最後に愛は勝つ

そして願いを叶えるためには、ちゃんと自分を信じること、そうすれば必ず最後に愛は勝つ!と君に話します。

KANさんが敬愛するミュージシャン、ビリー・ジョエル (William Martin Joel) の「アップタウン・ガール(Uptown Girl)」を模倣して作ったもので、歌詞と終始歌うコーラス、4分のピアノ、リズム・パターン(主にベースやドラム・パターン) などは「アップタウン・ガール」からの影響を受けています。一方で、有名なイントロのピアノのキャッチーさ、転調などKANさんならではのスタイルもあり、普遍的な楽曲として愛された要因もあります。KANさん自身もメロディには自信があり、「自分の才能が怖い」と話すほどだったそうです。ピアノやシンセサイザーは小林さんによる演奏で、レコーディングではKANさんは弾いていません。ドラムは島村英二さん、ベースは高水健司さん、エレクトリック・ギターは今剛さんがそれぞれ演奏しています。

アルバム発売時、並びにシングルカットの際でもこの曲はさほど注目されず、テレビ朝日系バラエティ「クイズおもしろTV」のエンディングテーマに起用されてもヒットしませんでしたが、その後フジテレビ系の人気バラエティ「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」で使われると次第に売上を伸ばし、オリコン8週連続1位を獲得。1991年まで跨いで大ヒットとなり、200万枚を売り上げるダブル・ミリオンセラーとなるなど、日本を代表するスタンダード・ソングとなりました。さらに1991年の日本レコード大賞を受賞、同年のNHK紅白歌合戦にも出場するなど、国民的スタンダード・ナンバーとなりました。また、「やまだかつてないテレビ」にKANさん自身もレギュラーキャストで出演し、番組から派生した山田邦子さんによる替え歌「愛はチキンカツ」や、邦子さんによるWinkのパロディ・ユニット「やまだかつてないWink」への提供曲「さよならだけどさよならじゃない」の大ヒットが、この曲のミリオン・ヒットへの後押しにもなりました。


さて、この曲を語ってきましたが、この曲との出会いを。当時中学1年生の私はそれなりに世間の流行曲を聴いていました。2005年~2006年頃のことなので、当時は大塚愛さんやオレンジレンジなどが流行しており、私もそれらを聴いていました。ある日何気なく見ていた当時開設して間もないYouTubeにアップロードされていた、この曲のMVを見て衝撃を受けました。昔ピアノをやっていながら、直ぐに辞めてしまったのですが、ピアノを弾くKANさんがカッコ良く見え、そして「愛は勝つ」のメロディの響きが気に入り、よく聴くようになりました。その後、KANさんの他の曲を聴くようになり、次第にその他のJ-POPを聴き、現在に至ります。

この曲が無ければ、聴かなければ今の私はありません。そして今でもこの曲には特別な思い入れがありますし、カラオケでも十八番で歌うナンバーです。とても大切な1曲です。