資格って何だろう…
久し振りの投稿になります
ブログに飽きた訳ではなく、私事の理由があったからです…というのは、今回のテーマである資格試験に挑戦していました
いや~疲れたとにかく大変でした…
ようやく解放されて、今は自由を満喫しています
実をいうと、筆者は資格マニアです
何かしらの趣味を見つけると、必ず資格取得まで目指したくなってしまう性分なのです…
皆さんはどうですか?
それでは現在資格取得を目指している方、資格なんてどうでもいい方をも含めて、資格の意味や必要性、なぜ人は資格を取りたがるのかについて考えていきたいと思います
①資格は誰のため
そもそも資格は何のためにあるのでしょうか?
資格に難しいも簡単もありませんが…
医者になるため、弁護士になるためというかなり特殊な勉強が必要なものから、お花のアレンジメント認定資格等の趣味的なものまで…様々です。
大人になる第一歩として、大半の方が取得をめざす資格に、運転免許があります。
都会の方は公共交通機関の方が便利なので、免許を取得しないかもしれません。
あるいは若者の車離れにより、運転免許に興味がない場合も考えられます。
しかし、郊外に住む人にとっては、無くてはならない資格になります
車を運転するために、必要だから取得するのです。
では何故必要なのでしょうか?
資格がないと、運転できないからです。
でも、本当にそうでしょうか?
例えば、何千坪もある大富豪の敷地内で、そこの子供が親に車の乗り方を教えてもらい、その広大な敷地内で車に乗ったとしても、法律で罰せられることはありません
しかし、その子供が「敷地外でも運転したい」と思い、公道に出てしまった場合は、アウトなのです
つまり資格がないと、社会的に運転できないのです。
ということは…
資格は誰のためにあると考えますか?
大抵の人が、「○○したいから、(自分のために)とる」と答えるのではないでしょうか?
このように全ての資格は、自分のために
と考えられがちです。しかし本質的には、「社会的規範の中である概念に基づき、行動を許可された者」を社会によって証明されているだけなのです。
少しややこし表現になりました
簡単に言いますと、資格は「自分のため」ではなく、「社会のルールに沿うため」につくられていると筆者は考えています。
もちろん、資格をとることで、できないことができるように許可されます。よって「自分のため」の目標実現ができます。
しかしそれと同時に、その人は社会の規範に納められ、その規範から逸脱した行いを、禁止されるようにもなるのです
②資格を取りたがる心理
あなたは現在お持ちの資格はいくつありますか?
筆者は少し特殊な勉強が必要なものから、趣味的な資格まで、様々な資格を数十個程取得しています
何故かというと、理由は様々ありました。
進学の為のプラス要素のためであったり、仕事の為に必要で取得させられたもの、趣味の領域を広げたくて学ぶためにとったもの…など、理由は様々です。
しかし、これら全ての資格に共通している根底の心理があります。
それは「認められたい」
という承認欲求です。
認めてもらいたい対象は、親であったり、恋人であったり、会社であったり…します。
そして「社会的に自分は素晴らしい人材である」と何かしらの概念の中で、認めてもらいたいのです。
ではなぜ人は、誰かに認めてもらいたいと思うのでしょうか?
筆者自信の中では、答えが見つかっています。
それは、不安だからです
「自分は社会に認められる存在であるのか?」
「自分は誰かに認めてもらえる価値のある人間なのか?」
「自分は誰かを支えられる人間なのか?」
人は思春期になると、自分の存在理由を考えるようになります。自分は何者なのか…
このブログないでも筆者はよく書いていますが、人は誰かの役に立つことに喜びを感じます。その中で、自分の存在価値を感じられるからです。
誰かの役に立つ→自分の価値があがる
資格取得の根底には、そのような深層心理がひそんでいるのではないでしょうか?
③資格は必要なのか?
端的にいうと、資格は必要です。
なぜなら、世界はルールに基づいて成り立つからです。ある概念に基づいてルールが適用され、そのルール内で管理されないと、事件や事故が起きてしまうからです。
医者が免許を持っていないのに、開放手術をしたら罰せられます。どんなに独学で勉強していて、世界一腕がよくてもです。
人はルールの中で管理されています。
この人だけは免許が無くてもOK
ということはありません。
もしかしたら「凄腕の無免許医師」と言われている人が、ただの詐欺師の可能性もあるからです。その場合、法のもとで罰しないといけないからです。
現代社会では、他人の命に関わるような仕事をする人の資格は絶対です。
しかし、かつてこのようなルールがなかった時代ではどうだったでしょうか?
古代の人々は神や占い等を信じ、祈祷師などを通して、病を治してもらったり、悩みを解決してもらったりしていました。その祈祷師らは資格を持っていたでしょうか?
答えはNOです。
資格はなくても、本来は、その能力さえ持っていればOKだと思いませんか?
そう考えると、資格の必要性がよくわからなくなってきます。
④資格試験を経験して…
先日筆者が受けた資格試験についてです。
この資格は、絶対に持っていないといけないものではありません。しかし社会的に認められる為の材料としては、とても貴重なものです。
したがって、合格できる確率は4人中1人程度です。かなりの難関です。試験範囲はとても広く、専門的なので、学校に通う人が大半です。
ちなみに筆者は学校に通う予算と時間がなく、独学で試験に挑みました
試験を受けた感想は、う~~ん…
です察してください
しかしこの試験で得たものは、とても貴重なものでした。なんと、試験が終わったあと、涙が溢れてきたのです
筆者はプレッシャーに弱く、様々な試験の前には必ず体調不良になります
また、この試験を受けるに当たって、たくさんの人の助けや励ましをもらいました。
このような状況の中で、最後まで無事に試験を受けられたことに対して、感謝の気持ちが沸いてきたのです。と同時に、とても清々しい気持ちになりました
先程①の項目で、「資格は社会のため」と述べました。しかし、それが答えだと筆者は考えていません。筆者自身の経験から、「資格は社会のためでもあり、自分自身のため」でもあるのではないかと気づいたのです。
今回の試験を受けるにあたって、協力してくださった方々、心の支えになってくれた人には、本当に感謝していますこれらの人の存在に囲まれている事にも感謝ですそして、頑張った自分にも感謝の気持ちがわいてきました
資格試験は、このような気づきを与えてくれるきっかけになったのです。
資格を取得するということは、その資格を取得できることに感謝する心を与えてくれるたのです。
⑤まとめー資格を取ろう
資格をとるためには、勉強が必要です。筆者は「人生、死ぬまで勉強」が大切だと考えています。
世の中は日々変わっていくからです。
今現在正しいことが、数十年後には悪と見なされることもあります。逆に、悪とされていたことが、善とされることもあります。
身近な話題で言うと、先日週刊紙で、小室哲哉さんとKEIKOさんの離婚問題が浮上しました。以前、小室哲哉さんはKEIKOさんの介護に疲れて別の女性に頼ったことが、不倫として話題になりました。
当時は不倫問題がかなり騒がれていて、不倫は絶対に駄目だ!とメディアでバッシング合戦になっていました。
しかし「介護」というキーワードが全面に出た小室さんの会見をうけ、介護疲れによる浮気感情のようなものは、仕方がない…というようなメディアの流れがでてきたのです。彼はそれ程強くバッシングを受けませんでした。
話が少しずれてしまいました
つまり、世の流れは時と状況、場面によって変化していきます。常に新しいことを受け入れる為には、勉強が必要なのです。
資格を取ることが目的ではなく、そこが始まりであり、これから何ができるかを日々学んで行くことが、大切なのです。
資格は他人に認めてもらうためでも、自分自身の価値をあげるためでもありません。
日々の学びの為の、一つの手段であり、許可であり、基準であり、気づきを与えてくれるものであると筆者は考えています。
皆さんはどう思いますか?
そして、資格を取りたいと思いますか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!