使命って何だろう…
あなたは自分の使命に気付いていますか?
あなたには使命が課せられていると考えますか?
このところ、筆者のブログにアクセスしてくださる方々が、ボチボチと増えてきております。まずはこの場を借りて、お礼を申し上げたいと思います
自分が書いたものを、誰かが読んで下さるということは、とても嬉しいものです。この状況に、筆者自身もブログを更新することに対し、使命のようなものを感じ始めております
今後もどんどんと更新していきたいところですが…自身の体調問題がありますので、マイペースで更新していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします
それでは、使命を感じている方も、使命とは何かが分からない方も一緒に、「使命とは何なのか」を考えていきましょう。
①使命を探す心理
使命と言うと、自分がするべき宿命のように思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?そして、その使命を果たすために、自分は生きていると考えていませんか?
筆者はなぜか子供の頃からそう考えていました。そしてひたすら様々な可能性を信じて、困難な事に挑戦してきました。そして、その困難によって可能性を打ち砕かれる度、「自分の使命は他にある」と思っていました。
しかしこのところ、使命をがむしゃらに遂行することは、やめようと考えるようになりましたそれは年齢と共に、体がついてこなくなったことも関係していますが自分が思っている、大きな使命を1人で果たす程の能力がないと判断したからです。
ということは、自分の使命を諦めたのか?
と思われるかもしれませんが、そうではありません。そのなぞをこれからお話していきたいと思います。
人はそもそも、なぜ自分の使命を探そうとするのでしょうか?
「自分の価値を認めてもらいたいから?」
「生きる意味を知りたいから?」
筆者自身、自らに使命というものが存在するかどうかの判断はできていません
しかし、誰の人生にも組み込まれているのではないかと思います。それを見つけるために、私達は使命を探そうとするのではないでしょうか?
以前「生きるって何だろう…」のブログ内でもお話しましたが、生きていく上では「経験」と「行動力」が大切だと考えています。
その経験と行動を起こす理由として、使命を感じようとするのではないでしょうか。
その内容は、人それぞれ違うかもしれません。ある人は「大好きな人と結婚して、幸せな家庭を築く」かもしれないし、またある人は「仕事で大成して大金持ちになり、社会貢献する」かもしれません。
これらの経験は簡単そうで、実はとても努力のいるものです。したがって、「これは自分の使命である」と大きく掲げ、自分を奮い立たせることで心を保とうとするのだと考えられます。
②使命と引き寄せ
誰もが様々な経験を必然的にこなしています。筆者は全ての物事は偶然ではなく、必然的に起こっていると考えています。
必然………つまり「起こるべくして起こっている」ということです。
この必然は「自らが引き寄せている」と考えています。そしてその中で自分の使命を見つけ、果たすために様々なことを経験していくのです。
少し抽象的になってしまったので、具体的にお話していきましょう
例えば筆者の知り合いで「将来的にはのんびりとした環境の中で、庭をいじるような仕事ができたらいいなぁ…」と言っている方がいました。年月が過ぎたある日のこと、その方の元に突然そのような仕事の話が舞い込んできて、現在はそのお仕事をなさっています
またある人は「会えなくなってしまった大好きな人に、道端でバッタリ会えたらいいなぁ…」と思っていました。するとそのことすら忘れていた頃になって、急に何度も道端で会うようになったそうです
これらのことを、あなたは偶然だと思いますか?もしかしたら、偶然なのかもしれません。しかし必然だと言うこともできるのです
なぜなら、これらの願望を叶えるために、私達は人生を寄せにいってるからです
人生を寄せにいってる
って、ちょっと面白いですよねしかし、本当なのです。
人は自分の願望を叶える為に、無意識の領域で情報を集めたり、その願望が叶いそうな所へ足を運んでいたりします。よってこの願望がまるで引き寄せられたかのように錯覚するのです
具体的に言いますと、庭いじりの仕事がしたいと思っていると、その事を回りの人に話します。するとそれを聞いていた人から、「そういえば、こういう仕事があるよ!」と紹介されたりするのです。
また、会いたい人がいるとき、過去の経験から「あの人はここに来るだろうなぁ…」という予想が立つので、その場所を頻繁に通るようになります。すると相手と自分の偶然が重なって会えるのです。
つまり、偶然は無意識のうちに自らが重ねていったことによる、必然なのです。ということは、あらゆる物事は「自分が引き寄せ」ていて、「起こるべくして起こっている」と言っても間違いではないのです。
少し難しい話になってしまったかもしれませんが、わかる方には分かると思います今は納得がいかない方も、何かのタイミングでわかる日が来るかもしれませんので、今は「へぇー」ぐらいで大丈夫です
使命の話からずれてしまったので、元に戻します。
この必然ですが、実は使命に関係しています。
筆者は以前、使命とは特別に用意されているもので、自分で見つけ出さないといけないものだと考えていました。
しかし最近はそうではないと感じるようになりました。使命は「自分の人生を歩むその道すがらに気付くものである」という考え方に変わりました。
簡単に言うと、「使命は誰かが用意しているのではなく、自分がやりたいことをやっていれば、それが使命と気付く。」ということです。
③使命は1人ではなく、皆と果たすもの
パナソニックの創業者、松下幸之助さんをご存じですか?
松下さんは数々の名言を残されていますが、筆者が感銘を受けたお話をご紹介します。
松下さんは貧しい家柄に生まれ、幼い頃から体が病弱で、よく床に伏す事があったそうです。
そんな彼がどうしてあんなに大きな会社を運営することができたのかと言うと、このような考えがあったからだそうです。
「自分は体が病弱なので、自分ができないことを、他人にお願いしてやってもらう。頭があまりよくないので、頭のいい人にお願いして考えてもらうのです。」
この考えを元に彼は謙虚に生き、回りの人の力を借りて、大成しました。
このようにどんなに立派な成功者も、自分の力だけでなく、回りの人の力を借りて使命を果たしています。使命が大きければ大きい程、1人だけの力では果たすことができないからです
だからと言って、なんでもかんでも人を都合よく使うことは良くありませんしかし自分に足りないこと、できないことを持っている人がいるのなら、その人に手伝ってもらうことも大切なのです。
ここで筆者が仕事の関係上、試験を受けたときの話をあげてみます。
その試験は、仕事上絶対に取得しないといけない資格でした。よって上司(Aさん)からはかなりのプレッシャーをかけられていました。当時は合格することが筆者の使命であるとさえ感じていました。
そしてその試験前日にも、プレッシャーをかけられます。Aさんは帰り際に「じゃあ、明日の試験、頑張って…」と念を押すように言いにきました。その言葉に筆者はかなり動揺してしまいました。
その同日、別の尊敬する上司(Bさん)は筆者を見るなりこう呟きました。「明日かぁ…………」ただそう言っただけで、後はいつも通りに別れました。筆者はこのBさんをとても尊敬していたので、その時は逆に「なぜ頑張ってこいよ!」と言ってくれないのだろうと思う程でした。
しかし帰宅後、筆者はその言動の意味に気付いたのです。筆者はAさんに声をかけられた後、同僚に「Aさんに明日の試験、頑張るように念を押されてしまったよ」と嘆いていました。
おそらくBさんはそれを聞いていたのか、もしくは筆者の不安を感じとっていて、敢えていつも通りに接してくれたのだと思います。
筆者はその想いを感じとることで、「自分はただ会社の為に期待されてるのではなく、これらの人々のバランスによって支えられているんだ!」と気づき、とても嬉しくなりました。
試験当日はそのお陰で、緊張が溶け、かつてないくらい安定した気持ちで試験に望めました。その結果見事合格できたのです。
使命とは何か大それたことではなく、このAさんやBさんのように「誰かが頑張れるように気を配ってあげる」というような小さな「自分にできること」をすれば良いのではないでしょうか。
自分の発する言葉や、誰かを思いやる態度を、自分ができる範囲でする。ただそれだけで、誰かを支えたり、救ったりすることもできるのです。
そしてそれらは1人の力だけでなく、様々な人が関与することで成り立ち、やがて誰かの使命の手助けをすることに繋がっていくのです。
筆者のこの例の場合、試験に合格するという使命達成のために、沢山の人が関与していました。試験を応援してくれる人、勉強を教えてくれる人、受かるためにプレッシャーを与えてくれる人、試験日に代わりに働いてくれる人…この人達がいなければ、合格はなかったはずです。
項目①で筆者は「1人で使命を果たせる程の能力がないことに気づいた」と書きました。それはこのような考えに基づくからです。
筆者はかつて健康だけが取り柄でしたしかし年齢とともに体力と気力も落ちてきました。これは仕方のないことです。
ではどうするか?と考えた末に出た結果が、「誰かの力を借りて、無理をしない」でした。
使命と言うと、世の中の人に大きな影響を与えることをしなくてはいけない!と思いがちです。しかし本来は、もっとライトなものであり、自分も他人も幸せになることをすれば良いのではないかと思うようになりました。
④正しい使命の見分け方
あなたは正しい使命を行っていますか?
使命を正しく行えているかどうかの判断方法は、物事が順調に進んでいるかどうかで分かります
ただ、見極めが難しい場合もあります。
物事にはタイミングがあり、たとえ正しい使命を遂行中だとしても、停滞する場合があります。その場合は、「タイミングが今じゃない」だけの事もあるからです。
ですが、基本的には順調に物事が進んでいるなら、間違いないと考えて良いと思います。
これは一緒に過ごす人に対しても言えます。「この人といると、なぜか物事が順調に進むようになった」とか、「この人と一緒に仕事すると面白いことが起こる」とか「この人といるとなぜか体調が良くなる」
という場合、その人は使命を共に歩む人なのかもしれません。そういう人に出会った場合は、絶対に手放してはいけません
見極めは簡単です。
自分もその相手も、同じように成長していくからです。同じようなタイミングで、同じように成長するのなら、間違いありません。
またそれと反対もあります。
自分自身が落ちている時に、関係を深めることになった人とは、様々なことに対して不調が出てくる場合があります。「この人といるようになってから、風邪をよくひくようになった」とか「仕事や趣味に対して、やる気がなくなってきた」とか「相手に合わせ過ぎて、本来の自分を見失った」と思うなら要注意です。
若いうちはこのような人とも、何とか一緒にやっていけますが40歳を越えるあたりからは、きつくなってきます。40歳を越えたら、付き合う人は選ぶようにしていきましょう
誰と旅行に行くか、誰と仕事をするか、誰と人生を歩むかを見極めて行かないと、使命を果たすためのハードルが高くなり、相当な困難が伴います。
これらの出会いも必然であり、出会うべくして出会っています。しかし、人と人の繋がりはとてもデリケートなので判断を謝って手放してしまうと、再び繋がる為には大変な労力を必要とします。
よって使命を果たすために、今自分の身に起きていることは、何を気付かせるために起きているのか?さらにどうすれば使命を果たすことに繋がっていくのかを考えなければなりません。
ボーッと生きてると、未来の自分に叱られてしまいますよ
⑤まとめー使命を見つけよう
最後に、ライトな使命の見つけ方をご紹介します
筆者は昔、好きだった人に「あれ?髪切った?なんかすっごいイメージ変わったよね~」と言われた事があります。筆者自身、かなり前に髪型を変えていたので、「なぜ今!?」と思ったりもしました。しかし、少し照れ臭そうに言ってくれた姿に筆者のハートは、キュンとしました。
当時の筆者は素直に「ありがとう」と言えず、照れ隠しで「だいぶ前だけどね」と皮肉っぽく言ってしまいましたそんな淡い記憶ですが筆者にとって、癒しの一つとなっていてます。今も時々思い出しては、幸せに浸っています
このような、ちょっとした言葉かけだけでも、充分誰かの人生に貢献することもあるのです使命とは、「誰かのために、自分が無理なくできる範囲ですること」である方が、沢山与えることができるのではないでしょうか?
大きな使命より小さな使命の積み重ねが、やがて自分の人生を無理なく変えていくことになるのです。
そう言う筆者も、まだ自分の使命はうっすらとしか見えていません。なのでここまでの話の内容は現時点での見解です。そのあたりはご了承願います
誰もが不安や悩みを抱え生きています。
その悩みがあるからこそ、人生をいかに充実させるかを考えることができます。筆者は人生の目的は、幸せになることだと思っています。
幸せになるために、私達は使命に気付き、全ての物に愛を感じることができたとき、使命を全うできたと思えるのではないでしょうか?
今回の内容はややこしい上に、長くなってしまいました最後までお付き合いくださり、ありがとうございました