<<無視>>遠い日の「イジメ」の重い思い出 | 毎日釣りのことばかり・・

<<無視>>遠い日の「イジメ」の重い思い出

大江町から引っ越した場所は福島県大沼郡金山町
ここにも銅鉱山があった。

京都の大江町と同様。村の子供の中に鉱山の子供が混じっていた。
ボクが転向してきた時(小学2年3学期)は、ボクがはじめての転校生。
京都弁が標準語と思い込んでいたボクは、最初に新しい担任の先生との会話がぎこちなかった。
教室で紹介され、同級生に囲まれたが、
「にしゃねえちゃんいんのが?」
が「おまえ、ねええさんはいるのか」に聞けるまで間があった。

それでも村の子供たちはみな(いまで思えば)純粋でいいやつが多かった。

鉱山が整備されるにつれ、社宅も増え、転校生も増えてきた。
小学4年生になるころには、学年一クラス30人ほどのクラスのうち、なぜか男子ばかり5人の鉱山っ子がそろった。
社宅に住んでいるわけだから、(あ、当時の社宅は土地が広かったからみな一戸建て)みな隣近所。
当然、遊びも一緒。仲良しグループが形成された。
だが、村の子供たち(同級生)と仲が悪かったわけではない。

鉱山っ子5人の中で、リーダー格のMくんという友達がいた。
彼は勉強も出来たし、親は管理職だし、こんな田舎に住んでいるのは不釣合いな家庭だったと記憶している。

彼とも、村の子供たちとも山や川でそれこそ田舎の子供の生活をしていたんだ。

「けいちゃんと話をするのはやめようぜ」
あるとき、Mくんはボクを含めた3人にそう言った。
何の理由もない、ただ、これも遊びなんだと。

それから、鉱山っ子4人は、もう一人のけいちゃんを無視した。
話をしない、目をあわさない、そう「無視」する。
それがMくんが考えた「ムシ」という遊びだった。

何でそんなことをするのか、正直わからなかった。
でも、一人をはずして4人で連携することに面白さを覚えたのは記憶にある。

3ヶ月ほどたったころ、Mくんはけいちゃんにこう言った。
「こんどはまあくんのばんな」
次の日から「ムシ」の対象はまあくんに移った。

多分いやな思いをしただろうけいちゃんも、それに従った。

そして2ヶ月、次のターゲット「やっちゃん」が選ばれ、その後案の上、ボクの番がきた。

目を合わさない、話をしない、「ムシ」をされた・・。

でも、記憶としてはさほど苦しくなかった。
遊ぼうと思えば他の同級生たちと遊べた。
他の同級生(鉱山の子ではない子達)は「なんでそんなことするのか」と不思議がっていた。
それと、ボクの中では一人でいること、無理に付き合わなくてもいいこと、合わせなくてもいいこと、
それがなぜか心地よくもあった。

不思議なことに、ボクへの「ムシ」は1ヶ月もたたずに終わった。。。

次は、Mくんを「ムシ」することを他の3人に持ちかけた。
もちろん「次はMくんのばんな」と3人は賛同した。

でもやつも、つらそうじゃないんだ。
俺らと遊ばなくても、無視されても・・。

こうして一巡して「ムシ」の遊びは終わった。

当時は「いじめ」なんて言葉はなかった、と記憶している。
でも、これは・・すくなくとも最初のけいちゃんに対しては今では「いじめ」と言われても仕方がない。
この事件は、保護者会でも話題になったという。
なんで、そんなことをするのかと・・。
その話を聞いたとき、当時のボクは、「ただの遊びだよ」と母に言いたかった。

でも、今思えば完全なイジメ。
そして、友達とつるむことと、一人で遊ぶことを覚えられた貴重な経験。
決して首謀者のMくんを悪いやつだと思ってない。

子供は子供の世界があり、その中の暗黙のルールや雰囲気の中で小さな社会を作っている。

いま、そのあたりを書かせるとうまい作品を出しているのが「重松清」だろう。
彼はボクと同年代。
いじめに関する小説は多数彼の作品にあるが、今回はその代表作「ナイフ」を紹介しておこう。

ナイフ