1997年
エバシンポジウム20周年でした。
20周年ということで、
豪華な顔ぶれ。
シンポジウム後の懇親会も盛り上がりました。
登壇された出演者の皆さまも
全員参加。
(出演者は私の先日のブログ を
ご覧下さい)
エバの社員さんで結成されたバンドが
二組出演。
ピアニストのウォンさんが
飛び入り参加し、
コーディネーターの上田さんも
詩人の堤さんも踊りだし、
大盛り上がりでした。
貴重講演で上田さんが
シンポジウムが始まった1997年、
何をしていましたか?という話をされました。
そこで、気づいたのです。
1996年大晦日に娘が生まれ、
1997年1月1日に娘は肺が破れ、
愛知県コロニーに運ばれました。
呼吸ができなくなり、
酸素濃度は100%
生死をさまよったのですが、
奇跡的にも助かりました。
そう、娘とエバの酸素との出会いは、
1997年だったんです。
シンポジウムがスタートした年に、
エバさんとの出会いが
スタートしていたことに
何だかびっくり。
やはり出会いは必然だったかもしれません。
喉は完全復活ではありませんでしたが、
昨日、司会をさせていただい
懇親会の頃には、
問題なく喋ることができました。
感謝です。
そして、エバの皆さまや、
エバを愛する皆さまと、
楽しい時間を過ごさせて頂き、
幸せを感じることができました。
基調講演で上田さんが
「良きタネを蒔きましょう」と言われました。
蒔いたタネは芽を出すのに、
かなり時間がかかるかもしれない。
でも、間違いなく、
この良きタネは娘が20年前に
蒔いてくれたタネだと感じました。
出会いに感謝です。



