第2章


ユキとカケルの期限付き交際が始まった。


カケルはまずユキの両親に挨拶にいった。ユキは実家で暮らしている。幼なじみなのでカケルのことは両親もよく知っている。

好青年のカケルがユキの病気をわかった上で交際したいと聞かされて、泣いて喜んだ。


両親は、自分たちとは違う立場から娘に寄り添ってくれる人がいてほしいと願っていた。

これから起こる哀しみ、苦しみから目を背けずに包み込んでくれる人。そんな重い覚悟を持った人が現れてくれた。


ユキの母がしみじみ言う。

「ユキはカケル君のことは『親友だ』の一点ばりだったから、こんな日が来るなんて思わなかったわ。」

「だって本当についこの前までお互いに親友と思ってたのよ。」

「そうなの?カケル君?」

「はあ、その通りです。」

カケルは汗の出る思いだった。



二人で外出もするが、カケルがユキの家へ行くことも多かった。

ユキは体調の良い日にはバレエの練習をした。

カケルはそれを見るのが好きだった。ユキは幼い頃から習っていたが、カケルが練習を目にすることはなかったので新鮮だった。ユキの新しい魅力を知ったようなものだ。

居間のフローリングでトゥシューズを履いてトレーニングする。

病気が判明した時点でバレエ団は退団した。もうプロの高度な稽古にはついていけない。


「もう公演には出られないけど、私はバレエそのものが好きなの。

白鳥の湖で舞台に上がることは結局なかったけど、振り付けは知ってるからこの部屋で勝手にオデットをやるわ。」

カケルはハラハラしながらもユキを止めなかった。限られた時間を生きたいように生きてほしい。



ユキは毎晩、ベッドに横になるとどうしてもいろいろ考えてしまった。恐怖、不安、哀しみ。

その度に自分に言い聞かせた。

(子供の頃に描いた将来とはかけ離れてしまったけど、バレエができて、両親がいて、カケルがいる。

私は一人じゃない。)


ユキはしみじみ思う。

(余命宣告されなければカケルに告白することは一生なかっただろうな。愛してる自覚すらないままだったかも。

人生が想定外に縮まったけど、引き換えに得た幸せもあるんだ)



トキオは今や科学分野で有望な若者として知られていた。

三人のグループラインのやりとりは変わらなかったが、ユキの病気も二人の交際も伏せていた。

ユキ「トキオはNASAで活躍しはじめたところよ。そんな大事な時期に動揺させたくないの。」


だが交際を伏せるのは、ユキにはカケルに言っていないもう一つの理由があった。

(トキオはたぶんカケルのことを…

トキオは純粋な人だから、どれだけショックを受けるだろう。動揺どころでは済まないだろう…)


隠し続けることはできないので、トキオの今のプロジェクトが一段落したら交際のことを話そう、ということになった。

ユキの意思で、病気は最期まで隠すことにした。



良い日も苦しい日もあったが、二人は一日一日を大切にして生きた。今できる事を重視した。

病気の悪化は予想されたより緩やかだったため、余命宣告された3年を過ぎた。

しかしある日の通院で「余命1年」と改めて告げられた。


「あと1年だって…」

わかってはいたが、やはり改めて言われると辛い。

カケルは、前から決心していたようにきっぱりと言った。

「ユキ、結婚しよう。」

「え?」

意味がわからなかった。

「何ばかなこと言ってるの?すぐ死別するのがわかってるのに結婚なんて?」

「ユキのお父さんお母さんは家族で暮らしたいだろうと思って今まで言えなかった。

ユキのそばにいるだけなら今のままでもいい。

でもやっぱりユキと夫婦だと胸を張って言いたい。

結婚してください。」

「カケル…」

「俺でいいか?」

ユキはカケルに抱きついた。

(私はなんて幸せなんだろう。)



カケルは改まってユキの両親に結婚の挨拶をした。

「私達は充分にユキから幸せをもらった。あとはユキの好きなように生きなさい。」


結婚式は3ヶ月後と決まった。

ユキは、参列者はそれぞれの両親だけでいいと言ったのだが、カケルは違う考えだった。

「ユキが人生で一番綺麗な日なんだよ?友達にも見せたいだろ?」

「そりゃあそうだけど。」

「ユキの幸せな姿を見てもらおうよ。俺だって友達にユキを見せびらかせたいしな。」

カケルは少し照れながら言った。


ユキにはカケルの本心が痛いほどわかった。

(結婚式が友達に会う最期になるかもしれない。一番幸せな姿で私の事を記憶してもらいたいのね…)


トキオの他にそれぞれの友達を4、5人ずつ招待することにした。

ユキ「中学の友達はびっくりするよね。私たちが結婚するなんて。

私、当時何度も『付き合ってないの?』て聞かれてたのよ。カケルはモテモテだったからさ。」

「そうなのか? あはは、それは大変だったな!

…なんでお互いにもっと早く気づかなかったんだろな。」

二人は寂しげに笑った。



結婚式の衣装決めの日。

ユキは、カケルに一緒にドレスを選んでほしいと言った。

「私のことはカケルが一番よくわかってるから。」ということだった。

二人でたくさん見比べた結果、裾が花びらのようなデザインの物にした。

カケルは先にタキシードを着終わって待っていた。


ユキがウェディングドレスで姿で現れると、カケルは固まった。

普段の化粧をしているだけだが、ベールまで着けているユキは花嫁そのものだった。

「…どう?」

「…綺麗だよ。」

「ありがとう。カケルかっこいいよ。」


二人ともなんだかもじもじしていると、店のスタッフが助け舟を出してくれた。

「どんな感じに見えるか、お写真を撮りますね。」

試着撮影用のブーケを借りて、新郎新婦らしく並んで立つ。

「はい撮りますねー。笑ってくださーい。」

二人のスマホで何枚か撮ってもらった。

「夢みたい。」

「まだまだこれからさ。」


写真は大きめに印刷して、二人の両親へプレゼントした。

「結婚式の後で本番のをあげるけど、せっかく撮ったからもらっておいて。」

ユキの両親は泣いて喜んだ。

娘の結婚式の準備一つ一つが進んでいくのが嬉しくてたまらなかった。



結婚式に先行して、ユキの実家から徒歩数分の所にマンションを借りた。カケルの仕事中はユキの両親が通う。


ユキ「二人で暮らせるなんて思ってもみなかった。」

「新婚さんって感じだな。」

「へへへ。」

ユキは引っ越しで疲れて、ベッドに横たわりながらはしゃいでいた。

家財道具は最小限にしたため、シンプルな部屋になった。

入籍は結婚式の日に予定している。一足先に新婚生活が始まった。


日常生活はできていたが、日に何度かの安静が必要になった。

それでも調子が良ければ二人で出歩く日もあった。

わずかなリビングのスペースでトゥシューズを履く日もあった。

ユキはその日、その時にできる事を謳歌していた。



ある日、カケルの地道な仕事が大きな成果を出した。

カケルが発見し、分析していた鉱石が新種のレアメタルだと判明したのだ。

いくつもの科学誌にカケルの記事が掲載され「今年最も期待される10人」にも選ばれた。

カケルはトキオに報告ラインをした。

『おめでとうカケル!カケルの夢も大きく進んだな!』

『ああ!続けてきて良かったよ!』


「カケルもトキオも子供の頃の夢を叶えつつあるのね。すごいわ!」

中学生の頃に三人で約束した夢だった。カケルの顔が少し暗くなるのを見てユキが励ます。

「大事な人が幸せになるのは嬉しいに決まってるじゃない。

カケルの幸せは私の幸せ、トキオの幸せは私の幸せ。」

「ユキ…」

「私も今、二人に負けないくらい幸せなんだから!

なんといっても新婚ホヤホヤなのよ?」

ユキはニッと笑ってみせ、カケルもつられてフフッと笑った。



結婚式の招待状を準備している頃、カケルのレアメタル発見の祝賀会が催された。


華々しいパーティーが始まった。

ユキは体調が良かったので同伴したが、カケルから離れて目立たない所にいた。

カケルは有名人になっている。マスコミに騒がれたくないので、婚約を公表していないのだ。


スマートにタキシードを着こなし、ライトを浴びてインタビューを受けるカケルを、ユキは称賛と幸福の思いで眺めていた。

(こんな素敵な人が私の夫なんて、今でも夢みたい。)


その時、思いがけない事が起こった。トキオが現れたのだ。

サプライズに驚きながらもカケルも再会を喜んだ。

「来てくれたんだ!」

「3年ぶりだね、カケル!」


トキオは今や月面開発の第一人者だ。記者たちはトキオにもマイクを向けた。

「いつNASAから戻られたんですか?何か研究の目的でも?」

トキオは何気ないふうに重大発表をした。

「実はカケルと一緒に月面開発のプロジェクトを立ち上げるつもりなんです。」

「えっ?」

寝耳に水の話だった。


「ついに夢を叶える時が来たんだよ、カケル!」

トキオは喜びにあふれていた。

突然のことでカケルは少しためらったが、月面開発は長年の夢だ。マスコミの前でストップをかけるのもトキオの顔に泥を塗る。

二人は固い握手を交わした。若き有名科学者のタッグだ。シャッターチャンスにカメラマンが撮影する音が鳴り止まない。



その時、記者の一人がカケルにかけた言葉が引き金になった。

「そういえばカケルさん、ご婚約されたんですよね?おめでとうございます!」

「いや、今その話は…」

トキオは耳を疑った。

「婚約…?」

カケルはうつむいて答えない。

「誰と…?」

カケルは離れた所にいるユキを見た。ユキはどうしていいかわからずうつむいた。

トキオはカケルの視線の先を追った。

「ユキ?!」

ユキは意を決して顔を上げた。

「どういうことだ?」

カケルが答えた。

「君に会ってから話そうと。」

ユキが付け足した。

「トキオ…ごめん。」

(この反応からして、トキオはやっぱり今もカケルを想っている。

私は知っていて抜け駆けしたんだ。私にできるのは謝ることだけ。)


カケルはユキをかばった。

「謝る必要はないよ。」

「でも!」

(カケルはトキオの想いに気付いていない。

『親友なのに婚約を隠していたこと』を怒っていると思い違いしている。

でも私の口からトキオの気持ちを代弁するわけにはいかない…)

ユキはもどかしかった。


続きを話す間もなくカケルは研究の詳細について記者に囲まれた。

トキオとユキの二人になった。

「諦めたのか。バレリーナになる夢を。三人で交わした約束は嘘だったんだな。」

「ごめんなさい。」

理由はどうあれ、プロのバレリーナを止めたのは事実だ。言い訳する気はない。


ユキにとってもトキオは大事な親友だ。婚約は近々知らせる予定だったが、病気は最期まで知らせたくなかった。悲しい時間が長くなるだけだから…


トキオは嘲笑った。

「別に。構わないよ。僕はこれからカケルと二人で夢を追いかけるから。」

そこへカケルが戻ってきた。

「ユキ。」

トキオが割って入った。

「カケル!これからは僕らの時代だ。僕ら二人で夢を叶えよう。

二人で世界を変えていくんだよ!」

もう三人組ではない、との宣言だった。


ユキはいたたまれず、逃げるように一人で会場を出た。

カケルは、興奮しているトキオを一人にすることもできず、立ちつくした。



カケルが家に帰るとユキはベッドに横になっていた。

「ただいま。」

「おかえり。」

カケルはベッドの端に腰かけた。二人ともしばらく黙っていた。


ユキが先に口を開いた。

「結局トキオを傷付けてしまった…」

「トキオの仕事が一段落するのを待ってたからな。

招待状を出すのに間に合わないから、もうすぐ話すつもりだったんだし、そんなに気にするなよ。タイミングが悪かったんだ。」


ユキは重大な隠し事をしているのが心苦しかった。

(そうじゃないの!トキオは婚約を隠されていた事を怒ってるんじゃない!

トキオはカケルが好きなのよ!

カケルは気付いてないから、トキオの傷の深さがわからないのね…

こんな大事なこと、トキオ本人でないと言えないし…)


「トキオとの月面開発プロジェクト、やるよ。」

「うん、協力してあげて。カケルもついに子供の頃からの夢が叶うわね。」

「ああ、ユキがいてくれたお陰だ。ありがとう。」

「私なにもしてないわよ。夫婦になっただけ。」

カケルは笑みがこぼれた。

「出張が増えるだろうけど、毎日連絡する。」

「うん。」

「結婚式までもうすぐだ。楽しみに待っててくれ。」

「うん。」


(カケルはトキオを親友としか思っていない。

私はもうすぐいなくなる。

トキオの想いはどうにかしてあげられないの?)