そば清(東十条)
東十条駅を出てすぐ。
落語の「そば清」からとっただろう店名とあいまって、外観もかなりのレトロ。

天ぷらそば 360円
つゆは、カエシ強い関東風、ちょい甘。
天ぷらは揚げおき、柔らかめ、春菊の茎がアクセント。
めんは平打ちに近いきしめんのような食感で、うどんっぽくもある。
最近はあまり見かけないタイプ。昔は多かったのだろうか?
食後のほうじ茶がサービスが嬉しい。
ご主人ともう一人の店員さんの二人のオジさんコンビでまかなっているらしく、どちらも真面目かつ気さくな印象。
店の全体として、時代を感じさせるオールド昭和スタイル。
それもそのはず
ここは路面の立ち食いそば屋としては
都内(日本?)最古と言われている店なのである。
立ち食いそば界には、大きく2つのジャンルがある。
1つは街角にある路面タイプ。これはよく「路“麺”店」と称される。
もう1つは、駅構内、ホームなどにある「駅そば」タイプ。
こちらは、鉄道マニアの方とも絡んでくることが多いようだが
どちらかと言えば、僕は路面店派である。
だが立ち食いそばの歴史としては、駅そばの方がはるかに古い。
さて、
駅そば第1号は明治30年代、信越本線・軽井沢駅で始まったというのが定説らしい。
第2号は、軽井沢からは碓氷峠ごしにある、横川駅。
横川駅はまた「峠の釜めし」発祥の地でもある。
どちらも、峠越えする電車の乗り継ぎによる待ち時間から出来た食文化のようだ。
その後、全国各地、特に長距離列車の停車駅において、駅そば店が次々と開業していった。
現存する都内の駅そばでは
1964年 に品川駅で常盤軒
‘66年に荻窪駅にてジャパン・トラベル・サービス
‘70年には新宿駅の田中屋(現在は、日食田中屋)
が営業を開始している。
以上は、『大人の週末』2005年10月号の記事を
こちらのサイトにて紹介さていたのを部分的に孫引きさせてもらった。
ここで気になるのは
「ちなみに、繁華街などにある立ち食いそばは、昭和40年に初めて登場した」
と、この記事文中にある記述。
僕の好きな路面店の方は、はたしていつが元祖だったのか、ということだ。
これが「40年代から次々と街中に店が出来始めた」という意味ではなく
ハッキリと「昭和40年(1965年)に第一号の路面店が登場した」と確定しているのだとしたら。
そしてそれが「そば清」でないのだとしたら。
都内最古の店名・場所はどこになるのだろうか
そしてそこは今でも現存するのだろうか
このあたり、ぜひ調べてみなくてはならない。
では、「そば清」以外に、現存する古い店舗としては、どのような店があるのか。
路面店で二番目に古い店、と一般的に目されているのは「二葉」(秋葉原)である。
こちらもマニアックな人気を誇る、入谷の山田製麺所の麺を使っている、評判の高い店だ。
しかし「新角」(京成高砂駅)も怪しい。
本格的にそばに特化した店ではないのだが、昭和40年代半ばからの創業らしい(こちらのサイトを参考にした)。
また、渋谷の109向いにある「富士そば1号店」の前身は1966年('64年という本人インタビューもあり)だが
途中で経営形態が変化したことと、大チェーンの一店舗であることからか
あまり「最初の立ち食い路面店の一つ」と指摘されることはないようだ。
ここまでが「立ち食いそば屋の起源」についての、今のところ僕が知りえた情報である。
「そば清」に話を戻す。
実は、僕が昨日伺った際、店のご主人に色々とお話を伺っていたのだ。
店の創業がいつなのかと尋ねてみたところ
「昭和41年か42年頃に、この店が始まったのかなあ……」
とのこと。
引退した初代店主ではなく、その甥御さんなので、店の発端についてはハッキリと覚えてはいないそうだ。
ちなみに、初代店長も、80代にしてたいへんお元気らしい。
現存する店舗では都内最古なのかは、今のところ確証を持って示す事は出来ないが
正確な創業年は分からずとも、二葉・新角より古いことは間違いなさそうだ。
その昔ながらのまさに立ち食いといった風貌を求めて、マスコミもミニコミも、ちょこちょこ取材には来るらしい。
また、昨今の立ち食いそば業界についても取材してみた。
「2年前辺りから、古い店がバタバタ潰れていってる感じだね」
と、まさに僕が感じていたのと同じ印象を持っているようだ。
経営者の高齢化と、跡継ぎ不足という問題もあるだろうが
やはり不況の波が大きいという見解も一致。
「昔は朝食を立ち食いで済ます人が多かったけど、今は節約しちゃってますね」
「サラリーマンも肉体労働の人も、本当に寸暇を惜しむほど忙しい人が減ったから、ゆっくり昼飯を食べられる所を選ぶんじゃないですか」
といったところが、立ち食いそばの流行らなくなった理由だろうというのが、ご主人の感想。
そしてまた
「街の立ち食い屋の場合、開発次第で人の流れが変わっちゃうのが大きい」
道路が一本作られることによって、ガラリと人通りが減少してしまうのは
フラリと立ち寄る場合が多い立ち食いスタイルの店舗としては、確かに致命的だろう。
これらの話を聞くにつけ
鉄道網の発達・道路と土地区画の変遷・労働形態と生活スタイル
これらの要素が、他の外食産業より直接的に、立ち食いそば屋の出店と存続に関わっているように思える。
かつての立ち食いそば屋のあり方とは
ある時期までの日本の経済成長と切っても切り離せない関係にあるのだと実感させられる。
つまり、高度経済成長からオイルショックを経てバブルに至る、土地開発の発展の歴史と不可分なのだ、と。
そういった意味では
「駅そば」という形態の発端となった軽井沢が、後に西武グループの聖地となったことも
当時の不動産ブームから事業を興した丹社長が
「とう・きゅう」という数字読みのネーミングをした、東急グループの象徴的モニュメントである
「109」が向かいに建つはずの土地に、富士そば1号店を出したのも
なにか恐ろしげな因縁を感じたりもする。
また最古参の店舗たちを見てみると
「そば清」「新角」が埼玉・千葉の県境近くという東京の辺縁に位置するのも
「二葉」が、元は火災のための緩衝地として作られたのに現在は国内外への東京の玄関口として機能している
秋葉原という土地の片隅に残っているのも
確かな理由があることのように思えてくる。
まず初めに、立ち食いそば屋があったのだろう。
1965年のことだ。
それから10年20年30年、その土地に開発の波が押し寄せてくる。
すると第1世代の路面店たちは、あらかた流されつくしてしまった。
おそらくは大型ビルや駐車場になっているだろうそれらの跡地を、遺跡を偲ぶように巡礼してみるのも良いかもしれない。
または、かつての資本の津波が去った後でもなお、フジツボのように東京の岸壁にしがみついている
いまだ現役の立ち食いそば路面店だって、まだ幾つかは残っているのだろう。
本当は、その街に昔から建っていたはずなのに
今となっては周りの風景とはあまりにも場違いなので
ただ控えめに暖簾をはためかせているような、そんな店が。
だとしたら、それら全ての店舗を周るのは、僕にとって絶対必須の事柄なのではないか。
仕事も一切なく、暇で、東京中をブラブラ歩くしかない身としては
そんなこと以外に、少しでも建設的な行動を思いつかない。
落語の「そば清」からとっただろう店名とあいまって、外観もかなりのレトロ。

天ぷらそば 360円
つゆは、カエシ強い関東風、ちょい甘。
天ぷらは揚げおき、柔らかめ、春菊の茎がアクセント。
めんは平打ちに近いきしめんのような食感で、うどんっぽくもある。
最近はあまり見かけないタイプ。昔は多かったのだろうか?
食後のほうじ茶がサービスが嬉しい。
ご主人ともう一人の店員さんの二人のオジさんコンビでまかなっているらしく、どちらも真面目かつ気さくな印象。
店の全体として、時代を感じさせるオールド昭和スタイル。
それもそのはず
ここは路面の立ち食いそば屋としては
都内(日本?)最古と言われている店なのである。
立ち食いそば界には、大きく2つのジャンルがある。
1つは街角にある路面タイプ。これはよく「路“麺”店」と称される。
もう1つは、駅構内、ホームなどにある「駅そば」タイプ。
こちらは、鉄道マニアの方とも絡んでくることが多いようだが
どちらかと言えば、僕は路面店派である。
だが立ち食いそばの歴史としては、駅そばの方がはるかに古い。
さて、
駅そば第1号は明治30年代、信越本線・軽井沢駅で始まったというのが定説らしい。
第2号は、軽井沢からは碓氷峠ごしにある、横川駅。
横川駅はまた「峠の釜めし」発祥の地でもある。
どちらも、峠越えする電車の乗り継ぎによる待ち時間から出来た食文化のようだ。
その後、全国各地、特に長距離列車の停車駅において、駅そば店が次々と開業していった。
現存する都内の駅そばでは
1964年 に品川駅で常盤軒
‘66年に荻窪駅にてジャパン・トラベル・サービス
‘70年には新宿駅の田中屋(現在は、日食田中屋)
が営業を開始している。
以上は、『大人の週末』2005年10月号の記事を
こちらのサイトにて紹介さていたのを部分的に孫引きさせてもらった。
ここで気になるのは
「ちなみに、繁華街などにある立ち食いそばは、昭和40年に初めて登場した」
と、この記事文中にある記述。
僕の好きな路面店の方は、はたしていつが元祖だったのか、ということだ。
これが「40年代から次々と街中に店が出来始めた」という意味ではなく
ハッキリと「昭和40年(1965年)に第一号の路面店が登場した」と確定しているのだとしたら。
そしてそれが「そば清」でないのだとしたら。
都内最古の店名・場所はどこになるのだろうか
そしてそこは今でも現存するのだろうか
このあたり、ぜひ調べてみなくてはならない。
では、「そば清」以外に、現存する古い店舗としては、どのような店があるのか。
路面店で二番目に古い店、と一般的に目されているのは「二葉」(秋葉原)である。
こちらもマニアックな人気を誇る、入谷の山田製麺所の麺を使っている、評判の高い店だ。
しかし「新角」(京成高砂駅)も怪しい。
本格的にそばに特化した店ではないのだが、昭和40年代半ばからの創業らしい(こちらのサイトを参考にした)。
また、渋谷の109向いにある「富士そば1号店」の前身は1966年('64年という本人インタビューもあり)だが
途中で経営形態が変化したことと、大チェーンの一店舗であることからか
あまり「最初の立ち食い路面店の一つ」と指摘されることはないようだ。
ここまでが「立ち食いそば屋の起源」についての、今のところ僕が知りえた情報である。
「そば清」に話を戻す。
実は、僕が昨日伺った際、店のご主人に色々とお話を伺っていたのだ。
店の創業がいつなのかと尋ねてみたところ
「昭和41年か42年頃に、この店が始まったのかなあ……」
とのこと。
引退した初代店主ではなく、その甥御さんなので、店の発端についてはハッキリと覚えてはいないそうだ。
ちなみに、初代店長も、80代にしてたいへんお元気らしい。
現存する店舗では都内最古なのかは、今のところ確証を持って示す事は出来ないが
正確な創業年は分からずとも、二葉・新角より古いことは間違いなさそうだ。
その昔ながらのまさに立ち食いといった風貌を求めて、マスコミもミニコミも、ちょこちょこ取材には来るらしい。
また、昨今の立ち食いそば業界についても取材してみた。
「2年前辺りから、古い店がバタバタ潰れていってる感じだね」
と、まさに僕が感じていたのと同じ印象を持っているようだ。
経営者の高齢化と、跡継ぎ不足という問題もあるだろうが
やはり不況の波が大きいという見解も一致。
「昔は朝食を立ち食いで済ます人が多かったけど、今は節約しちゃってますね」
「サラリーマンも肉体労働の人も、本当に寸暇を惜しむほど忙しい人が減ったから、ゆっくり昼飯を食べられる所を選ぶんじゃないですか」
といったところが、立ち食いそばの流行らなくなった理由だろうというのが、ご主人の感想。
そしてまた
「街の立ち食い屋の場合、開発次第で人の流れが変わっちゃうのが大きい」
道路が一本作られることによって、ガラリと人通りが減少してしまうのは
フラリと立ち寄る場合が多い立ち食いスタイルの店舗としては、確かに致命的だろう。
これらの話を聞くにつけ
鉄道網の発達・道路と土地区画の変遷・労働形態と生活スタイル
これらの要素が、他の外食産業より直接的に、立ち食いそば屋の出店と存続に関わっているように思える。
かつての立ち食いそば屋のあり方とは
ある時期までの日本の経済成長と切っても切り離せない関係にあるのだと実感させられる。
つまり、高度経済成長からオイルショックを経てバブルに至る、土地開発の発展の歴史と不可分なのだ、と。
そういった意味では
「駅そば」という形態の発端となった軽井沢が、後に西武グループの聖地となったことも
当時の不動産ブームから事業を興した丹社長が
「とう・きゅう」という数字読みのネーミングをした、東急グループの象徴的モニュメントである
「109」が向かいに建つはずの土地に、富士そば1号店を出したのも
なにか恐ろしげな因縁を感じたりもする。
また最古参の店舗たちを見てみると
「そば清」「新角」が埼玉・千葉の県境近くという東京の辺縁に位置するのも
「二葉」が、元は火災のための緩衝地として作られたのに現在は国内外への東京の玄関口として機能している
秋葉原という土地の片隅に残っているのも
確かな理由があることのように思えてくる。
まず初めに、立ち食いそば屋があったのだろう。
1965年のことだ。
それから10年20年30年、その土地に開発の波が押し寄せてくる。
すると第1世代の路面店たちは、あらかた流されつくしてしまった。
おそらくは大型ビルや駐車場になっているだろうそれらの跡地を、遺跡を偲ぶように巡礼してみるのも良いかもしれない。
または、かつての資本の津波が去った後でもなお、フジツボのように東京の岸壁にしがみついている
いまだ現役の立ち食いそば路面店だって、まだ幾つかは残っているのだろう。
本当は、その街に昔から建っていたはずなのに
今となっては周りの風景とはあまりにも場違いなので
ただ控えめに暖簾をはためかせているような、そんな店が。
だとしたら、それら全ての店舗を周るのは、僕にとって絶対必須の事柄なのではないか。
仕事も一切なく、暇で、東京中をブラブラ歩くしかない身としては
そんなこと以外に、少しでも建設的な行動を思いつかない。
DVD 『怨霊映像 恐篇』
2月頭からレンタル開始されるDVD
『怨霊映像 恐篇』
にて、吉田が怪談語りで出演しております。
基本、心霊投稿映像集のDVDです。
映像の合間に、吉田が挙動不審に4本の怪談を語り
AKB48の鈴木まりやさんに(吉田個人が)気味悪がられながら(怪談を)怖がられてもらっております。
借りてね!

DVD 2011年2月2日発売
106分(特典含む)
レンタルのみ
【キャスト】鈴木まりや(AKB48) 吉田悠軌(とうもろこしの会)
ディレクター:鍋田雅之
発売元:マジカル 販売元:マジカル
公式HP http://www.magicaltv.net/_webpage/onryo/
『怨霊映像 恐篇』
にて、吉田が怪談語りで出演しております。
基本、心霊投稿映像集のDVDです。
映像の合間に、吉田が挙動不審に4本の怪談を語り
AKB48の鈴木まりやさんに(吉田個人が)気味悪がられながら(怪談を)怖がられてもらっております。
借りてね!

DVD 2011年2月2日発売
106分(特典含む)
レンタルのみ
【キャスト】鈴木まりや(AKB48) 吉田悠軌(とうもろこしの会)
ディレクター:鍋田雅之
発売元:マジカル 販売元:マジカル
公式HP http://www.magicaltv.net/_webpage/onryo/
第79回「本当は怖い、クマその2」
更新しました。
ゲスト:北原さん、おぢょうさん
ご好評につき、クマラジオ第2弾を収録してみました。
クマを語るのは、人間と自然の関係を語ることとなるのかもしれないという思いがあったりなかったり。
●クマ映画『リメインズ 美しき勇者たち』感想、そして『ブラザーベア』
●イオマンテが見たい、のに見れない
●北海道在住のおぢょうさんにも、地元の声を聞いてみます
●ツキノワグマ問題は現在進行形
●「グルーミー」怖い可愛い
ゲスト:北原さん、おぢょうさん
ご好評につき、クマラジオ第2弾を収録してみました。
クマを語るのは、人間と自然の関係を語ることとなるのかもしれないという思いがあったりなかったり。
●クマ映画『リメインズ 美しき勇者たち』感想、そして『ブラザーベア』
●イオマンテが見たい、のに見れない
●北海道在住のおぢょうさんにも、地元の声を聞いてみます
●ツキノワグマ問題は現在進行形
●「グルーミー」怖い可愛い